実にいい天気だった。草むしりにはもったいないと、JR東日本主催のウォーキングイベントに出かけてきた。JR高田馬場駅から西武新宿線沼袋駅までの9kmで、今月16日まで開催される。明日の11日は西武鉄道との共同開催の日だが、当日は仕事が入っているので今日にした。

 

受付は高田馬場駅早稲田口で9:20から始まった。予定よりも10分早い。いつもこうだと嬉しいが…。

駅に着くとYさんがいた。そこへMaさんとAさんが合流し、4人でゆっくりと歩くことにした。

 

早稲田口をビッグボックス方面へ出て、その先のつつじ通りを横断して右折した。

高架線路の東側を並行する通りを「大久保スポーツプラザ入口」まで進み、そこを交差する諏方通りを左へ折れた。通り名の由来の諏訪神社が最初の目的地だ。

 

過去の西武のウォーキングでこの通りを歩いたのは何年前だっただろう。今日のように西から歩いたり、逆の東からも歩いて高田馬場駅にゴールしたこともあった。実に久しぶりだ。

300m超を歩くと、左手に諏訪神社が現れた。

弘仁年中(810~824)に小野篁が大国主命、事代主命祀ったのが起源と伝わる古社だ。当時は、奥羽街道の一部松原街道に面していたため松原神社と称されていた。江戸初期に徳川義直が信濃の諏訪神を勧請し、諏訪神社と改称された。

 

社殿は応仁3年(1469)に太田道灌と北条早雲現在の戦いで焼失し、天保6年(1835)には失火で再び焼失している。現在の社殿は、老朽化と破損がはなはだしくなったため、昭和55年(1980)に再建されたものだ。

 

神社を後にして再び諏訪通りを東へ歩き、「諏訪町」で南北に交差する明治通りへ左折して北へ向かった。「馬場口」で東西に交差する早稲田通りを横断した。

右前方に戸塚警察署が見えてきた。普段は気にも留めないが、たまたま読んでいた内田作品に浅見光彦が戸塚署を訪れるシーンがあったことを思い出した。ここだったか。

 

戸塚署を過ぎると新目白通りが交差する「高戸橋」だ。そこを左折して、すぐ左手に現れる神田川右岸遊歩道へ入った。

コース的には新目白通りを歩いてもよかったが、できるかぎり車の通行量が少ない通りを歩くということなんだろう。

 

源水橋、戸田平橋と過ぎ、高塚橋に着くと、川面に吊るされている鯉のぼりが視界に飛び込んできた。

泳いでいるというより干物を作っているように見えたのは自分だけだろうか。

 

神高橋でつつじ通りに戻ると、そこを右折して新目白通りに向った。

突き当りの新目白通りを左折し、途中で通りを横断して北側歩道へ移った。

コンビニの先の信号を右折して細い通りへ進んだ。その先はおとめ山通りの坂道へ続いていた。

坂道を上った先の左手に「おとめ山公園」の入口が現れた。

 

この地は、江戸時代に将軍家の狩猟場あったことから立入禁止の「御留山」の名が付いた。

豊島台の落合崖線に残された貴重な緑地になっている。

 

園内に入った。

管理事務所で園内マップをもらおうとしたが、在庫切れだった。区には以前から依頼しているが、できてこないとのことだった。

 

園内を北西へ横断するコースだったが、最初の階段を上りすぎたか、北側を回るはずの見晴台に出てしまった。ほとほと公園は苦手だ。

とりあえず園路は少ないので北へ北へと歩くと出口に着いた。

 

公園を西へ出ると、相馬坂に沿って落合中学校、落合第四小学校、落合第四幼稚園が立ち並んでいた。

落合の地名は神田川とその支流の妙正寺川が落ち合うところから付いた。実際には浸水対策で「瀬替え」工事が行われ、現在は東の高戸橋辺りで合流している。

 

相馬坂を下った。

坂下の幼稚園の角を右折して道なりに進んでいく。

100mほど歩いてぶつかる氷川神社前を右へ進んだ。

さらに100mほど歩き、駐車場の手前を、案内板にしたがって右折して狭い通りに入って、そのまま「下落合野鳥の森公園」に入った。

傾斜を活かした公園で、小川や池がある緑豊かな場所だった。もっとも、公園と言ってもすぐそばを普通の坂道が通っていて、ほどなく園地からその坂道に出た。

 

坂道を上り、横断歩道のある交差点を左へ折れ、北西方向へ進み、目白通りを目指した。

狭い通りが続くと自分の現在地を何かで確認したくなる。

この通りには下落合公園があり、コースを外れていないことが確かめられた。

 

5分ほどで目白通りに出た。

そこを横断して左折し、通りを西へ向かった。

目白通りは尾根道だが、先ほどの新目白通りは神田川の谷を西進する通りだ。下落合駅あたりから西北西に向きを変え、「西落合一丁目」で目白通りと交差している。

 

「南長崎一丁目」で山手通りを横断し、南長崎交番が建つ二差路で目白通りを離れてトキワ荘通りへ進んだ。

本日のイベントのテーマである「漫画界の巨匠の足跡」が残る通りだ。

手塚治虫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐ、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子などの有名漫画家が若手時代に暮らしていたアパート「トキワ荘」あったことで有名になった。

 

トキワ荘は木造二階建てのアパートで、老朽化のために昭和57年(1982)に取り壊された。

その場所には現在出版関係のビルが建っているが、その一画にモニュメントが建てられている。

その近くには、彼らがよく利用した中華料理屋「松葉」がある。多くの漫画に登場するラーメン店だ。

 

少し進むと「昭和レトロ館」が現れた。

豊島区立昭和歴史文化記念館で、初めての場所だ。それほど長くこの地に足を運んでいないということだ。レトロ館は、昭和20年代に建てられた戦後マーケット「味楽百貨店」の建物を改装・整備された文化施設だ。入館は無料で、昭和の暮らしを感じる展示や、豊島区の昔懐かしい街並みを再現したジオラマ展示、昭和をテーマにしたイベントなどが開催されている。

 

この辺りが今日のコースの中間地点になっていたが、すでに90分が経っていた。

さらに通りを進むと南長崎花咲公園が現れる。入口にはアーチゲートができていて、「トキワ荘公園」に名称が変わっていた。

ここにトキワ荘ヒーローたちの記念碑が建っている。

 

そしてこの公園の奥にトキワ荘を再現したトキワ荘漫画ミュージアムができていた。

見学料は500円で、それを確認すると、引き返すことにした。

時刻はすでに11時を回っていた。

 

トキワ荘通りを目白通り(南長崎交番)まで引き返すと、Aさんたちは目白通りをゴールに向かうということだったので、彼らと別れて、マップに沿って歩き出した。

 

 

(後半へ続く)