李 炳銑「日本古代地名の研究(東洋書院)」を読んで(8) | 気まぐれな梟

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 今日は、パク・ウンビンの「無人島のディーバ」からパク・ウンビンの「Fly Away」を聞いている。

 

 李 炳銑「日本古代地名の研究(東洋書院)」(以下「李論文」という)は、多良岳,鳥山,鶴見岳について、以下のようにいう。

 

(18)多良岳,鳥山,鶴見岳

 

(a)多良,鳥,取,鶴は同源の地名


 佐賀県と長崎県の間に多良岳がある。このような地名は各地にあり,このtaraは「多良,多羅,太良,太羅」などに表記される。また,各地に鳥山,鳥坂,鳥崎山,鳥越,鳥形山,または鳥沢,鳥浜,鳥居坂,鳥島,白鳥の「鳥」の地名がみられる。また,このtori(鳥)と同源の地名として高取山,鳥取,砥取山など「取」(訓, tori)の地名がみられる。これと同源の地名に鶴見岳がある。この地名も大分県の鶴見岳(1375m)など,全国各地にみられる。

 

(b)tara/*tʌrʌ,またはtoro/*turu


 次には,山(岳)に付けられたtara(多良)と「鳥」,「取」とで表記されたtori,またはtsuru-mi(鶴見)の語源は何であろうか。これは韓国のどのような地名と比較されるのかが問題である。これは'山'を意味する韓国の*tara/*tʌrʌ,またはtoro/*turuと比較される。これを次に考察することにする。


 イ)松山県本高句麗夫斯達県(「史記」地理2,井泉)
   蒜山県本買尸達県(「同」地理2,井泉)
   犁山城本加尸達忽(「同」地理4,高句麗)
   崘梁県本高句麗僧梁県景徳王改名今僧嶺縣(「同」地理2,鉄原)
 

 口)黄山郡本百済黄等也山郡(「同」地理3,黄山)
   月山(「輿覧」19,忠清洪州,山川)
   石山県木百済珍悪山県(「史記」地理3,扶余)
   cf.馬突県〈一云馬珍〉(「同」地理4,百済)
 

 ハ)禦侮県本今勿県〈一云陰達〉(「同」地理2,開寧)
   月牙山(「輿覧」30慶尚晋州,古跡)

   樟山郡祗味王伐取押梁云云今章山(「史記」地理1,猝山)。
 

 上のイ)高句麗の地名で夫斯達=松山の対応関係から,「山」に対応する「達」はtaraの表記である。また,僧粱=崘粱=僧嶺の関係から「崘」(禿山,山無草木の義)と「僧」(僧は毛髪がない)が対応し,「梁」と「嶺」が対応するが,「梁」の訓が>tol(く*toro)である。「梁」の15世紀の訓(語形)がtolであるが,古代形ぱ*toroであったであろう。これをみれば,高句麗語で‘山'を*taraとも*toroともいったことがわかる。

 

 口)百済の地名で,黄等也山=黄山の関係から,黄山は黄等也山と対応するが,前者の「山」は,「等也」が‘山'の表記であることを示す説明的表記である。「山」と対応する「等也」は,「等」の訓(15世紀の語形tʌl)と「也」の音による*tʌrʌの表記である。

 

 次の月山の「月」は訓(15世紀の語形tʌl)による*tʌrʌの表記にみられる。現代語のtal‘月15世紀のtʌl‘月'の古代形は末音節に母音を維持した*tʌrʌにみられる。韓国の古代語は 日本語と同じく,開音節語であったからである。

 

 次に,珍悪山=石山の関係がみられるが,「石」(訓, tol)と対応する「珍」は,cfの「突」(音, tol<*toro)と同じであることがわかる。したがって,「珍悪」は*toroの表記(「悪」を憎むと訓む時には,音がoである)にみられる。「山」は説明的表記である。

 

 これをみれば,百済語で‘山'を*tʌrʌとも*toroともいったことがわかる。

 

