天気に恵まれ、3月中旬以来となる西武のウォキングイベントに参加してきた。

池袋で受付した後、JR五反田駅に移動して、ここから品川宿経由でとなり駅のJR大崎駅にゴールする約6kmのコースが設定されていた。

 

久しぶりの池袋だが、受付場所に行く前に西口の須田場に寄ることにした。

池袋駅周辺には12店があるが、利用したのはまだ7店だ。西口に2店舗残していたので、今日はここを利用して西口を終了させることにした。よほどのことがない限り、西口に出ることはなかったが、いつの間にか地下道(エチカ池袋)が立教大学まで延びていた。

 

最初にC7出口近くのエチカ池袋店でお茶し、少し戻ってC8出口で地上に出て、駅方面に歩くとすぐ右手に池袋西口店が現れる。ここでは小物を買って、再び地下道に戻り、そこから東口に向った。

 

東口(南)から地上に出て、目の前の明治通り沿いに南へ歩くと、右手にダイヤゲート池袋が現れる。ここの2階広場が受付会場になっていた。天気も良く、参加者の集まりがいい。10時予定の受付は9:35辺りにスタートした。

ここから池袋駅に戻り、山手線内回りで起点駅の五反田に向った。

 

五反田駅からはソニー通り(八ツ山通り)を八ツ山橋を目指して歩くが、五反田駅にも須田場が2店ある。ここでは1店舗のみ、五反田東急スクエア店で雨t、冷たいお茶を一気飲みしてコースに出た。

10:25になろうとしていた。

「新八ツ山橋」まで特に途中に見学箇所はなく、黙々と歩を進めた。

腰痛をコルセットで抑え込んでいる身としては、誰かと一緒に歩かず、マイペースを続けた。

 

逆から歩いたことはあるが、五反田からの通りは初めてで、景色が新鮮だ。

20分近く歩くと、前方でぶつかる第一京浜の道路案内板が視界に入り込んできた。

左手の緑地帯は三菱開東閣だ。

右手には御殿山トラストタワーが近づき、品川教会の先を右折して御殿山庭園に立ち寄ることにした。

 

庭園方向から見学を終えたOさんが歩いて来られた。

御殿山は歴代将軍が鷹狩の休息所や、幕府重鎮を招いた茶会の場として利用されたそうだ。

 

庭園は御殿山トラストシティの南側に位置していて、昔ながらの面影を今に伝える日本庭園だ。

一瞬都心にいることを忘れてしまいそうになる。

池の奥には滝も設けてあった。

 

すぐに現実に戻った。

「新八ツ山橋」でソニー通りを横断して第一京浜沿いに「八ツ山橋」に向った。

八ツ山橋は、東海道とJR東海道線を立体交差させるために明治5年(1872)に架けられた橋だ。

自分の中ではゴジラが初上陸した地点として有名になった。

 

橋を渡って右へ進み、京急本線の踏切を横断して旧東海道へ入る。

ちょうど踏切が閉りかけに着いたが、これがなかなか開いてくれない。結局上り下りの電車4本を見送ることになった。

 

旧東海道は江戸時代初めに整備された五街道のひとつで、江戸・日本橋から京都・三条大橋までに53次の宿場が置かれて、東海道五十三次と呼ばれている。今日歩くのは、目黒川までの区間だ。

品川宿は、古くから港町として栄えていた品川湊の近くに設置された宿場町で、日本橋からの第一宿。時代劇にはよく登場する場所だ。目黒川を境にして、北品川宿と南品川宿に区分される。

 

「土蔵相模跡」の説明板が立つ建物の先の角を左折すると、品川浦の船だまりに出た。

今では埋め立てが進められて海岸線が遠ざかっているが、かつては東海道のすぐ近くまで海岸線が迫っていた。品川浦は古くから魚介類の豊富な水揚げを誇り、海苔の主産地でもあった。

 

旧東海道に入らず、間違えて八ツ山橋を渡ってまっすぐ来た人たちが続いていた。

地図よく読まずに前の人の後を付いてきたのだろう。ま、旧東海道の東側を並行しているので、はぐれることはなさそうだ。

 

旧東海道に戻って歩を進めると、ほどなくして左手に台場横丁が現れた。

嘉永6年(1853)のペリー浦賀来航を受け、江戸防備のための「御殿山下御台場(砲台)」が築造された場所が、この横丁の先、台場小学校付近になる。

 

さらに進むと、今度は品川宿本陣跡に整備された聖蹟公園が現れた。

明治5年(1872)に宿駅制度が廃止された後は警視庁品川病院になったが、昭和13年(1938)に公園として整備され、今日に至っている。公園名は、明治元年(1968)に明治天皇が東京へ行幸される際に行在所となったことに由来している。

 

前方に山手通りの「東海道北品川」交差点が見えてきた。

その手前を右折すると、第一京浜西側高台に鎮座する品川神社に続く北馬場参道通りだ。

品川神社は3月のJRのイベントで参拝しているので、今日はスルーした。

 

「東海道北品川」交差点を横断した先で目黒川に架かる品川橋についた。

そこを右折して左岸沿い遊歩道を歩いて行った。

 

前方に朱塗りの鎮守橋が見えてきたが、その前には荏原神社が鎮座していた。

和銅2年(709)創建の古社だ。古より品川の龍神さまとして、源氏、徳川、上杉等、多くの武士の信仰を受けて現在に至っている。本日のコースに組まれてはいなかったが、府中・大國魂神社の「くらやみ祭」のポスターが目を惹かれた。

 

祭は「潮汲み」と呼ばれる「品川海上禊祓式」で始まる。神職一行が品川海上に出て身を清めるとともに、清めの海水を神社に持ち帰る儀式だ。これを知るまで、府中市内の「しながわみち」の由来がわからなかった。そんなことを思い出した。そうか、明日は神輿渡御か。

 

京急本線の高架をくぐり、その先で第一京浜を横断して、さらに遊歩道を進む。

要津橋、子どもの森公園を過ぎる。「要津(ようしん)橋」、読めなかった。

 

前方にJR東海道本線の高架が現れた。

東海道本線の高架を過ぎた先は東海道新幹線、JR山手線の高架が続く。

 

このあたりはかなり以前に歩いたことがある。まだ歩き慣れていない記憶があるので、2013~2014年頃だろうか。高架を過ぎた先は目黒川に架かる「居木橋」へと続いている。

この「居木」も当時は読めなかった。「いるき」と読む。

橋を渡って川の右岸沿い遊歩道に移った。

 

ほどなくして左手に居木橋公園が現れた。

公園の先が「ゲートシティ大崎」になる。ゲートシティ沿いに歩いて、小関橋左折するとゴールのJR大崎駅南改札口だ。と、その前にゲートシティ大崎内(1F)の須田場でひと息入れることにした。

10分ほど休憩した後、駅に向かった。

このフロアから案内板にしたがってエスカレータで3Fまで上がると、大崎駅が視界に入ってきた。

ゴール時刻はまもなく12時になろうとしていた。

95分か。あれだけ休んで見学してこの時刻とは、距離が短かったおかげだな。

 

日射しは強かったが、それを中和させるような涼しい風で、快適に汗もかかずに歩くことができた。

天気次第だが、次は来週10日かな。