ufocluvのブログ

ufocluvのブログ

気ままに音楽の話でも・・・。


テーマ:

 福山雅治が、埋蔵歌(うもれおた)を今回の大感謝祭で歌うらしい・・・。

 

 埋蔵歌(うもれうた)ではないと思うが、僕の中では「Beautiful life」かなと思っています。埋もれているとは思わないけど、ライブで聴いたかな????まぁ男性限定ライブとファンクラブの東京ドームしか見てないからわからないけど、カップリングの「GAME」の方がメジャーになっているように思う。

 

 しみるんだよな。。。仕事がら教員なんてやってると、しかも生徒指導とかやってるとさ。

 

 誰もが見ている笑顔と

 誰も知ることのないこの素顔

 

 

 とか・・・・。

 

 他者に望まれる姿と

 自ら望み続ける姿

 その表裏の中で

 その違いの中で

 

 なんてね。

 

 なんでわかるんだよ福山・・・って泣いたな(ウソ)

 

 今回、聴きたいなって思ってる。23日今年も約束の浜へ・・・。


テーマ:

 MacBook Proを・・・・金利なしの分割払いで購入したのでサウンドインターフェイスをどうしようかと迷いはじめました。実は、中田ヤスタカ氏の機材を参考に色々と考えたのですが、モバイル目的でAPOGEE ONEの代わりにiRig Proとかをちょっと前から使いはじめてはいたのですが、やはりAPOGEE ONEが欲しいなぁと思いはじまた。

 ところがですよ・・・後続機種が出てしまいました・・・・。直接仕様の違いなどを電話で聞いたところ、一番大きな違いは「電池駆動できなくなったこと」とのことでした。

 前機種はiOSで使用する場合電池を使う仕様でした。iRig Proもそうですね。でも電池駆動ができない・・・電池も持ちが良くないとは聞いていましたが、iRigを使っていて思ったのですが、僕がiPadをつないで使うと言っても、おそらくライブの時ぐらいです。また、そのライブも2時間3時間という長丁場ではなくせいぜい長くて20分とか30分。ミューズパークのイベントに関しては1曲しかやりませんから5分ぐらいです。そういう人には十分なんですよね。あと内蔵マイクにも興味津々・・・。

 

 ところが・・・問い合わせの電話の翌日、アマゾンでは売り切れ、アップルのオンラインストアで扱っていると聞いたので言ってみると、カゴに入れるというボタンが選択できなくなっている・・・。それが「APOGEE ONE for iPad & Mac」という旧モデルでした。現在のモデルはiPadなどで使用する際、電源供給が必要となるため、この電源ケーブルとライトニングの変換ケーブルが別売りになっていました。

 また、おそらくさらに古いモデルかと思うのですが、それなら売ってました。でもこれじゃないしな・・・。

 

 でも買うとしても今すぐ買えないし、逆に数年待って、やっぱり電池で動かないとね・・・って声が高まったら・・・なんて甘いかな・・・。

 

 そして、自宅で使うためにAPOLLO Twin mk2かArrowがいいなぁなんて考えました。Apolloに関しては、DSPが使えるとのことで、内部にコアが1つ〜4つまでそれぞれ用意されています。。ちなみにArrowはコア1個です。パソコンと同じようにコアが多い方がハイパワーで、数多くのエフェクターが使えるということでした。

 

 

 

 ちなみみUSBはWindows専用。他のモデルはWindowsで使えるようになったそうですが、かなり絞られるようです。古いものでは対応できてないものもあるとのことでした。現時点でマック専用と考えた方がいいようです。

 

 これだけ挙げましたが、多分・・・・買わない・・・というか、買えませんね・・・・。先立つものがね・・・。えーんえーんえーんショボーンショボーンショボーン

 

 

 

 

 


テーマ:

 毎週水曜日の「時間ですよ」は何よりも楽しみにしていた。

 

