記念誌の中ではわずか3行。俺の寄稿は、こんな文章からはじまる、そして、ここに俺の全ての思いが凝縮されている。
何度かある送別の宴、くやしいから1度たりとも、50周年の事は話さなかった。
区切りの年だから今年あたり潮時だったとか、みんなとの別れが寂しいとか、そんな話ばかりしていたが、本当は50周年を迎えると言うのに自分がその場にいないことが悔しくてたまらなかった。
だけど、悔しいなんて言う事は負けることだと思っていたから口が裂けても言うもんかと歯を食いしばった。
そしてその悔しさは、当然のように今でも変わっていない。おそらくこれから先も、その悔しさはどこかで頭を突き出してくるだろう。
去年のことだ。お菓子を開発して発表すると言う企画が持ち上がった時、職員室で雑談程度だけれど意見を言ったことがある。
去年のことだ。お菓子を開発して発表すると言う企画が持ち上がった時、職員室で雑談程度だけれど意見を言ったことがある。
商業は、ものづくりをサポートする仕事だと思う。だから積極的にものづくりをするのではなくものづくりをする人たちを影から支えるのが商業なんじゃないだろうか。
そう話したことがある。
その時、お菓子を作るのではなく既に作られたお菓子を生徒たちにセレクトさせて、M高セレクションとか、M高セレクトという形で販売する方が商業高校らしいのではないかと。
ものづくり日本を縁の下から支える。それこそが商業教育だとずっと信じてきたから…。
祝賀会の時、教頭先生が『大野先生のアイディアを使わせていただきましたよ。』声をかけてきた。
なんのことやらさっぱりわからず遅い時間に家に帰り着き、50周年記念式典の記念品を開けてみた。
祝賀会の時、教頭先生が『大野先生のアイディアを使わせていただきましたよ。』声をかけてきた。
なんのことやらさっぱりわからず遅い時間に家に帰り着き、50周年記念式典の記念品を開けてみた。
中には数種類のお菓子が入っており、カードが添えられていた。カードにははっきりと『M高校セレクション』と書いてあった。
母校の50周年は手の届かないところに行ってしまったと思ったけれどほんのちょっとの隙間を自分のために残してくれたような気がしてありがたいなと思った。
定年まで2度と戻ることはできない、自分が自分の全てをかけてきた場所ですからね。
どんなお菓子が入ってるんだろう。美味しそうだなぁ。そう思ってそれぞれのお菓子に対する生徒のコメントを読もうとしたら文字が歪んで読めなかった。