19日から夏の土用に入っているが、今日の十二支は「丑」。土用丑の日だ。平賀源内のおかげで鰻は大変な目にあっている。時々自分も一緒になって箸で突つくこともあった。


ただ思い返してみると、上京するまでの20年間で鰻を口にしたのは一度だけだ。それも父が捕ったもので、家で焼いた…と思う。


家の前の道路を挟んで南側を東西に切通川が流れていた。筑後川に合流した後流れ込む有明海が近いこともあって川の満ち引きがある。川が浅くなったときに、よくしじみや川エビを捕っていた。


父とエビを捕っていたとき、だいたい手づかみだが、突然父が網を取りに走り出した。何事かと思った目の前をヘビが泳いでいった。が、それは自分の勘違いで、本当は鰻だった。これが人生初めての鰻となった。


実にしっかりした歯応えの記憶があったが、上京した後、浜松に就職した友人を訪ね、そこで鰻重を食べた。食感が違った。ずいぶんとふっくらしていた。これが蒸した普通の鰻か…。




上京する前にもう一度鰻を口にする機会はあった。夏休みに自分が仕掛けに鰻がかかっていたことが一度だけあった。


1mほどのあぜ糸の先に鰻針を付け、反対側を竹串に固定する。ドジョウを餌にして夕方のうちに鰻のいそうな場所に仕掛けを放り込み、竹串を水中の底に突き刺しておく。翌朝、竹棹に釘を打った道具で仕掛けを引き上げていく。


いつも空振りしていたが、ある日、初めて鰻が掛かっていた。喜び勇んで川魚屋に売りに行くと50円で売れた。当時の50円は子どもには大金だ。量は減ったがアーモンドグリコ1箱が10円の時代だ。


帰って父親に報告すると、なんで売ったと怒られた。「買えば百円もするんだぞ!」


これで二度目の鰻を口にする機会は失くなった。なお、このとき餌になるドジョウを捕りに行った場所が場所だっただけに、今ではドジョウを食べることは生理的に受け付けなった。