1ヶ月ぶりにウォーキングイベントに参加してきた。

JR東日本主催で、田端駅から本郷台地を抜けて、上野公園・谷中周辺を散策する約8kmのコースだ。

 

田端駅から上野不忍池へ向かうコースは2020年の谷中七福神めぐりに参加したのが最後ではなかったかな。実に4年ぶりになる。もっとも、本コースへの参加の決め手になったのは、田端駅と上野恩賜公園内に未利用の須田場があることが大きかった。

 

受付は9:30からだったが、朝の珈琲を飲もうと9時には駅に着いた。

北口改札を抜けた駅ビル2階のアトレヴィ田端店(250店舗目)で休憩し、9:30少し前に下に降りると、すでに受付は始まっていた。

マップを受け取ってコースを確認すると、本郷台の須田場3店をつないでいるではないか。こういう機会でないと行くことはないため、いいコースを選んだと内心喜んだ。毎回珈琲を飲むことはない、登録カードで1円でも使うだけでいい。

 

9:30にスタート。北口から駅前通りを南へ歩いた。

通りの右手(西)には田村文士村記念館が建っている。「のらくろ」のマンホールカードの配布場所だ。

「谷田橋」交差点で谷田川通りを横断する。谷田川はすでに暗渠化されていて、交差点の名に歴史が残されている。

 

「動坂下」交差点で不忍通りを横断して坂を上った。

「動坂」は「不動坂」の略称で、かつて坂上に目赤不動尊を祀る南谷寺の旧跡都云われる日限(ひぎり)地蔵堂があったことに由来するようだ。

 

坂を上った「動坂上」交差点を左折して狭い通り(本郷保健所通り)へ入った。

道なりに進んで行くと右手に最初の訪問地の「高村光太郎旧居跡」があるはずだったが、見つからない。マップではクリニックの隣りのように見えたが、少し手前の路地へ入ったあたりで、説明板だけが立てられていた。進行方向は逆で視界に捉えられなかった。

 

この地に高村光太郎は1912年(明治45年)から1945年(昭和20年)まで暮らし、この間に「道程」や「智恵子抄」が生み出された。住居は空襲で焼失している。

 

通りは大観音通りの「団子坂上」に出る。

ここを右折したすぐ先に「文京区立森鴎外記念館」が建っている。森鴎外の旧居「観潮楼」の跡地に建てられた。一度見学したことがある。今日は時間が早く、開館10分前だった。

 

先ほどの「団子坂上」交差点に戻り右手の細い藪下通りへ進んだ。

藪下通りは、本郷台地の上の中山道と下の根津谷の道(不忍通り)の中間、本郷台地の中腹に、根津神社裏門から駒込方面へ通じる古くから自然にできた脇道とのことだった。途中には「汐見坂」があり、都市開発が進む前には海が望めたそうだ。

 

坂を下り、さらに通りを進むと、右前方に日本医科大付属病院が見えてきた。

マップでは解剖坂の階段を上がることになっていたが、須田場に寄るため、突き当りの根津裏門坂を右へ折れた。病院の正面玄関を入った左手に日本医科大学附属病院店(251店舗目)がある。

坂を上った先の「日本医大前」交差点でコースに戻った。

 

通りを横断して、再び狭い通りを南へ向かった。

突き当りを右へ折れた先で本郷通りに出た。

通りの左手は東京大学だ。

 

「本郷弥生」の交差点で言問通りを横断すると、左手は東大工学部のキャンパスになる。

ここに須田場の東京大学工学部店がある。ちなみにこの辺りの弥生地区で発見された土器が「弥生式土器だ。正門の守衛さんに挨拶して須田場に向った。

252店舗目。クッキーをひとつ買ってコースに戻った。

 

ほどなくして左手に「東大赤門」が現れた。

文政10年(1827)、加賀藩主前田齊泰が11代将軍徳川家斉の息女溶姫を正室に迎えるために建てた朱塗りの御守殿門だ。当時、三位以上の大名が将軍家から妻を迎えた場合、表通りから妻の住居に出入りする朱塗りの門を御守殿門と呼んだ。

 

さらに本郷通りを南へ下る。春日通りと交差する「本郷三丁目」の手前が今日のコースの中間地点だった。およそ1時間が経過していた。まあ、これだけ須田場に寄っていたら当然か。

と、ここにも本郷東大前店(253店舗目)があった。

 

