よりによってこんなに気温が上がった日にウォーキングイベントに参加するとは。朝の草むしりで暑くなっていくのはわかっていたが、今日を逃すと花菖蒲を見逃してしまう。覚悟を決めて駅に向かった。
参加するのはJR東日本主催のJR武蔵野線新秋津駅から東村山市の北山公園菖蒲苑までの約12kmだ。さらに、この公園の最寄り駅の西武新宿線東村山駅まで約1kmの帰路分が加算され、約13kmになる。JR八王子駅で中央線に乗り換え、西国分寺駅で武蔵野線に乗り換えて2駅目だ。
起点駅の新秋津駅では、マップを入れたスタンドが設置されていて、勝手にマップを取ってスタートした記憶があった。参加登録はアプリで済ませるので、これで十分だ。受付は9:30からだったが、期待して9時に着いた。さすがに早かった。しかしその直後、三鷹駅での人身事故で中央線が止まったアナウンスが流れてきた。これは助かった。
9:15になるとマップスタンドが設置された。
距離が長いコースは1分でも早くスタートしたい。マップを受け取るとすぐにスタートした。
足元の崖下を走る武蔵野線の東側に沿って歩きだした。逆方向へ歩くと西武池袋線の秋津駅に出る。
駅前駐輪場の手前を左折して南へ向かう。
数分歩くと右手には「秋津ちろりん村」という名の公園が現れる。
名前の由来はわからないが、農業体験ができる公園ということだった。
狭い道が続く住宅街を抜けると志木街道に出た。
そこを左折して正面の「秋津一丁目」の信号で右折した。昨年は西武鉄道主催の軟弱コースを選んだが、2年前には同じコースを歩いていた。
通りの先で空堀川に架かる曙橋に出た。
橋を渡って右折し、右岸沿いに整備された遊歩道を進んだ。
空堀川は、狭山丘陵に源を発し、柳瀬川に合流する流路約15kmの荒川水系の一級河川だ。
今日は川の流れは見えない。水溜りが見えるくらいだ。普段は地下を流れ、大雨の後に川の流れが現れるとのことだが、なかなかそのタイミングで歩くことがない。
栗木橋、秋津南橋と過ぎ、次の新空堀橋を左折して所沢街道を南東へ歩く。
陸橋を過ぎると左手に緑が濃い敷地が現れた。
国立療養所多磨全生園だ。かつてハンセン病患者が隔離された施設で、一度けんがくさせてもらったことがある。
「全生園前」の信号を右折した。
緩やかな坂上には多摩北部医療センターの手入れされていない樹木林が見えてきた。
三つめの「多摩北部医療センター西」で左折する。新所沢街道だ。
約500m先の「恩多町一丁目」で右折し、川沿いの細い道に入る。野火止用水だ。
小平監視所で玉川上水から分水された用水だ。
水が少なく流れが細い中で鯉が泳ぎ回っていた。緋鯉も棲んでいるようだ。
石橋、東村山運動公園、菊水橋を過ぎ、1km余を歩くと万年橋に着いた。
ここには東村山市の天然記念物に指定されている「万年橋のケヤキ」がある。
根が野火止用水をまたぐように伸びている。どれくらいの時間がかかったのだろうか。伸びていく様子を見ていた人もいたんだろうな。
「中橋」の交差点に着いた。交差点の少し先で野火止用水に架けられた小さな橋を渡ると「恩多野火止水車苑」がある。
天明2年(1782)、旧大岱村(現東村山市恩多町)の當麻本家が酒造米の精米を目的に水車を設置したといわれる。現在の水車はそうした歴史を伝えるために平成3年(1991)に設置された。ただ今日は回っていなかった。
「中橋」の交差点まで引き返して左折し、北へ向かった。
道路工事中だった。このイベントは1日から始まっているが、花菖蒲が見頃になった土日は多くの参加者が歩いたんだろうな。あ、土日だったら工事は休みだったかもしれないな。
350m先の「恩多辻」の信号を過ぎると、約250m先で空堀川に架かる石橋に着いた。
この辺りの空堀川には水が多かったが、流れはないようだ。
橋を渡り、約100m先の信号を過ぎたあたりが今日のコースの中間地点になっていた。