 ハ)新羅の地名で,禦侮(山)=陰達の関係(「禦侮」は「陰」の異表記で,「山」を省略した二字化の表記)で,禦侮(amo)と陰(ama)が対応する。そして,「達」は'山'の表記である。したがって,新羅においても,‘山'を*tara(達)といったことがわかる。

 

 月牙山の「月牙」は「月」の訓, tʌlと「牙」の音aの借音による*tʌrʌの表記である。「山」は「月牙」で表記された語が‘山'であることを示す説明的表記である。これから,新羅においても,百済と同じぐ山'を*tʌrʌといったことがわかる。

 

 また,猝山=押梁=章山(章は樟の略体)の関係で,「樟」(訓, norʌ)と「押」(訓,nuri)が対応し,「山」と「梁」が対応する。「梁」の訓がtol(<*toro)であるのをみれば,新羅で‘山'を*toroともいったことがわかる。

 

 そして,この三種に表記された地名は'主山'‘主嶺'を意味するnuri-doroの表記にみられる。 nuriが‘主'の意味である。これをみれば,新羅語に‘山'を*tara, *tʌrʌ、*toroともいったことがわかる。

 

(c)高句麗語,新羅語,百済語の間に大きな差がなかった

 

 従来, 国語(韓国)学界で,高句麗語で‘山'を*tal(達)といったとの説はあったが,百済語・新羅語にもこのような語があったとの説はなかった。しかし,上にみるように,高句麗語,百済語,新羅語にこの語が同じくあったのである。これは'山'の語に限ったことではない。ほかの語も高句麗語,新羅語,百済語の間に大きな差がなかったのである。

 

 国語学界で南北間の言語の統一は,新羅の三国統一以後になされたというが,この考えは間違っている。その以前に統一されていて,南北間の言語の差はあまりなかったのである。

 

(d)'山'を意味する語にtara, *tʌrʌ, *toro,turu, *turiなどの異形態がある


 そのほかに,対応表記はみられないが,「三国史記」と「新増東国輿地勝覧」にみえる回山,周城山,周留(山)城の「圃」(訓, turu-),「周」(訓,turu-),「周留」(「周」の訓と「留」の音でturnの表記)は'山'の表記と思われる。そして,豆乃山,頭流山(智異山),豆里山の「豆乃・頭流」はturuの表記であり,「豆里」はturiの表記で,「山」はこの語が‘山'であることをみせている。これをみれば,山'を意味する語に*tara, *tʌrʌ, *toro,*turu, *turiなどの異形態があることがわかる。これは日本のtara(多良),tori(取), tsuru(<turu)(鶴)と比較される。

 

(e) talk=take

 

 そして,これは現代の韓国地名にもみえる。
 

  talk-moi(鷄山)(忠清北道沃川郡,忠清南道錦山郡の境界, 506m)

  talki-boo(鷄峰)(忠清南道錦山郡郡北面, 502m)
  talk-tse(鶏峰山)(忠清南道磯山郡と洪城郡の境界)
  talk-tse(鶏峰)(忠清南道燕岐郡錦山面)


 上のtalk-moi, talki-bog, talk-tscなどのtalは,*tara(>tal)(達)‘山'の痕跡であり, -k, -kiは接尾辞である。これは日本のtake(<*tara-ke)‘岳'の-keと比較される。日本語のtake‘岳'は*tara-keから,raが脱落したのである。このような語は全国的に分布し,その表記も多様であった。


 上の考察で,日本の高取(taka-tori)は'高山'の意味であることがわかる。鳥取は「和名抄」に鳥取郷をtotori no gooと読むとある。第一音節のtoは未詳であるが, tori(取)は'山'の意味であろう。日本の鳥山,鳥坂,鳥島などのtori(取)も韓国のtoro/tori‘山'と同じものと考えられる。

 

(f)tsuru-mi(鶴見)

 

 次のtsuru-mi(鶴見)で, tsuru(鶴)は韓国地名にみえるturn‘山'と同じものであり, mi(見)はmori‘山,森'から変化したもの(mori>moi>me>mi)である。このmi(見)‘山'については,御岳(mi-take)‘山岳'(東京都,鹿児島,対馬)のmiだけでなく,広見山(hiro-mi jama)(熊本県, 1,187m),見坂峠(mi-saka toge)(福岡県北部)のmi(見)でもみられる。