 数年前、CSで、放送されたものは、一部カットされている部分があるようだ。それは、はまさんやケンちゃんが「こんなときどうしたら良いのだろう・・・・そうだ・・・・ウルトラマンを呼ぼう」というとウルトラマンが登場するのだが、カットされていました。残念です。是非とも完全版の放送と映像作品の発売を検討してほしいものです。

 

 思えば、久世光彦さんと向田邦子さん、そして西城秀樹さんはあちらにいらっしゃいます。そうだ、水曜劇場ではシリアスな芝居もコミカルな芝居もみせてくれた細川俊之さんも・・・。そして「ムー一族」で細川さんの子分役だったたこ八郎さんも・・・。あ、伴淳三郎さん。左とん平さんもだ・・・。

 

 そして昨日の速報を見てビックリしました。樹木希林さんが、亡くなったとのこと。本当に今年は、自分が子どもの頃から見ていたテレビに出演されていた人達が、なくなる年です。樹木希林さんの死も僕に大きな衝撃を与えました。もう見られないんだって思うと辛いです。

 吉永小百合さんのコメントは、西城秀樹さんを亡くした後の、野口五郎さんのコメントのようでしたね。ショックが大き過ぎるんだと思います。

 

 そして、郷ひろみさんのコメントを聞いた時、「ムー」でのエピソードを思い出しました。確か、堺正章さんが出演されていた番組に、樹木希林さんが出演されて、「今どうですか?』と振られると、郷ひろみさんのことを、「駄目よ、何もしないでボーッとしてるんだから」と言って笑いを取っていました。でも、これ、後に酒井政利さんの著書に書いてありましたね。何事にも受身で、台本どおりに演じていた郷ひろみさんが、自分で考え番組の中の樹木希林さんが演じる金田さんとのやりとりを、樹木希林さんと共に積極的に考え演じるようになったと。

 

 岸本加世子さんや浅田美代子さんなんかもそうなんでしょうね。「かっわいくないわねー」と言ってホッペタを引っ叩くシーン・・・おたがいに本気でしたもんね。

 

 樹木希林さん。ありがとう。楽しかったです。「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」そして「ムー」・・・小学生の時、学校休まない子でしたが、実はシンドイ時期がかなりありました。いや、6年間の中でしんどくなかったのって実質2年も無かったかもしれません。それでも何とか、がんばれたのは、週の真ん中に樹木希林さんの出演されていた、あのドラマがあったからなんですよ。あちらにいらっしゃるでみなさんで、素晴らしいドラマを作って天国のみなさんは楽しませてください。

 

涙から明日へ・・・。昨年亡くなった叔父が買ってくれたレコード。ギターは買って貰えず当時割と安かったらしくウクレレを買ってもらいました。弾けないウクレレを手に、ベランダに出てこの歌を小さな声で誰にも気づかれぬよう(笑)歌ってました。

 

 

 

 


テーマ:

 この世界にたった1人しかいないと思えるような夜に・・・。

 

 中島みゆきの「伝われ愛」と言う本に書かれている一節。月一のオールナイトニッポンも終わるそうですが、彼女のオールナイトニッポンを大学生の時毎週聞いていました。

 

 ラジオとは、そう言うメディアでした。たった1人しかいないような孤独を噛み締めている中で、誰かの息遣いを感じさせてくれる。それこそがラジオというものでした。

 

 もう、10年以上前です。「ミニFM」と言うものに惹かれ、送信機を購入したことがあります。市販のもの、これは車に積んでCDやMDなどを繋いで、カーオーディオのFMに飛ばすと言うもの。それと、基盤だけの送信機を購入し、自宅で自分で作ったプログラムを流してみると言うようなことをやっていたことがります。

 

 ちょうど1980年代にちょっとしたミニFMブームが到来し、雑誌などでも取り上げられていました。多感な時にそんな情報を目にしたり耳にして、「秩父には何にもないな」と強く思いました。そう、僕にとっては「ふるさと」って「いつかは捨て去る場所」という認識を持っていたのです。そんなふるさとにとどまる自分を、じつは思い切り軽蔑もしています。

