時間ごとの天気予報についていた傘マークがすべて曇りマークに変わったのを確認してJR東日本主催のウォーキングイベントに参加してきた。渋谷駅から青山霊園、神宮外苑、明治神宮を経由して原宿駅にゴールする約8.5kmのコースで、忠犬ハチ公の生誕100年を記念して企画された。

 

19日から始まったイベントは今日が最終日で、最近ほとんど足を運んでいない渋谷駅周辺を見てみたい気持ちと、周辺の須田場をほとんど利用していないので、ひとつでも多くの店舗スタンプをゲットする目的もあった。明大前駅で京王井の頭線に乗り換えて渋谷駅に着いたのは9:25だった。

 

受付は10:30と遅いので、この間に須田場の渋谷マークシティ店、渋谷フクラス店、渋谷サクラステージ店を回った。マークシティはよく知っているが、残り二つは初めて耳にする場所だった。マップを頼りにウロウロしてたどり着いたのはよかったが、そこから受付場所のJR渋谷駅西口に出るのに結構歩いてしまった。

 

受付場所に10:15頃着いたが、すでに参加者の列ができていて、自分は20人目だった。

予定よりも15分早く受付が始まり、10:20にはスタートできた。

ここからまず新南口を目指すが、景色は様変わりしていて、まったく未知の世界だった。しかもまだ工事中の場所が多数残っている。

 

駅舎を西に出ると、すぐに左折して正面の階段を上っていった。

首都高速の高架をくぐってまっすぐ進んだ先は、3番目に立ち寄った須田場が入っている「Shibuya Sakura Stage」だった。こんなに簡単なルートがあったとはな。

 

この施設は、「SHIBUYAタワー」と「SAKURAタワー」を中心にオフィス・商業施設・ホテル・住宅が建ち並び、昨年11月に竣工している。新しく整備された歩行者通路のネットワークによって渋谷駅周辺の回遊性が向上したそうだ。身体が覚えるまで時間がかかりそうだ。

 

渋谷サクラステージの建物内を歩いて行き、突き当りを左折して、その先のエスカレーターで3階に上がると、線路沿いに並行するデッキに出た。

ビルが迫って、渋谷駅のホームが窮屈そうに見える。

線路沿いにデッキを歩き、イベント広場らしき場所の先の階段を下りた。

階段を下りた先を左折すると、新南口への案内板が現れた。

 

駅舎を出ると、迷路から抜け出たような感覚になり、ようやくすっきりした。

目の前の道路を横断した先で、渋谷川に架かる八幡橋を渡った。

その先は明治通りで、歩道橋で通りを横断した。

 

歩道橋を下りて、ACCEA CAFEの手前を左折して細い通りに入るが、曲がる前に、前方に須田場の看板を視界に捉えた。渋谷3丁目店だった。時間はとれないので、小物を買って店をあとにした。

 

先ほどの狭い通りに戻って歩いた先に「金王(こんのう)八幡宮」が鎮座していた。

目の前の階段を上って境内に入ることもできたが、ここはマップ通りに、突き当りを右へ折れて正面へ回った。

 

金王八幡宮は、寛治6年(1092)、源義家が後三年の役で勝利したことを八幡神に感謝して当地に創建したと伝わっている。領主であった河崎重家は堀河天皇より渋谷の姓を賜り、これが渋谷の地名の由来になっている。

春日局が三代将軍が家光に決定したことの御礼として建立した総漆塗社殿が有名。

社殿横の桜は「金王桜」と呼ばれ、花弁は5~6枚だが、雄しべが花弁化したものもあり、ひと枝に一重と八重の花が混じって咲く珍しい桜だということだった。それだったら開花の時期に来たかったなあ。

 

参道を南東に出て、八幡通りを横断して左折し、楽器店の手前を右折して狭い通りを進んだ。

常盤松小学校の先で大きな通りに出るが、そこを横断して左折し進むと前方には國學院大学が見えてくる。昨年も何かのコースで訪れたことがある。

 

大学の渡り廊下の下を過ぎた先の右側に「白根記念渋谷区郷土博物館・文学館」がある。

渋谷区議会議員を務めた故白根全忠氏から寄贈された宅地跡に建ち、渋谷の歴史やゆかりの文学者を紹介している。関心はあったが、開館時刻の11時まで15分ほど待つ必要があり、残念ながら見学はパスすることにした。イベントの受付時刻の10:30は遅いなと思っていたが、ここの開館時刻に合わせていたんだろうな。

 

このまま通りを進んで行くと、「東四丁目」交差点に出た。

そこを左折して緩やかな坂を上っていく。「南青山七丁目」で、頭上を首都高3号渋谷線が走る六本木通りを横断すると、通りは美術館通りになる。

 

「南青山六丁目」で骨董通りを横断すると、右前方に通り名の由来になった根津美術館が見えてきた。

通りからは見えないが、美術館には崖地を利用した滝もある庭園が素晴らしい。

外国の方が呼んだと思われるタクシーが出口に近寄っていった。

 