 

 また,目丸山(me-maru jama)(熊本県,1β41m),鬼の目山(oni no me-jama) (宮崎県1,491m),遠目山(to-me jama)など,mi‘山'の異形態としてのmE‘山’がみられる。

 

 鶴見山は, turu‘山'とこのmi‘山'が合成したturu-miがtsuru-miに変化したのである。 turuだけではその意味が確かでないので,後代にmi‘山'を説明的に添加したのである。日本語のtsuru‘鶴'と現代の韓国語のturu-mi‘鶴'は同源語で, -miは後代に添加された接尾辞である。 tsuru‘鶴'のts-はt-が破擦音化したのである。


 日本のtsuru-mi(鶴見)と同源の地名を韓国の地名に探ってみることにする。
 

  イ) turu-mi(山)(京畿道坡州郡)
   turn・mi山(山)(慶尚南道義昌郡東面)
   turu-mi(山)(慶尚南道蔚州郡彦陽面)
   turi-mi tse(鶴鳳山,杜陵山城)(忠清南道青陽郡)
 

  口)鶴舞山(忠清北道永同郡黄金虱684m)
   鶴舞山(京畿道江華郡江華邑)
   鶴舞山(江原道鉄原郡金化面)
   鶴舞峰(全羅南道高興郡占岩面)
 

 口)の「鶴舞」は, turu-mi,またはturu-moの表記で,‘鶴(訓, turu-mi)が舞う'との意味に合わせて,佳好字で二字化して表記したものである。


 日本の各地にtsuruの地名が多く,その表記に「鶴,絃,釣,敦,津留,都留,水流」などが借字される。その中には韓国のtil‘野',またはturu‘市邑’などから変化したものもあるであろうが,大部分はturu‘山'に由来したものであろう。

 

 また,各地にtsuno(角)が冠した地名が多い。角掛(tsuno-gake) (岩手県),角川(tsuno-kawa) (岐阜),角$1 (tsuno-sawa) (山形県),角田(tsuno-ta) (福岡),角原(tsuno-haraX福井県),角淵(tsuno-hu-tsi)(群馬県)など。このtsuno(角)の中にも, tsuru‘山'から変化(tsuru>tsunu>tsuno)したのが多いだろう。「角」にはtsunuとtsunoの両形があるがtsunuが古形である。


 奈良県竜門山西北に鳥見山(245m)があるが,「書紀」神武4年紀の鳥見山はこの山に比定される。「鳥見」を現在tomiと読むが,これは元来,*tori-mi‘山'からriが脱落したのであろう。 

 

 tori-mi(鳥見)はtsuru-mi(鶴見)(くturu-mi)の異形態で,このtori(鳥)は鳥山(tori-jama),鳥坂(tori-saka),鳥岬(tori-misaki)にみえるtori(鳥)‘山'で, mi(見)はtsuru-mi(鶴見)にみえるmi(見)‘山'と同じものである。

 

(g)富=飛=tori-mi

 

 日本の各地に富(兵庫県,岡山県,宮城県),鳥見(奈良),登美(福岡),迹見(奈良県)(みなtomiの表記)などtomiの地名が多い。また,これが冠する地名をみれば,富岡(tomi-oka),富坂(tomi-saka),富山(tomi-jama),富塚(tomi-tsuka),富田(tomi-ta),富野(tomi-no),富原(tomi-hara),富沢(tomi-d3awa),富島(tomisima),富松(tomi-matsu)など'があり,その被修飾成分は岡,坂,山,塚,田,沢,島,松などがある。

 

 これをみて,このtomi(富)はtori-mi>tomiと,riが脱落したものとみられる。そして,富岡(tomi-oka)は'tori-miの岡'に,富田(tomi-ta)は'tori-miにある田'に造語されたのであろう。

 