 

 そんな1980年代を舞台に「波の数だけ抱きしめて」という映画が公開されまし

た。

 

 

 「雨の日には、雨の曲を・・・・空気のように音楽を提供する。」

 

 これって最高じゃない?って思いました。子どもの頃から、聴けるFMステーションはNHKとFM東京(現在のTOKYO FM)しかありませんでした。

 すでに、全てが休刊扱いとなっていますが、FM雑誌を見て、番組を録音(エアチェックといいます)し、のちにWデッキや、ラジカセ、デッキを使って編集し、好みの音楽をカセットテープにダビングする・・・・そんなことが主流でしたね。

 そして1980年代の終わりから、FMの開局ラッシュ。現在に至っています。今は、アルバムを丸々1枚オンエアーするなんてこともありませんし。ファックスの登場により、リクエストは当日番組で募るという形のものが増えてきました。だからこそ、FM情報誌が無くなってしまったとも言えます。

 

 僕が、ミュージックバードのTHE NITEにこだわるのには、理由があります。すでに70年代からそんな空気が流れていたとは思いますが、タレントや、シンガーがラジオのメインパーソナリティーを務めるようになると、ディスクジョッキー(DJ)という言葉は死語になってしまいました。糸井吾郎さんは、オールナイトニッポンで、自分で皿を回し、しゃべっていました。

 

 その昔、佐野元春さんが、DJとしては、八木誠さんのスタイルが好きだと言っていた。糸井吾郎さんのことにも触れていたと記憶している。

 八木さんは自分でレコードをかけていたわけではないかもしれないけれど、流している音楽がより心地よくリスナーに届くように・・・これがDJです。好き勝手なフリートークの面白さを前面に押し出したタレントはDJではないんですよ。

 

 タレントがしたり顔で音楽を語る、昨今のスタイルではなく、自分で調べ、自分でオンエアーする曲を探し出してくる。これこそが「DJ」と呼ばれるにふさわしい。THE NITEを担当している大西貴文はワンマンDJスタイルで番組を成立されている。それに、そこらのパーソナリティーのように「夏休み」なんぞ取らない。

 

 ゲストインやリクエストの時以外は、彼自身が選曲し構成を考える。これこそがDJだ。そう言う番組が他にあるだろうか?

 

 何も全部自分でやることが偉いんじゃない。ただ、そういう「ラジオ」の基本を横に置いて

ラジオは語れないと思っている。

 

 自然災害が多い昨今、地元密着のコミュニティーラジオが見直されつつある。でも、ラジオは情報発信の場ではない。はっきり言い切れるが「エンターテーメント」の世界だ。今、radikoでエリアフリー、タイムフリーで地方局を聞いているとよくわかる。エンターテーメント力のないラジオ局が、地元でリスナーを増やしていくことができるだろうか?

 

 今は、全国のコミュニティーラジオもアプリなどで聞くことができる。THE NITEを聴くようになったのは、偶然群馬を車で走っている時だ。いせさきFMを偶然聞いていて、その時、流れてきた番組だった。

 ミュージックバードの番組だから、リスナーは日本全国にいる。そしていたるところの情報も入ってくる。

 今年は、番組のコンピレーションCDも発売された。僕もコメントを書いている。番組の雰囲気をほぼそのまま、味わえるCDとなっている。CDのサウンドステッカーを担当したセリーナ・アルブライト。彼女は気さくな人で、リスナーとツイッターでやりとりもしている。僕もフォローしているが、彼女もフォローしてくれている。拙い英語で、何回かやりとりをしたこともある。是非とも、大手の企業の番組を買うことに否定的、懐疑的な人たちにも聞いて欲しい番組だ。

 

 

 オールナイトニッポン月曜の二部を担当することになった時、嬉しくて辻仁成はこの曲を作ったそうです。ラジオは永遠に、ぼくにとってはこう言う存在であって欲しいと思っています。