美術館を過ぎ、青山陸橋で外苑西通りをまたぐと青山霊園だ。

「青山墓地中央」で左折して墓地通りを北へ歩いた。

 

一般には「青山墓地」とも呼ばれているが、正式には昭和10年(1935)から「青山霊園」と称されている。元は、美濃郡上藩青山家の下屋敷があった場所で、明治5年(1872)に神葬墓地として定められ、明治7年(1874)に開園した。管理は東京都。神仏共に埋葬でき、総面積27万㎡は23区内の霊園としては最大のものになる。

 

青山通り側にある霊園管理事務所で「霊園マップ」と「歴史的墓所ガイド」がもらえる。

ウォーキングコースからはやや外れるが、東三通りにある「忠犬ハチ公の碑」に立ち寄ってきた。

今日のイベントは忠犬ハチ公の生誕を記念したものだが、スタートでハチ公像を見ることもなく、ここまでやってきた。せめてひとつくらいは、とここに寄ることにした。見たからどうした、ということもないがただの自己満足だ。

 

霊園を抜けた先で青山通りの「赤坂消防署入口」に出る。

通りを横断して右折して明治神宮外苑いちょう並木に出る。

この場所の東西に須田場が存在するが、中途半端に離れているので、今日はスルーした。

 

この時期のいちょう並木は初めて歩く。

青山通りから奥にいくほど樹高を低くして、外苑にある聖徳記念絵画館が遠近法の効果で実際よりも遠くに見えるように工夫されている。自分の視力では青山通りから絵画館を一望することはできない。

 

いちょう並木が終わる辺りが今日のコースの中間地点だった。

時刻は11:35。スタートして75分が経っていた。

ここからは、当然ながら、聖徳記念絵画館が一望できる。

聖蹟記念絵画館は明治天皇一代の事績を描いた絵画が展示されている施設だ。中央棟頂部のドームが特徴である建物は平成23年(2011)に国の重要文化財に指定された。

 

外苑周回路を時計回りに歩き、二つ目の信号で通りを横断して国立競技場の敷地に入った。

できるまでは興味津々だった競技場も馴染んだ一光景になったようだ。

 

青山門(Gゲート)から外苑門(Eゲート)に進み、その先から左手(南)の階段を下りた。

国立競技場の南に隣接した土地を再開発されたのがここ都立明治公園だ。

100年の杜を目指して約650本の樹木が植えられた「誇りの杜」のほか3つの広場や店舗がある。

その店舗にある須田場の看板が目に留まった。今日5店舗目になる。

 

「仙寿院」交差点まで少し戻り、そこから仙寿院の下を通る千駄ヶ谷トンネル方面へ向かった。

トンネルを過ぎ、「神宮前二丁目」の右折して北へ向かう。

 

250mほど歩くと鳩森八幡神社に着いた。

境内に入る前にすぐ近くにある将棋会館に立ち寄った。

 

久しぶりの将棋会館だが、藤井聡太八冠のグッズが増えていた。と、グッズを買うためではなく、マンホールカードをもらうための立寄りだ。

もらえるときにはもらっておく。これは基本だ。

 

あらためて鳩森八幡神社境内に進んだ。

千駄ヶ谷一帯の総鎮守である鳩森八幡神社には、寛政元年(1789)の築造とされる富士塚がある。

山裾には里宮(浅間神社)が、七合目の洞窟には身祿様、山頂には奥宮が安置され、富士山を再現している。登山可能。

 

「鳩森八幡神社前」交差点を左折して千駄ヶ谷大通り商店街へと進んだ。

通りの先で明治通りの「北参道」交差点に出た。

 

明治通りを横断してJRの高架をくぐって、明治神宮の北参道へ入った。

先日のバラエティ番組で外国人が訪れる場所の上位に明治神宮が入っていたが、それを実感するように外国人の観光客の姿を多く見かけた。

 

境内を南へ歩く。

拝殿を経由してゴールの原宿駅までは約1.4kmくらいだ。

 

今日は結婚式が挙げられたようで、車に乗り込む前の花嫁の周りにはカメラに収めようとする外国人が集まっていた。そして拝殿前の境内は外国人参拝客を中心に混雑していた。

 

帰りは南参道を歩いて原宿駅に向かうのだが、境内を出て驚いた。

参道は人で埋め尽くされかけていた。

考えてみれば、隣接する原宿駅からのアクセスの方がずいぶんと楽だ。

 

原宿駅ゴール時刻は12:35を回っていた。

コース全体は何度も歩いた記憶があるが、コース途中に初めて訪れた場所も数ヶ所あった。

これで今年度のウォーキングはすべて終わった。いや、立川根川の桜が咲いたら、立川から国立まで桜を見物しながら歩こうと予定していた。

 

 

駅前の「WITH HARAJUKU」にも須田場が入っているので早速足を運ぶと、注文するまで10分以上も待つことになってしまった。他にも店舗はあるが、ここだけで疲れてしまった。チャンスはあったが今日は6店で終えた。