 これと共にtobi(富,飛,鵄,鴟などと表記)の地名が多いが,この地名もtori-mi(取見)‘山'から変化したtomiがtobiに,mがbに交替したのでないかと推測される。語中でm>bの交替は*nimu-to>*nibu-to(主夫吐)の例がある。

 

(h)十三塚(tomi tsuka)

 

 このtomi, tobiの地名と共に関心を引くのは,日本の各地に分布する十三塚(tomi tsuka)である。日本の学界で,この地名の由来についして多くの論難があった。

 

 池田末則博士は「地名‘十三塚'考」で,十三塚の十三(tomi)はtobu-hi(飛火,烽火の意味)―tobi(飛)一tomi(十三)と転じたのであろうと論じた。論中で小字地名トブシガエはobuhigane(飛ぶ火のgane)から変化したものとみた。 siはhi‘火'から変化したこととみて,tomi(<tobi)塚は兩請行事(祈兩祭)の時に,ここで‘火'を上げたのではないかと推測した。兩請行事にも火を上げたということである。塚は古墳をいうのではなく,単なる土壇をいうのであるとした。これは山とはいえない小高い丘である。

 

 したがって,これはtori-miから来たtomiとは思われない。また,全国に分布する十三塚がみな軍事上の狼火を上げた所ともみえない。この十三塚は池田博士の論じた通り,兩請をした所であろうと思われる。

 

(19)批判と補足

 

(a)古代朝鮮語の‘山'を意味するmora、mura、mure、mori、moro、mɐrɐという言葉と、同じく‘山'を意味する*tara、*toro、tʌrʌとは系統の異なる言葉であった

 

 李論文は、高句麗で‘山'を高句麗で*tara、*toro、百済語でtʌrʌ,*toro、新羅語で*tara, *tʌrʌ、*toroといったといい、南北間の言語の統一は,新羅の三国統一以後ではなく、それ以前に統一されていて,高句麗語,新羅語,百済語の間に大きな差がなかったという。

 

 しかし、ブログ記事「李 炳銑「日本古代地名の研究(東洋書院)」を読んで(5)」で検討したように、古代朝鮮語には‘山'を意味するmora、mura、mure、mori、moro、mɐrɐという言葉があり、これらの言葉と、同じく‘山'を意味する*tara、*toro、tʌrʌとは系統の異なる言葉であったと考えられる。

 

 例えば、talk-moiのtalkが*tara-kに、-moiがmoraに起源する語形であったとすれば、そのtalk-moiの意味は、おそらく*taraと呼ばれるmoraであり、‘山'を意味する古層の語形のmoraに後から新しく‘山'を意味する古層の語形の*taraが伝播してきたことで、説明的な意味で形成された語形であったと考えられる。

 

 高句麗はツングース系の濊人が、扶余に続いて建国した国であったが、ブログ記事「秦氏と漢氏の出自について」で述べたように、濊人は、高句麗が国家形成して朝鮮半島を南下する以前に、戦国時代の燕国の遼東郡への進出や衛氏朝鮮の建国、その後の楽浪郡の設置などの過程で、楽浪商人と結合し、朝鮮半島全域に拡散し、その一部は、弥生時代後期に交易のために日本列島に移住して、上古中国音に起源する漢字の「訓読み」を日本列島に伝播させた。

 

 李論文が主張する、南北間の言語の統一は,新羅の三国統一以後ではなく、それ以前に統一されていて,高句麗語,新羅語,百済語の間に大きな差がなかったという事態が生起したのは、この濊人の活動に起因するものであり、また、百済の支配層が濊人の系統であったこと、ブログ記事「新羅の建国過程について」でも述べたように、高句麗が新羅領内に駐屯して新羅を高句麗の属国としたことで初めて新羅の国家形成が進んだという、百済や新羅の国家形成が高句麗の強い影響力の下で進行したことの反映であったと考えられる。

 

 そうではあっても、古代朝鮮語で‘山'を意味するmora、mura、mure、mori、moro、mɐrɐという言葉と、同じく‘山'を意味する*tara、*toro、tʌrʌとは系統の異なる言葉であったことは間違えがないことであったと考えられるが、この両者の違いはシュメール語で‘山・陸'を意味するku-rと,同じく‘荒野'を意味するba-rやgu-ba-r-raの違いに起因するものであったと考えられる。

