西九州語(長崎方言)の特徴について(6) | 気まぐれな梟

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 今日は、「フォーク歌年鑑 '74 フォーク & ニューミュージック大全集 12」からかぐや姫の「赤ちょうちん」を聞いている。

 

(12)西九州語の文法

 

 崎谷満の「新日本列島史(勉誠出版)」(以下「崎谷論文1」という)は、西九州語長崎方言のの文法について、以下のようにいう。

 

(c)動詞の分類と構造


 西九州語の動詞体系には,アイヌ語を除く日本列島の言語(九州語・琉球語・日本語)のプロトタイプとなるような体系が最もよく温存されている。その特徴を以下にまとめる。


 1)依存部表示言語で対格言語

 

 西九州語は,主格および目的格のいずれの人称辞も表示しない。

 

 主格・目的格の人称辞を表示するアイヌ語やチュクチ語などとは異なるだけでなく,主格人称辞の表示を必須とするチュルク系,ウラル系,ヨーロッパ系言語とは異なる。

 

 西九州語での文法格は,動詞の人称辞ではなく,主語・目的語に表示される。つまり西九州語は依存部表示言語である。

 

 そして西九州語は,対格を目的格とする対格言語である。なお西九州語には2つの対格を取る二重他動詞は存在しない。与格を必要とする時は-niの接辞が必須である。

 

 近藤健二の「言語類型の起源と系譜(松柏社)(以下「近藤論文」という)によれば、言語は、一語文から二語文へ、二語文から三語文へと変化し、その過程で、具格接辞を伴う副詞句が付加された二語文の自動詞構文が目的語を持った三語文の他動詞構文に変化するとともに、副詞句に付加された具格接辞が他動詞構文の主語を表示する能格標識などの格標識に変化していくという経過で発達していったという。

 

 そして、初原的な自動詞構文から能格言語が誕生し、その後、活格言語、対格言語へと変化、発展していき、その過程で主語や目的語に付加された格標識から文法性が誕生したが、やがて格標識が消滅し、それに伴って文法性も消滅しつつあるという。

 

 格標識が主語や目的語に付加される以前には、時制や複数表示、主語や目的語の格表示は、動詞に付加された接辞で表示されていたので、言語は、主要部表示言語から依存部表示言語に変化していったと考えられる。

 

 そうであれば、依存部表示言語で対格言語である西九州語は、言語としては新しい言語の特徴を持った言語であると考えられるが、発音や音節構造などの特徴や動詞のアスペクトの存在などの古い言語の特徴も強く残存させている言語であると考えられる。

 

 これはおそらく、後期旧石器時代に日本列島に流入したY染色体DNAハプログループD2集団の言語の上に、その後に日本列島の流入した諸集団の言語が重なっていく過程で、最初の言語であった主要部表示言語や能格言語などが変化していった結果で生じたことであったと考えられる。


 2)単数複数を区別しない

 

 西九州語は,動詞に単数複数の区別を欠く。アイヌ語は,一部の自動詞(主格と一致)および他動詞(目的格と一致)に単数複数の区別がある。九州語・琉球語・日本語とアイヌ語とでは動詞の体系に本質的な違いがある。


 3)文法性がない

 

 西九州語は,動詞の体系においても文法性を表示をしない。

 

 4)母音語幹動詞と子音語幹動詞

 

 西九州語の動詞は,語幹が母音で終わるか子音で終わるかで,母音語幹動詞および子音語幹動詞の二つに大別される。

 

イ)母音語幹動詞

 

 母音語幹動詞として,単音節i語幹(上代奈良語における母音の甲、乙の区別を用いて表示すると甲音i語幹動詞=上代奈良語の上一段動詞),i語幹(i語幹=上二段動詞、ただし西九州語では上一段活用と同一の活用へとほぼ変化してしまっている)、e語幹(e語幹=下二段活用),不規則se動詞(se語幹=サ行変格活用),不規則ko語幹(ko語幹=力行変格活用),不規則ke語幹(ke語幹=中古京都語の下一段活用)がある。

 

 ・単音節i語幹動詞

   miru見る、miru試みる、kiru着る、niru似る、niru煮る


 ・i語幹動詞:dekur(dekiru)出来る, okur(okiru)起きる


 ・e語幹動詞

   ayur退色する、ottyakur落ちる、habuturふてくされる

   hittodurはみ出る、nobosur有頂天になる

   zundarur(衣装などが)だらしない


 ・不規則se動詞:suru (sur)する


 ・不規則ko動詞:kuru (kur)来る


 ・不規則ke動詞:keru蹴る

 

ロ)子音語幹動詞

 