交差点を左折して春日通りを東へ向かった。

本富士警察署前を過ぎると左手に麟祥院が現れた。コースに組まれてはいなかったが、久しぶりなので写真だけは撮っておいた。山門前に建てられた像は春日局で、麟祥院は春日局が開基となって建立された臨済宗妙心寺派の寺院。春日局の菩提寺でもある。

 

さらに200mほど歩くと、右手に湯島天満宮が現れる。

この季節は多くの受験生で賑わう神社で、梅の名所でもあり、2/8~3/8まで梅まつりが開催される。

 

「天神下」の交差点を渡って左折する。

100m先の不忍通り「池之端一丁目」を横断した先は不忍池の湯島口だ。

 

池の周りを時計回りに歩いて行く。

前方には弁天堂が見えている。

残念ながら下町風俗資料館は改修中で、リニューアルオープンは来年3月とのことだった。

 

弁天堂入口まで歩き、信号で動物園通りを横断して正面の階段を上った。

前方に姿を現すのが清水観音堂だ

上野寛永寺の創建時に造られた最古の建物だ。寛永2年(1625)に天海大僧正が江戸城の鬼門の守りとして寛永寺を造営した際、京都の清水寺になぞられた舞台づくりで建設された。

 

歌川広重の『名所江戸百景』にも描かれ、「月の松」が有名である。ちなみに広重の『名所江戸百景』の「上野清水堂不忍ノ池」は「鬼平犯科帳決定版」の第九巻の表紙絵にも使われていた。

 

清水堂からさくら通りへ降りて、園路を北へ向かった。

左手にトーテムポールが立てられた角を左折する。向かうのは上野東照宮だ。

東照宮入口手前のぼたん園では冬牡丹が見頃を迎えていて、多くの人が入園口に並ばれていた。

 

上野東照宮参道に入った。

寛永4年(1627)に創建された徳川家康を祀った建物だ。

過去にテレビで初めて内部が放映されたのを見て、一度は実際に見てみようと思うのだが、ここに足を運ぶのはウォーキングの途中で、時間の都合で、透塀の内部はまだ見学したことがない。決して拝観料の500円を惜しんでいるわけではない。

 

さくら通りに戻って噴水池を目指す。

動物園の表門前を過ぎた先に須田場だ。

上野恩賜公園店(254店舗目)はいつも大混雑していて、店内で休憩するのはタイミングが難しい。

 

須田場の先に「寛永寺根本中堂跡」の説明が立てられた近くで「寒桜」が開花していた。

もう桜の季節が始まるか。今年の東京の桜開花は3/20頃と予測されている。

見学エリアの制限はあるが、今年も多摩森林科学園に通うことになる。昨年の年パスの有効期限が延長されるようだから、今年はただで園内見学ができる。

 

噴水の先を左へ折れた先で、東京藝大脇から屏風坂通り(都道452号)に出た。

そこを左折して、二つ目の信号で交差する道路を横断する。その先の一方通行の細い通りへと入った。

狭くても先ほどの都道452号の続きだった。

「上野桜木」で言問通りを横断して、道幅は二車線になった。

交差点角には昔からあり、観光名所にもなっている喫茶店「カヤバ珈琲」がある。

 

ここから約200m先のY字路を右へ直進する。

通りは谷中霊園へと続いている。

台東区にある都立霊園で、約10万㎡の敷地に7000基の墓がある。

 

霊園に入るとすぐ右手に徳川慶喜の墓所を案内する矢印が立てられていた。以前訪れた際に場所内へ進んだが、帰り道がわからなくなり、霊園内を彷徨ってしまった。霊園マップがなかったら、コースから逸れてはいけないと強く思った。

 

霊園を北へ抜け、天王寺の西側の坂を下ると、線路をはさんだ日暮里駅に着いた。

ここを左折し、線路沿いに歩いていくと、日暮里駅の北改札口前に出た。

左へ歩くと谷中銀座で、猫の町を意識しているのか「日暮里駅」の文字は猫文字?になっている。

 

時刻は11:40。所要時間は2時間10分で、足が軽く、見学時間もほとんどかけなかった割には少々時間がかかった。それもこれも「S」のせいだな。ま、プリペイドカードの残額は1633円から364円に減ってしまったが、おかげで今月は10個のスタンプが新たに増えた。

 

さあ来月はどこを歩こう。