 

 ブログ記事「李 炳銑「日本古代地名の研究(東洋書院)」を読んで(5)」で紹介したブログ記事「「人類祖語」の再構成の試みについて(56)・(57)」によれば、ユーラシア大陸に拡散していった後期旧石器時代の現生人類が話していたと推定される人類祖語の語形を、その残存の古い語形を保持している言語のひとつであったと推定されるシュメール語の語形から推定・復元すると、シュメール語で‘山・陸'を意味するku-rはシュメール語で切るの意味のki-rやku-r、離すの意味のka-rに起源する言葉で、また、シュメール語で切るの意味のta-rという語形も存在していたので、おそらく‘山・陸'を意味するta-rという言葉もシュメール語には存在していたと考えられる。

 

 これらの言葉はザグロス山脈やアルタイ山脈などの切り立った険しい山を意味する言葉であったと考えられ、後期旧石器時代人にとっては、そうした険しい山脈こそが本来の山であったと考えられる。

 

 これに対して、古代日本語や古代朝鮮語で‘山'を意味するmora、mura、mure、mori、moro、mɐrɐという言葉は、シュメール語で‘荒野'を意味するba-rやgu-ba-r-raに起源する言葉であり、朝鮮半島を南下し、日本列島に到達した後期旧石器時代人にとっては、朝鮮半島や日本列島の山は本来の山とは受け取られず、おそらく広がっている‘荒野'と捉えられたと考えられ、その後、後期旧石器時代人の朝鮮半島や日本列島への定住によって、その‘荒野'を意味する人類祖語の*ga-maがやがて山を意味する言葉とされていったのだと考えられる。

 

 現生人類の初期拡散で東アジアに拡散したのはY染色体DNAハプログループDの集団であったが、その後、現生人類の二次拡散でY染色体DNAハプログループC3の集団が東アジアに北から拡散していく。

 

 おそらくこのY染色体DNAハプログループC3の集団が、シベリアなどのそれまでの基層集団であったY染色体DNAハプログループQの集団や、その後にシベリアからスカンジナビア半島付近までのユーラシア大陸北部に拡散したY染色体DNAハプログループN1の集団が、場所ごとに異なった比率で混血することで、ツングース語族やチュルク語族、モンゴル語族などが形成されていったと考えられる。

 

 ユーラシア大陸の北方の草原とアルタイ山脈や大興安峰山脈を経験していたY染色体DNAハプログループC3の集団、Y染色体DNAハプログループQの集団、Y染色体DNAハプログループN1の集団は、‘山・陸'を意味するku-rやta-rを彼らの言語の中で継承してきたと考えられる。

 

 中国東北部に扶余や高句麗を建国し、その後朝鮮半島を南下した濊人もツングース語族に属するので、彼らga

‘山・陸'を意味するta-rを彼らの言語の中で継承してきたのだとすれば、そのta-rが*taraに変化することで、高句麗語で‘山'を意味する*taraという語形が形成されたんだと考えられる。

 

 そしてその濊人の言語、扶余や高句麗の言語で‘山'を意味する*taraが、濊人の活動範囲の拡大と高句麗の影響力の拡大・南下に伴って、新羅や百済、加羅諸国に拡散して、*turu, *turi、*talなどの言葉が登場していったと考えられる。

 

 なお、この*turiは‘山'の意味から一定の地域の意味に変わり、古代日本の地名の八釣の「ツリ」や飛鳥の枕詞の「飛ぶ鳥」の「トリ」となっていったと考えられる。

 

(b)「山」から「一定の地域」への意味変化

 

 李論文は、古代朝鮮語の‘山'を意味する日本の地名で*taraに起源する地名が存在するとして、以下の例示を挙げる。李論文が指摘するように、これらの地名が全て「山」*taraに起源するものではないとは思うが、李論文が例示する地名の多くに*taraに起源するものが含まれていることは事実であると考えられる。

 

 李論文は以下のようにいう。

 