 子音語幹動詞(=四段活用)として,-w/y(<-p),-b、-m, -t, -s, -k、-g. -n語幹動詞が見られる。

 ・w/y語幹動詞:karawu‘背負う、bakawu奪い合う


 ・b語幹動詞:orabu叫ぶ


 ・m語幹動詞:nezumuつねる、 kazomu嗅ぐ


 ・t語幹動詞:katu勝つ


 ・s語幹動詞:

   kogasu(穴を)開ける , tosu吐く,sebirakasuからかう、
   tyokurakasu からかう


 ・r語幹動詞

   nemaru腐る、amaru(ふざけて)騒ぐ、

   guzeru駄々をこねる、kibaru頑張る、

   magiru(道を)横切る、magaru曲がる

    sikabarru失禁する、kyaaburu威張る、kiru切る


 ・k語幹動詞:

   saruku, saraku歩き回る、harakaku怒る

   sabaku髪をとかす、seku(腹が)痛む

   hawaku掃く, sobiku引きずる


 ・g語幹動詞:kosagu 削り取る


 ・n語幹動詞:sinu死ぬ

 

5)動詞の基本形

 

 西九州語の動詞の基本形は,直説法現在形,直説法現在否定形,直説法過去形,不定形(不定詞,不定法),命令形(命令法)の5つで示される。いずれも以下で述べるアオリストアスペクトの活用形である。これら5つの基本形から,他の活用形は体系的に派生される。


6)アスペクト

 

 西九州語はアスペクトがよく発達した言語である。類型論的普遍性に沿って,そのアスペクトは,アオリスト(西九州語では無表示,つまりデフォルトの表示),未完了(西九州語では-yorの付加),完了(西九州語では-tor/-dorの付加)の三つに分かれる。

 

 この3分類アスペクト体系は古典ギリシア語,そして現代ロマンス語,さらにチュルク系言語の一部に見られる。アイヌ語にもこの3つのアスペクトを表示するシステムがある。ただしアイヌ語は時制を欠く上に,他の言語学的特徴から九州語・琉球語・日本語とは本質的に異なる言語である。

 

 日本列島中間部の言語的ホームランドである西九州から離れるにつれ,アスペクトを消失した言語が出現する。西日本語(山陽語・山陰語・四国語)には3分類アスペクト体系が今でも強く機能している。しかし関西語から東の言語は本質的にアスペクトを欠く言語である。その言語境界は兵庫県内に存在する。

 

 従って日本列島中間部の言語は,その動詞体系に従えば,九州語一西日本語,関西語一東日本語の二つに大別される。

 

 アオリスト・未完了・完了の三つのアスペクトは以下のような機能を持つ。


・アオリスト:無時間的な陳述(一般命題,真理,格言など)、1回生の動作、2つの動作が連続する場合は継起、現在時制ではまだ開始されていない動作(将然)
 

・未完了:一旦開始されまだ終了されていない動作、過去時制では習慣
 

・完了:一旦開始され既に終了した動作の結果がその時点まで及ぶ場合
 

 アオリストアスペクトと未来時制を混同しないことに注意を要する。西九州語では完了過去が主節でもよく使われる。原則として従位節のみに完了過去の使用が限定されるヨーロッパ語とは異なる。

 

 崎谷論文1は西九州語はアスペクトがよく発達した言語であるが、日本列島中間部の言語的ホームランドである西九州から離れるにつれ,アスペクトを消失した言語が出現するという。

 

 縄文語の特徴を強く残存刺させた言語が西九州語であり、アイヌ語にも西九州語と同じような3つのアスペクトを表示するシステムがあるとすれば、縄文語にはこの3つのアスペクトを表示するシステムがあったと考えられる。

 

 そうであれば、関西語から東の言語は本質的にアスペクトを欠く言語であるのは、弥生時代以降に日本列島に流入してきた諸言語の影響を受けて関西語から形成・発展した日本語が関西以東の地域に支配的な言語として拡散することで、関西以東の地域の縄文語の特徴を消滅させたことによるものであったと考えられる。


 7)時制

 

 西九州語の時制は,一般的な現在(-ru/-r/-u)および過去(-ta/-da)の2分類が基本である。過去時制は時間的な視点の変更を必要とする。西九州語においてアオリスト過去と完了現在とは明瞭に区別される。アスペクトを欠く東日本語圈ではこれら両者が混同される。

 

 それに加え,西九州語では萌芽的ながら未来(-yaraw),特に未完了未来や完了未来のようにアスペクトが強く出るような場合は,時制としての時間的な視点の移動がある言語システムへと発展したことが推定される。

 

 類型論的にも未来時制は不安定である。古典ギリシア語やラテン語の未来形はその後失われた。ラテン語から発達した現代ロマンス語では,不定詞十habereという組み合わせによって未来形を新たに作り出した。