時間は68分が経っていた。時間を要する見学場所がほとんどなかったため、約11.3分/kmのペースで歩いてきたようだ。
東村山高校の先の鷹の道を越えるとすぐにさくら通りに出る。東村山駅東口から続く桜並木の道だ。
通りを横断して左に折れると調味料メーカーのポールスタアに着いた。
嘉永3年(1850)に醤油の製造販売業として創業。1970年代に総合調味料製造業へと拡大された。年間約250種類を製造しているそうだ。たまに立ち寄ってはソースを買っている。
工場内の直売所に寄ることにした。
敷地内には「桜井家の防空壕」が戦争遺跡として公開されていた。
直売所では「東村山ソース」と多摩湖梨を使ったドレッシングを買い求めた。
ぶどうや梨を使った「中央線ソース」、小平のブルーベリーを使った「西武線ソース」などもある。
先ほどの交差点まで戻り、そこを左折して野際通りを北へ進んだ。
通り名は素戔嗚尊を祀る神社「野際神社」に由来する。
約700m先の信号の少し手前から通りは北西方向へ向きを変えた。
信号を過ぎた約100m先に豊島屋酒造がある。
創業は昭和10年(1935)で、地下150mから汲み上げた地下水を仕込み水とされている。明治神宮や神田明神にお神酒として納める「金婚正宗」などを製造されている。過去にはよく試飲させてもらっていたが…。
通りをさらに進むと「久米川辻」で府中街道に出た。
そこを横断してさらに200mほど歩くと西武新宿線の踏切に出る。
踏切を渡って、コンビニ前の信号を左折して四宿通りへと進んだ。
約400m先で西武西武園線の踏切を渡ったすぐ右手の施設が東村山ふるさと歴史館だ。
ここは企画展の冊子が安いので、ときどき気になるものがあったら買っている。今日は「東村山の東京125年」を買った。150円。東京150年記念企画展の冊子で、東村山の歴史がまとめられている。
四宿通りをさらに進み、理容室の先を右折した。
その先は弁天橋へと続いていた。
橋を渡り、その先の二差路を左へ進み、次の角を右へ折れ、大善院を目指した。
約100m先で「野口の不動さん」と親しまれている大善院に着いた。
元は八王子の恵日山圓通寺を本寺とする塔頭だったが、明治32年(1899)に東村山に移転して現在の本堂を設立した。本堂前の築山の上にはコンカラ童子(右)とセイタカ童子(左)が設置されている。
さらに境内には富士山の火山岩を運んで高さ7mに積み上げた築山がある。
築山には唐金製の不動明王を中心に三十六童子像が安置されている。
大善院の前の通りをさらに西へ歩くと、都道128号に出た。
その先のスーパーの角を右折して北へ向かうと「正福寺地蔵堂」の前に着いた。
正福寺通りに面して地蔵堂は建っているが、正福寺はこの背後にある。その存在を知ったのは何度目の訪問だったか、今では覚えていない。
地蔵堂は応永14年(1407)に建立された建物で、禅宗様建築を代表する遺構で、国宝建造物。6月9日に特別に内部が公開され、千体地蔵堂とも呼ばれている。そういえば、ポウルスタアに千体地蔵ソースもあったな。
正福寺通りを東へ歩き、進入禁止標識が設置されている交差点を左折する。
突き当りを着くと前方に北山公園が現れる。
そこを右折し、警備員の案内にしたがってすぐに左折する。
カシワバアジサイ、タチアオイが咲く道路へ進む。
北川に架かる善行橋を渡るとゴールの東村山菖蒲まつりが開催されている北山公園菖蒲苑だ。
時刻は11:50。後半はあちこち見学して回ったためか92分もかかった。
菖蒲苑に歩を進めた。
数日遅かった感じもしたが、まだまだ大丈夫だった。
ここで花の写真を撮り回っていたが、4枚目で「電池がなくなりました」とメッセージが出て、カメラの電源が落ちた。
スマホで残りを撮ったが、修正が面倒で、今日は間に合わなかった。
時間を見つけてアップする予定だ。
それにしても今日は暑かった。すっかり日焼けしてしまった。