 古代朝鮮語のtalは,*tara(>tal)(達)‘山'の痕跡であり, -k, -kiは接尾辞である。これは日本のtake(<*tara-ke)‘岳'の-keと比較される。日本語のtake‘岳'は*tara-keから,raが脱落したのである。

 

 日本の各地にtsuruの地名が多く,その表記に「鶴,絃,釣,敦,津留,都留,水流」などが借字される。その中には韓国のtil‘野',またはturu‘市邑’などから変化したものもあるであろうが,大部分はturu‘山'に由来したものであろう。

 

 各地にtsuno(角)が冠した地名が多いが、このtsuno(角)の中にも, tsuru‘山'から変化(tsuru>tsunu>tsuno)したのが多いだろう。「角」にはtsunuとtsunoの両形があるがtsunuが古形である。

 

 日本の各地に富(兵庫県,岡山県,宮城県),鳥見(奈良),登美(福岡),迹見(奈良県)(みなtomiの表記)などtomiの地名が多いが,このtomi(富)はtori-mi>tomiと,riが脱落したものとみられる。そして,富岡(tomi-oka)は'tori-miの岡'に,富田(tomi-ta)は'tori-miにある田'に造語されたのであろう。

 

 これと共にtobi(富,飛,鵄,鴟などと表記)の地名が多いが,この地名もtori-mi(取見)‘山'から変化したtomiがtobiに,mがbに交替したのでないかと推測される。語中でm>bの交替は*nimu-to>*nibu-to(主夫吐)の例がある。

 

 日本の高取(taka-tori)は'高山'の意味であることがわかる。鳥取は「和名抄」に鳥取郷をtotori no gooと読むとある。第一音節のtoは未詳であるが, tori(取)は'山'の意味であろう。日本の鳥山,鳥坂,鳥島などのtori(取)も韓国のtoro/tori‘山'と同じものと考えられる。

 

 このように、李論文は、これらの*taraに起源する地名では、tsuruやtsuno,tomi,tobi,toriは全て「山

を意味する言葉であったというが、奈良盆地の地名の「八釣」の「ツリ」や飛鳥の枕詞の「飛ぶ鳥」の「トリ」が山を意味する言葉ではなく、「山」から「一定の地域」という意味に意味変化した言葉であったことを参考にすれば、李論文が例示した地名の多くは、おそらく「山」ではなく「一定の地域」を意味するものであったと考えられる。

 

 なお、*taraに起源する地名の*turu,*turi,*tʌ-lなどが朝鮮半島南部では山の意味が主ではなく、一定の地域の意味であったことは、ブログ記事「李 炳銑「日本古代地名の研究(東洋書院)」を読んで(5)」でも、ブログ記事「伊藤英人「古代朝鮮半島諸言語に関する河野六郎説の整理と濊倭同系の可能性」を読んで(1)」の論述を引用して、以下のように述べた。

 

 畑井弘の「天皇と鍛冶王の伝承(現代思潮社)」(以下「畑井論文1」という)によれば、朝鮮語で「野」はtw:lであり、朝鮮では、tʌl(原義は山)からくる達(タル)・月(タル)・突(タル)・霊(タル)・済(タラ)などのつく地名が多いが、いずれも、国・国土・原野・都邑の意であるという。

 

 朝鮮語のtw:lやtʌl、高句麗の言語のsulは共通の祖語から分化した言葉であり、その祖語はチュルク祖語の*tagとも対応しており、それら共通祖語は、さらにシュメール語で「山」を意味する言葉であったと考えられる。

 

 このシュメール語で「山」を意味する言葉とはku-rやka-rであり、そこからチュルク祖語の*tagや朝鮮語のtw:lやtʌl、高句麗の言語のsulが派生したのだと考えられるが、その派生の過程で、例えばtʌlは、山から国・国土・原野・都邑の意に変化していったのだと考えられる。

 

 そうであれば、*taraに起源する地名を全て山の意味だとする李論文の主張は、語形と語の意味の変化の過程を一切無視した「原理主義」であり、誤りであると考えられる。