2ヶ月ぶりに『鬼平犯科帳 決定版』シリーズを読んだ。第21巻だ。第4巻収録の『血闘』が映画化された影響か、中古本屋の棚から決定版シリーズが消えた。見つけたのは、研修で高田馬場に行った帰りに立ち寄った新宿西口店だった。




本書の内容は以下のとおり。( )内は初出誌「オール讀物」の掲載号数。

・泣き男(1980年6月号)

・瓶割り小僧(1980年9月号)

・麻布一本松 (1981年2月号)

・討ち入り市兵衛 (1981年4月号)

・春の淡雪(1981年10月号)

・男の隠れ家 (1982年3月号)


表紙絵には歌川広重の『名所江戸百景』より「猿わか町よるの景」が使われている。


画面右、手前から森田座、市村座、中村座。森田座の向かいは芝居茶屋だ。


元は、木挽町の山村座、森田座、堺町の中村座、葺屋町の市村座を江戸四座といったが、江島生島事件で山村座は廃座、江戸三座となった。天保12年(1841)に三座は、浅草の丹波園部藩小出伊勢守下屋敷跡に移転させられた。この新しい町が猿若町と名づけられた。


現在の台東区浅草二丁目付近で、芝居小屋や茶屋が軒を連ねていた猿わか町は、町工場、問屋街などに変わり、芝居小屋は浅草寺の西側に移り、浅草六区の映画街となった。



勘定方から探索方へ異動となった細川峯太郎はある事件で手柄をたてたが、その経緯が不埒なものだったため長谷川平蔵の怒りに触れ、再び勘定方に戻されていた。それが不満の細川は非番の日にやけ酒をあおり、通りがかりのぶつかった男に地面に叩きつけられた。恥ずかしさに人目を避けるように歩いた先で先刻の浪人と座頭の辰の市が話しているのを目撃した。目が見えなかったのではないのか?疑問に思った細川は平蔵に報告したが…。(泣き男)


「石川の五兵衛」と名乗る盗賊として捕縛された男は小林金弥の取り調べに対して一切口を開くことはなかった。平蔵は「石川の五兵衛」の顔に見覚えがあった。それは20年前に遡った…。(瓶割り小僧)


麻布を見廻る同心の木村忠吾はイライラしていた。忠吾が蹴った石が浪人にあたり、怒った浪人に対して忠吾は浪人の股間を蹴って逃げた。数日後、浪人の目を避けるように麻布の茶屋に入った忠吾に年増の女性・お弓が近づいた。先日の浪人に嫌な出来事があり、忠吾の仕打ちに胸のつかえがとれたといい、忠吾ともう一度会う約束をした。好みの女に浮気心に火がついた忠吾だったが…。(麻布一本松)


[笹や]のお熊婆から[五鉄]の彦十にすぐに来るよう緊急連絡が入った。たまたま五鉄にいた長谷川平蔵と彦十が笹やに着くと、そこには深傷を負った男が寝かされていた。彦十によってその男は松戸の繁蔵とわかった。繁蔵は蓮沼の市兵衛の片腕だった。昨年市兵衛のもとを離れた鹿間の定八は市兵衛が毛嫌いする畜生ばたらきをする壁川の源内についていた。繁蔵が亡くなり、仇討ちを決意した市兵衛は彦十の紹介で正体を隠した平蔵を雇った。そして…。(討ち入り市兵衛)


扇屋・平野屋源助方の番頭の茂兵衛が市中見廻り中の長谷川平蔵に声をかけてきた。茂兵衛は愛宕下で二人の盗賊を見たという。ひとりは雪崩の清松、もうひとりが日野の銀太郎だった。清松は同心大島勇五郎が使っている密偵だった。平蔵は密かに勇五郎を動きを追った。そして、銀太郎の計画を知った火付盗賊改方は…。さらには勇五郎への対処をどうするのか?(春の淡雪)


泥亀の七蔵が目撃した玉村の弥吉を尾行し、隠れ家を突き止め、監視体制に入った。だが、家を出てきたのは違和感のある侍で、ただただ市中を歩き回って戻ってくるだけだった。弥吉と碁で知り合った袋物・小間物問屋吉野家の主人清兵衛は、婿養子で、妻に圧倒され、奉公人も陰で嘲笑していた。そんな清兵衛が仕組んだこととは…。(男の隠れ家)



最近はいつ寝入ったのかわからない断続的な睡眠が続いている。決してオリンピックのせいではなく、暑さのせいだが、止せばいいのに、目覚めるとテレビを付けてしまう。


最初の目覚めは、男子100m準決勝で、9.96の走りをしたサニブラウンが敗退したシーンだった。次はフェンシング男子フルーレ団体の決勝だった。これは最後まで観てしまった。今夜も…。