今日は気持ちよく晴れ上がった。
気温は上がったが、涼しい風が吹き、ウォーキングにはもってこいの日になった。
今日のコースはJR東日本が主催する神奈川県寒川町の9kmの歴史散歩だ。JR相模線の寒川駅が起点駅になる。
受付は駅北口前広場にある観光協会で9:30からだったが、外で待っていたら早めに入れてくれた。
マップと缶バッジを受け取った。バッジは3種類あり、全部持って行ってもいいと言われたが、すべて昨年度の残り物で、すべて入手済みだった。
マップに寒川駅のスタンプを押印して、9:15にコースに出ていった。
県道47号線を東へ歩き、150m先の「岡田」交差点を横断して右折。
この交差点から相模線の踏切まで200mもなく、大型トラックや路線バスで渋滞していた。本数がさほど多くない踏切にひっかかるとは運が悪い(笑)
それを横目で見ながら、踏切の手前で左折して、相模線と平行する道路をまっすぐ進んで行った。
600mも歩いただろうか。突き当りで左手の階段を上り、道路を横切り、小出川に架かる寺尾橋を渡った。
小出川は藤沢市の笹窪谷戸を水源とした相模川水系の流路約11kmの一級河川で、平塚市で相模川に合流する。
川の下流方向に見える橋は相模線の鉄橋だ。
橋を渡ってすぐ右折し、曲ったらすぐに左折する。
車1台で道幅いっぱいになる狭い道路で、車とすれ違う際には畑地に避難するしかない。
その突き当り左手に駐車場があり、多くの車が駐車していた。どうやら崖の上にある幼稚園に通う園児の保護者の車のようだ。
その東側に「下寺尾官衙遺跡群(七堂伽藍跡碑)」があることを示す石碑が建てられたいた。
官衙遺跡群は約1300年前のもので、相模国高座郡の郡役所跡だ。
七堂伽藍跡碑周辺は7世紀前半から9世紀後半にかけて寺院があったと考えられている。
官衙跡は崖の上らしいが、南側に歩くと、相模線に沿った広場に出るが、その辺りに伽藍域があったと推察レているようだ。
その広場に遺跡群の説明板が立てられていた。
そこへ少ない本数の相模線が茅ヶ崎方面から走ってきた。
そのまま電車の姿を追っていると、冠雪した富士山が見えることにようやく気がついた。
河口湖に行っても目にできなかった富士山だが、離れた場所からはよく見えるものだ。
先ほどの寺尾橋に戻り、橋を渡って左折し、そのまままっすぐ南西方向へ歩いて行った。
大曲踏切を渡って、約300m先の交差点を右折して中瀬の住宅街へ入っていった。
道なりに200mほど進むと突き当りにぶつかる。
その右角に高安善塚が建てられていた。
塚の由来には悲しい話が残っている。
むかしむかし、海老名の国分尼寺から遣わされた美人の若い尼が榎堂を建て、七堂伽藍の堂守として通っていた。
ところが、七堂伽藍の輝きで魚が獲れずに困っていた漁師を助けたい一心でお堂を焼き払ってしまった。
その罪で火刑にされた尼さんを供養したものが「高安善塚」であるとされている。別名「美女塚」というそうだ。
突き当りを左(南)へ曲り、その先の突き当りを右折すると県道45号に出た。
県道は北へ延び、「景観寺前」で、西から来る県道44号に接続する。
県道沿いに歩き、景観寺に向かった。
天平宝字元年(757)に創立されたと伝えられる天台宗寺院で、窪田山と号する。
天台宗ではあるが、境内には弘法大師坐像がある。これは真言宗の南泉寺から移されてきたと言われている。
本尊の十一面観世音菩薩立像は室町時代の作と推定され、町の指定重要文化財になっている。
県道をさらに150mほど進むと、一之宮八幡大神に着く。
元禄10年(1697)の創建と伝えられるが、梶原景時が一之宮に館を構えた鎌倉時代に、鬼門除けの神社として創建されたという説もある。
8月には3基の山車が町内を巡行する屋台神賑行事が開催されるとのことだった。
さらに150m進むと、今度は妙光寺が現れた。
創建年代は不詳だが、開山した唯常院の没年が天文元年(1532)なので、創建はその頃まで遡る。如日山と号する日蓮宗寺院だ。
本堂は新しい。確認すると昨年新しく落成されたそうだ。
境内には高安善塚の供養碑や題目塔が安置されている。
ここで横断歩道を渡って北側の路側帯を西へ進んだ。
県道44号が県道46号と交差する少し手前に梶原景時館址がある。
梶原景時は、治承4年(1180)に石橋山の合戦で洞窟に逃れた源頼朝を救った縁で、翌年頼朝の家臣になった武将だ。
一之宮のこの地に館を構えたと伝えられている。当地内には天満宮が祀られている。
館址を後にし、県道46号を歩道橋で横断した。
県道はここから再び47号になる。47号はJR相模線の南側をぐるっと回っているようだ。
県道47号を600mほど西へ歩くと、前方に圏央道の高架が見えてくる。
その手前右(北)側に八角広場の緑地帯が現れた。
ここが旧国鉄相模線西寒川駅があった場所で、廃駅後に公園化された。
敷地内には、相模海軍工廠および西寒川駅の記念碑、それと線路跡の一部が残されている。
なお、八角広場の「八角」は、広場に造られた八角形の噴水に由来している。
噴水の先から北東方向の寒川神社参道入口近くの大門踏切まで旧寒川支線跡を利用した一之宮緑道が続いていた。
途中一之宮公園に隣接した200m区間には寒川支線のレールが保存され、公園区間前後には動輪も残されている。
一之宮緑道を抜け、大門踏切を渡って寒川神社表参道へ進んだ。
一の鳥居を過ぎ、約100m歩いたところで左の寒川神社の森を横切った。
鉄柵の先は水の広場への門へと続いていた。
広場内には県営水道発祥の建物を利用した水道記念館が建っている。
館内を見学させてもらった。
1階は水について遊びながら学べる展示で、どちらかというと子供向けだ。大人は2階の展示がお薦めだ。
ここで水の500mlPETボトル1本をいただいた。
昨年もらった水は飲む前に消費期限が過ぎてしまった。
今年は飲もうと採水地を確認すると、自分が住む市内の鳥屋だった。消費期限は7月11日で、あと2ヶ月しかない。残り物をもらったか(笑)
水の広場から、再開の目途が立っていないプールの西側を北へ抜けていった。
目久尻川にぶつかって右(東)へ曲ると表参道に戻った。
信号を渡って左折すると、前方には二の鳥居が見えてきた。
さらに参道を進み、三の鳥居が見えた右手に10番目の見学場所「西善院(さいぜんいん)」が建っていた。
寒川神社を訪れるたびに気になっていた寺院だ。
西善院は高野山真言宗寺院で、創建年代はよくわかっていない。
もとは寒川神社の供僧だったが、明治維新後の神仏分離令で神社から独立している。
境内には握手大師像が設置されていて、握手するとお大師さまとご縁を結ぶことができるそうだ。
握手しながら、何気に建屋の玄関に目をやると、そこにはミッキーマウスとミニーの石像が設置されていた。
なんだかそっちの方が気になってしまった。
西善院を離れて寒川神社に参拝した。
相模国一之宮の寒川神社には、相模国を中心に広く関東地方を開拓されたという寒川比古命と寒川比女命の二柱が祀られている。
歴史は古く、延長5年(927)に編纂された『延喜式』神名帳に名神大社として名を連ねている。
正月の大混乱状態を知っているので今日の静寂はありがたい。
八方除けの守護神で、しっかりとお参りしておいた。
神社を南東角に出ると、道路を横断して畑地用水路沿いの小道を南へ進んだ。
突き当りを左折した先で県道46号にぶつかった。
そこを右折して、県道を南下すると、すぐ右前方にJAさがみの直売所「わいわい市」が見えてきた。
11:15を回った頃だが、どのレジにも長い列ができていた。
客のかごには多くの花の苗が入っていて、現在は新しい苗が出てくる時期なので、このような状態になっているとのことだった。
あまりの人手に、館内でどんなものが扱われているのか入ることもできずにスルーすることになった。
県道46号をさらに南へ歩き、「寒川町役場前」の信号で左の通りへ進んで行くと、その先は寒川駅前に通じている。
北口商店街を通って駅前に戻ると、観光協会に立ち寄った。アンケートに答えるためだ。
アンケートに答えて寒川町のクリアファイルをいただいたところで、ゴール!時刻は11:35だった。
あちこち見学した割にはまあまあの時間だった。
今日は風があって助かったが、橋本駅に戻る頃にはかなり強く吹くようになっていた。
次は日曜日の西武イベントだ。夕方から雨になる予報なので、午前中にゴールすればいいだろう。