 

 西九州語の萌芽的未来形は,直説法アオリスト現在形十de ara muから発達したもので,現代ロマンス語の未来形生成と似たような機能がそこに推定できる。

 

 なおゲルマン系英語はwill +不定詞,ドイツ語は不定詞+ werdenによって未来形を派生するようにした。

 

 8)法

 

 西九州語の法は,直説法,仮定法,命令法,不定法,分詞法,副動詞法がある。それに動名詞(動詞的名詞)が加わる。西九州語には古典ギリシア語で見られるような接続法や希求法はない。


 9)態

 

 西九州語の態は,能動態(無表示=デフォルト)と受動態(-rare/- are)の二つに加え,使役態 -sase/-ase)が発達している。中動態は存在しない。他動詞における項数で見ると,能動態は項数2,受動態は項数1,使役態は項数3である。受動態を派生する接尾辞-rare/-areは項数減少操作,使役態を派生する接尾辞-sase/-aseは項数増加操作として理解される。

 

 ヨーロッパ語は本質的に受動態を持つが,使役態については体系的派生を持たない。またチュルク系,トゥングース系,朝鮮語なども受動態,能動態形成があいまいである.さらにアイヌ語には受動態形成そのものがなさそうである。

 

 九州語に見られる受動態および使役態の体系的派生システムは,ユーラシアの言語としてはやや特殊なのかも知れない。

 

 崎谷論文1は、九州語に見られる受動態および使役態の体系的派生システムは,ユーラシアの言語としてはやや特殊であるというが、崎谷論文1がいう「ユーラシアの言語」が、現生人類の初期拡散で東アジアに拡散したY染色体DNAハプログループQやD、C集団の後で東アジアに拡散したY染色体DNAハプログループNやO集団の言語であったとすれば、九州語に見られる受動態および使役態の体系的派生システムは、日本人の基層集団のY染色体DNAハプログループD2集団の言語に遡及する特徴であると考えられる。


 10)敬語表現

 

 西九州語の敬語表現は,長崎市方言では-narを接辞する場合がほとんどである。その他の西九州の広い地域では-ras/-as (受動態の-rare/-areとは異なることに注意.上代奈良語でにおける敬語表現では-as が用いられていた)を接辞する方法が一般的である。

 

 関西語と同様に,西九州語では敬語表現と受動態との混同はない。関東語東京方言(江戸弁に由来)に特有な敬語・受動・可能の混同は,西九州語や関西語では見られない。それぞれ別の動詞システムを発展させている。


 11)可能表現

 

 西九州語の可能表現は,能力による可能の場合は-kirを接辞し,状況による可能の場合は-yeを接辞する。

 

 西九州語における後者の方法は上代奈良語にも見られるように日本列島では原初的な方法であるが,現代関西語ではそれに由来する新たな可能表現-re/-eを発達させた。


 12)複合述語

 

 西九州語の複合述語は,多くの接尾辞を語幹に付加する形で機能する。

 

 各機能の接辞には順序が決まっている。

 

 類型論的普遍性に一致するように,アスペクトは語幹に近い位置に接辞され,その後に否定が続き,時制はさらにその後になる。

 

 西九州語ではこのように機能・形態ともアスペクトと時制とは明確に区別される。

 

 ただし萌芽的な未来形は,二次的に形成されたものなので,この秩序の外に位置する。つまり各アスペクトの直説法現在時制に-yarawが付加される。

 

 崎谷論文1による西九州語(長崎方言)の諸特徴の指摘は以上のとおりであり、ここで指摘された諸特徴は、日本語の起源と形成についての議論の一つの出発点となるものであると考えられるが、そうした議論が行われている形跡はなさそうであり、残念である。

 

 日本語の起源とその形成過程についての議論は、例えば、崎山理によるオーストロネシア語族の日本語への影響を否定する松本克己の議論や、近藤健二による能格言語の生成と活格言語、対格言語への変化・発展の議論とは無関係に能格言語の特徴のみの議論に終始する松本克己の議論、日本語への朝鮮語や中国語の影響についての諸議論など、主要な論者相互での建設的な対話・議論、論争が存在しないまま停滞している気がする。

 

 「敢えて議論の愚を言うなかれ(大西巨人「神聖喜劇」)」ではあるが、この諸論者相互での対話・議論、論争の不在は、「邪馬台国論争」での「俗情への結託(大西巨人「戦争と性と革命」)」による不毛な議論の現状に典型的にみられるように、やはり、日本の経済的な停滞に起因する学術研究の荒廃と知的水準の低下の反映ではないかと思う。

 

 その意味では、残念というよりも、無念である。