 

 

 


テーマ:

 「もしも戦争さえ終わっていなかったら・・・・」

 

 父が発したこの言葉。慌てて「戦争なんて悪いことに決まってる。ないほうがいいんだ」といったことが、今でも頭から離れない。

 

 もう、成人していたかな?高校生ぐらいかな?それは覚えてないんだけど、年末かお盆の時、墓地の掃除に行った時にそんな話になった。

 

 松本清張が、軍隊に行って能力に見合った仕事が与えられたことに喜びを感じたという話を聞いたことがある。彼には学歴のコンプレックスがあり、学歴とは関係ないところで自分の仕事を評価してくれるというところに魅力を感じたのかもしれない。

 

 戦争が終わっていなければ、祖父が務めていた鉄工所が潰れることはなかった。猫の額ほどの田畑を耕し、長男である父は小学生の頃から手伝いをしていた。

 本好きの父は、懐中電灯を使って布団を被り本を読んでいた。それも祖父によく叱られたと祖母が話していた。

 中学3年の時、父は就職すると担任に告げた。担任は、家庭訪問までして進学させることはできないか?と祖父母に言ったそうだが、そんなお金はどこにもなかった。相変わらず猫の額ほどの田畑を祖父は耕し、祖母は鶏の卵を農協に売って生計を立てていた。

 

 鉄工所さえ潰れていなければ。そう戦争が終わったことによって父の夢は絶たれた。秩父英工舎(現在のキヤノン電子)に就職した父は、会社に内緒で秩父農工の定時制に通うことになる。会社の人に目をつけられ尾行されたこともあったという。

 会社では組合活動を必死になってやっていた。執行委員長をつとめ、メーデーとかにも出かけていたとか。

 その後、管理職となったが、1980年代後半になると、機械一筋でやっていた父は窓際に追いやられ、若い人たちに取って代わられることになる。

 窓際族となった父は、あまり会社に対して一生懸命ではなかったような気がする。僕が30歳の時、定年を迎えた。その日、母は寿司を取って父の定年をねぎらった。

 父は「もう働きたくない。年金もらいながら畑をやる」と言って再就職はしなかった。多分いくつか話は来ていたかもしれない。

 

 自分が果たせなかった夢を子供に託す・・・そんなのを絵に描いたような父に反発はしたが僕は大学まで行った。親父は、大学に行きたかったろうな。なにか講演会が大学であると知った父が、わざわざ大学まで講演会を聞きに来たことがあった。そういう意味では、俺なんかより学問を突き詰めたい人だったと思う。

 

 さて、要するにね、反戦、反戦と叫んでる人。死んで言った若者がみんな不幸だったという人、もちろんその通りです、でも、こういう人だっているんだよ。

 拓郎の歌う「看板だけの知識人」にはわからないだろう?戦没者は、国のために死んだんじゃないという人にとっては、こんな親父の人生は虫けらみたいな人生だと思ってるんじゃないか?

 

 戦闘の中で尊い命を落としたことは、語り継がれても、戦争が終わったことによって自分の夢を捨てざるを得なかった人間については誰も語らない。そう文化人にとってはそういう人間は「虫けら」なのだろう。ならば、虫けらがそのことを後世に伝えるしかない。

 

 こういう人生を否定するだろうな。フォークシンガーとか、ロックンローラーは。でもそんなやつらフォークシンガーでもロックンローラーでもない。俺はそう思うよ。

 

 テレビのコメンテーターみてたら、こんなこと考え始めて。怒りが湧いてきちゃったよ。

 

http://dai.ly/x14r7b6http://dai.ly/x14r7bhttp://dai.ly/x14r7b6RISING SUN

 

  父を思い出す曲です。

 砕けた心のまま、何を支えに、何を誇りに生きて行けばいいのか

 自問自答しながら、生き、死んで言った僕の父の歌です。

 

 

 

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス