同情が何故悪い? | The World Is Waiting For The Sunrise

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日馬富士に同情する人はすぐに目を覚ませ

12/30(土) 11:15配信

PRESIDENT Online

 

元横綱・日馬富士の暴行事件を巡って、相撲協会の対応に注目が集まっている。なかには「日馬富士がかわいそうだ」と考える人がいるかもしれない。だが、人事コンサルタントの新井健一氏は、「相撲協会のガバナンス不全が目につく」としたうえで、「日馬富士に同情する人は非常に危険だ」という。どこに問題があるのか――。

■法令遵守を最優先するのは当然

 連日マスメディアを賑わせている「貴ノ岩暴行事件」。もはや解説は不要だろう。日本相撲協会を取り仕切る一部の理事、横綱と、貴乃花親方が真っ向から対立している。本来であれば、互いに協調し、なにより組織的に対応しなければならないはずだが、そうなっていない。

 この事件を人事コンサルタントとして眺めたときに、筆者はある種の違和感を覚えつつ、また別の観点からは日本企業にも大いに通ずる“病巣”を見て取ることができる。

 まず、事件をコンプライアンスという観点から整理してみたい。貴乃花親方は弟子のケガを見とめてすぐ警察に駆け込んだ。これは正しい。どう話をこねくり回そうと、法令順守は組織内のルールやマニュアルに優先して当然であり、その逆はあってはならない。

 だがその後、同親方が協会からの出頭要請に応じず、危機管理部長の鏡山親方(元関脇多賀竜)の訪問も無視しているという。これは明らかに協会に対する背任行為である。

 これらの問題の原因は、相撲協会のガバナンス不全に求めることができるだろう。企業でコンプライアンス教育を受けたビジネスパーソンの目線からすれば、暴行したら捕まる、その上で組織人としての対応に不備があれば背任行為だ、とシンプルに認識できる。なぜこれ程までにややこしく揉めるのだろうと、不思議に思うはずだ。

■相撲協会という不思議な組織

 ガバナンス不全の真因は、力士(元力士)が協会運営のすべてを取り仕切っていることにある。協会は、いわば三権分立を謳う日本国にある独裁国家だ。つまり、「行政組織」を適切にチェックする機能がない。そして、独裁の頂点には、相撲部屋を取り仕切る親方衆や元横綱がいる。2008年に暴行死事件が起きたのを契機に外部からも監事が登用されたが、一般的な企業に比べて規制力が低いのは、今回の事件を見ても明らかだ。

 そもそも、公益法人である相撲協会では、理事が経営責任をとることもない。部屋間の移籍もなく、年寄りまでのキャリア形成が一直線で、流動性は一切ない。「それが伝統だ」と言われるかもしれないが、現代では考えられない、固定化された内向きの組織で、外の社会と折り合いをつけるのはますます難しくなっていく。

以下略

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171230-00024128-president-soci&p=2

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171230-00024128-president-soci&p=3

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171230-00024128-president-soci&p=4

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あちこちに???な記述がある記事だと思うが、一番気になるのは、同情の何が

悪いのだろうという点だ。昔、映画「男はつらいよ」で寅さんが宇野重吉さん演じる画家に

対して、「何で同情しないんだ!」と激怒したシーンを思いだしたが、私はこの事件の

加害者である日馬富士に、かなり同情している。筆者は後述で

 

貴ノ岩と日馬富士の関係は事件前後も良好で、鳥取県警が貴ノ岩を聴取したときにも、加害者・日馬富士に対する「うらみ、つらみ」はほとんど聞かれなかったそうだ。それに、事件直後の鳥取巡業で両者が握手をしていたのは、多くの力士や関係者が目撃している。貴ノ岩にしても、モンゴルコミュニティーにおける関係性を良好に保ちたいという気持ちがあるだろう。だから、本当は穏便に済ませたかった、日馬富士や白鵬をかばいたかった、隠しておきたかった、というのが正直な気持ちなのかもしれない。

 

と記しているが、ならば日馬富士の示談に応じて穏便に処理してた方が、貴ノ岩、日馬富士、相撲協会の為には良かったのではないかと思うのだ。ただ、示談といっても、日馬富士が100%悪いのは

明らかなので、それ相当の慰謝料や減給、出場停止等の重い処分も必要だっただろうが。

この事件は酒の席でもあったし、一般社会のどこででも起こりうる単なる喧嘩の延長とい認識が

私にはあって、筆者が後述してる、死亡事件に発展した暴力と同列に扱うべき事件ではないと思う。

それと、もちろん示談には同席してた力士の処分も含まれるだろうが。

あと気になったのは、筆者が最近多発してる企業の不祥事が、集団凝集性の高まりに起因してると

認識してる点だ。

私にはむしろ、頑固な職人魂や組織の緊密な連携、連帯責任意識が希薄になってきた結果の様に

思えるのだが。クレームに対する反応も昔の方が早かった。だからクレーム詐欺みたいな事件も

起きたのだ。言っちゃー悪いがこの記事はかなり机上の何とか的臭いがする。