曇ってはいたが、気温的には暑くもなく寒くもないウォーキング日和になった。

今日は西武鉄道のイベントも開催されていたが、15日から開催されているJR東日本のイベントに参加することにした。JR大森駅から池上エリアを回ってJR蒲田駅にゴールする約9kmのコースで、今日が最終日だった。決め手は、コース上に未利用須田場が3店舗あるのと、蒲田で新しい、というか、背景色がゴールドの特別版が終わり、青色の通常版に変わったマンホールカードをもらうためだ。

 

受付が始まるまでアトレ大森に入っている須田場で珈琲でも飲もうと早めに家を出たが、読書に夢中になってしまい電車を乗り過ごした。京王相模原線を稲田堤でJR南武線に乗り換える予定が、調布まで行ってしまった。幸い数分後に急行があって大きなロスなく南武線に乗ることができた。

 

久地駅踏切手前で安全確認の緊急停止があったが、川崎駅で京浜東北線に乗り換えて大森駅に着いたのは9:10だった。受付まで50分もある。

 

最初にアトレ5階の須田場で小さいものを買って、2階の須田場に移動してモーニング珈琲とした。

10分前に中央改札前の受付場所に行くと、折り返した行列が何重にもできていた。

ちょっとゆっくりし過ぎたか。ただ、集まった人が多すぎたか、すぐに受付が始まった。

マップと一緒に開業120年となる蒲田駅の記念マグネットが配布されていた。

 

日本で最初に開通した鉄道は明治5年(1872)だが、当時工事作業員の詰め所や臨時の停車場として利用されていた大森駅が旅客用の駅として開業したのは明治8年(1875)だ。蒲田駅は、明治の終わりごろに注目を集め出した菖蒲園や梅屋敷に観光客を誘致するために明治37年(1904)に開設された。

 

初めは利用客が少なかったが、大正時代に入って、松竹シネマ蒲田撮影所の開業や池上線の開通などで次第に賑わいをみせるようになった。映画『蒲田行進曲』をつい思い出してしまう。来年は大森駅開業150年を迎えるので、また新しい企画が出てくるんだろうな。

 

受付が始まったころ、春日部のNさんがやってきた。昨日松山から帰ったばかりで、受付が終わると、浅草の三社祭に向われた。こちらも今日が最終日で、前から行きたかったとのことだった。混み過ぎて動けるか心配だ。

 

10時にスタートした。

西口を出ると目の前を池上通りが通っている。道路を横断して左折し、通りを南へ向かった。

池上通りは北の武蔵野台地に沿った多摩川下流低地に整備された。

「春日橋」で環七通りに出た。正面の高架は春日橋陸橋だ。

 

交差点を横断して右折し、環七通りを北へ歩く。

200m先のコンビニの手前を左へ折れ、狭い通りを西へ歩いた。

 

約400mで最初の目的地「大田区立龍子記念館」に着いた。

近代日本画の巨匠・川端龍子の作品や資料を展示している施設だ。川端龍子は明治18年(1885)に和歌山で生まれ、10歳の頃に家族と上京。19歳のときに画家を志して洋画を学ぶが、28歳で渡米した際にボストン美術館で見た日本美術に感銘を受け、帰国すると日本画に転身された。

 

記念館の向かいには龍子公園も整備されている。川端龍子が制作に明け暮れた画室と旧宅が保存されている。記念館では6/9まで「大画面の奔流」と題した川端龍子の名作展が開催されている。65歳以上は入館無料だったが、時間を費やすのは郷土博物館と池上本門寺と決めていたので、ここは入口までで、後にした。

 

コースに戻ってそのまま通りに沿って進む。コンビニを過ぎて、北西に向きを変えた先に桜並木が続いていた。桜のプロムナードと呼ばれているようだ。

約60本の桜並木は600mほど続いている。昭和28年(1953)に町の有志が寄付した100本の苗木が始まりだった。当時はこの通りは内川の流路だったが、昭和46年(1971)から昭和51年(1976)にかけて暗渠化され、緑道化された。

 

「馬込桜並木通り」の信号を右折して鐙坂を北へ上っていった。

この坂道は大正末期から始まった耕地整理によってできた。それ以前は狭い農地だった。

鐙谷の由来は、伝説によると、梶原景季の愛馬の磨墨が鐙を谷に落としたところだという。

 

坂を上った先に左手に南馬込うえだい公園が現れた。たわわに実っているビワが気になってしょうがなかった。誰も収穫しないのだろうか。

 

その先の突き当りを左折し、信号を渡って進むと、前方に郷土博物館の案内看板が見えていた。

案内にしたがって左折した先に次の目的地「大田区立郷土博物館」が建っていた。

ここは初めてではないが、博物館は好きで、来るたびに軽く見学している。

 

博物館を出ると通りを南西へ下って行った。

国道1号(第二京浜)に出る手前を左折して南へ向かった。

梅田小学校の先には貴船坂が見えていた。丘陵部に入るとこういう起伏は避けられない。

 

「貴船坂上」の信号を右折して、最初の角を左折して池上本門寺沿いの坂道を南下した。

左側には本門寺公園が整備されている。

 

そこの先に五重塔が見えてきた。

江戸幕府第2代将軍秀忠が乳母の正心院日幸の発願によって、慶長13年(1608)に建立した関東地方に現存する最古の塔だ。

 

突き当りを右へ折れて池上本門寺境内へ進んだ。右へ向きを変えると、正面に大堂が建つ。

池上本門寺は、山号を長栄山と号する日蓮宗大本山だ。弘安5年(1282)10月13日に日蓮聖人が入滅された霊跡で、帰依していた池上宗仲が屋敷の一部を寄進したことがきっかけで、寺院として整備された。鎌倉時代の開創以来、宗門の重要寺院として発展してきた。

 

日蓮聖人については週刊朝日百科「仏教を歩く[改訂版]」第4巻「日蓮」に概要がまとめられている。

 

境内に建つ霊宝殿は開館日が限定されていて、今日がその日だった。

現在「本門寺の狩野派」と題する企画展が開催されていた。拝観料300円。

 

仁王門を出た左斜めに「日蓮大聖人説法像」が建立されている。

昭和58年(1983)、宗祖第700遠忌記念として、富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納された高さ3.4mの純アルミ像だ。

 

仁王門の先は「此経難持坂」と呼ばれる傾斜30度96段の石段だ。上りでなくて助かった。

石段は加藤清正の寄進によって造営されたと伝わっている。石段の数は、法華経「宝塔品」の偈文96文字にちなんで構築されたという。日蓮大聖人説法像の前に女坂もある。

 

呑川に架かる霊山橋を渡り、「本門寺前」の信号を右へ折れ、その先を左に折れて、池上本門寺通り商店会が軒を並べる通りを南へ向かった。

池上通りの「池上駅」に出る少し手前が今回のコースの中間地点だった。

時刻は11:35になろうとしていた。

 

「池上駅」から池上通りを西へ向かうが、その前に東急池上線の池上駅にあるエトモ池上の4階にある須田場で「ONE MORE COFFEE」チケットを使って休憩することにした。

 

 

(後半に続く)