「人類祖語」の再構成の試みについて(92) | 気まぐれな梟

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 今日は、Simon & Garfunkelの「The Best Of Simon & Garfunkel」から、「The Dangling Conversation」を聞いている。

 

(52)ケチュア諸語と、カリブ諸語、トウビ・ワラニ諸語、マクロ・ジェー諸語

 

 松本克巳の「世界言語の中の日本語(三省堂)」(以下「松本論文」という)は南アメリカの「非沿岸型言語」として、ケチュア諸語、カリブ諸語、トゥビ・ワラニ諸語、マクロ・ジェー諸語を挙げ、それぞれその祖型を列挙している。

 

(a)ケチュア諸語

 

 ケチュア諸語はインカ帝国の公用語だった言語であったために旧インカ帝国の範囲に拡散し、またインカ帝国を滅ぼしたスペイン人の宣教師たちによるキリスト教の布教に使用されたことからスペイン領の南アメリカに拡散した言語であり、ボリビアとペルーの公用語となっているが、その故地は、ピーター・ベルウッドの「農耕起源の人類史(京都大学学術出版会)」(以下「ベルウッド論文」)という)によれば、初期のケチュア語族は、ぺルーのアンデス山脈西麓付近に、初期のアイマラ語族の北に隣接して居住していたが、農耕開始後に太平良い沿岸を北に移動を開始したと考えられる。

 

 松本論文が例示しているケチュア諸語の祖語の人称代名詞は、1人称単数が*ni、2人称単数が*kiであるが、この*niは具挌接辞*gaに起源するnaが基本形であり、*kiは具挌接辞*gaに起源するnaが基本形であったと考えられる。

 

(b)カリブ諸語

 

 カリブ諸語は南アメリカ北部のカリブ海沿岸とブラジル中部に分布する言語であり、ベルウッド論文によれば、初期のカリブ諸語はベネズエラやガイアナ、スリナムに大西洋岸にいて、農耕の開始とともに周辺に拡散し、初期のアラワク語族が拡散していたカリブ海の島嶼に、アラワク語族が後退すると拡散したという。

 

 松本論文が例示しているカリブ諸語の祖語の人称接辞は、人称接辞Ⅰ類の1人称単数が*w(i)、2人称単数が*m(i)であり、人称接辞Ⅱ類の1人称単数が*u(y)、2人称単数が*a(y)であるが、この1人称の*uy はuiであって、*wiから派生したもので、wiは具挌接辞*gaに起源するkaの音変化したwaが原型であると考えられる。 

 

 また、2人称の*ayはaiであるが、*miとの対応関係から、maが音変化したmiのmが脱落したiが音変化したものであったは具挌接辞*gaに起源するnaが基本形であったと考えられる。

そうすると、カリブ諸語の祖語の人称接辞の基本形は、1人称がkaであり、2人称がmaであったと考えられる。

 

(c)トゥピ・ワラニ諸語

 

 トゥピ・ワラニ諸語は、ブラジル高原のマクロ・ジェー諸語の分布地域を取り囲んでブラジルのほぼ全域に分布する言語であり、ベルウッド論文によれば、初期のトゥピ語族はペルーのアンデス山脈東麓に北から並んでいたパノ語族、アラワク語族の南にいた言語集団であり、農耕開始後にアマゾン川を下ってマクロ・ジェー語族がいたブラジル高原方向に拡散していったという。

 

 松本論文が例示しているトゥピ・ワラニ諸語の祖語の人称代名詞は、人称単数が*ice、2人称単数が*eneであり、人称接辞Ⅰ類は、1人称単数が*a、2人称単数が*ereであり、人称接辞Ⅱ類は、1人称単数が*wi、2人称単数が*eである。

 

 また、ワラニ語の人称代名詞は、1人称単数がche、2人称単数がnde、人称接辞Ⅰ類は、1人称単数がa、2人称単数がreであり、人称接辞Ⅱ類は、1人称単数がche、2人称単数がneである。

ワラニ語の人称代名詞の1人称単数や人称接辞Ⅱ類の1人称単数のcheは、kiが音変化したもので、具各接辞*gaに起源するkaがその基本形であったと考えられる。

 

 ワラニ語の人称接辞Ⅰ類の1人称単数やトゥピ・ワラニ諸語の祖語の人称接辞Ⅰ類の1人称単数のaは、トゥピ・ワラニ諸語の祖語の人称接辞Ⅱ類の1人称単数の*wiを参考にすると、waのwが脱落したものであり、waは具各接辞*gaがga→ka→waと音変化したものであったので、その基本形はkaであったと考えられる。

 

 また、ワラニ語の人称代名詞の2人称単数のndeや人称接辞Ⅱ類の2人称単数のneは、niが音変化したもので、人称接辞Ⅰ類の2人称単数reもni→ne→reという音変化によって形成されたものであったとすると、それらは、具各接辞*gaに起源するnaがその基本形であったと考えられる。

 

 そうすると、トゥピ・ワラニ諸語の祖語の人称接辞Ⅰ類の2人称単数の*ereは、ワラニ語の人称接辞Ⅰ類の2人称単数がのreの語頭にeが付加されたものであり、そうしたreと同じように、その基本形はnaであったと考えられる。

 

 以上から、トゥピ・ワラニ諸語の1人称単数の人称代名詞はの基本形はna型であったと考えられる。

 

(d)マクロ・ジェー諸語

 

 マクロ・ジェー諸語はブラジル南部の高原地帯の狩猟採集民の言語であり、その分布範囲は、後からブラジル高原に進出して来たトゥピ・ワラニに囲まれている。

 

 松本論文が例示しているマクロ・ジェー諸語の祖語の人称代名詞は1人称単数が*?i、2人称単数が*?であるが、松本論文は例示していないが、リベイロとファンデルフォールトによる祖語の再建(以下「再建」という)によれば、人称代名詞は1人称単数が*ij,2人称単数が*aである。

 

 「再建」の1人称単数の人称代名詞の*ijがi-jであるとすれば,iが具各接辞*tiのiに起源し、i-j のjがjiであるとすれば、jは具各接辞*tiのtに起源すると考えられる。

そうすると、具各接辞*tiは他の言語では人称代名詞の基本形になる例はないので、この*ijは基本形に付加された接辞が、基本形が消失した後も残存して人称代名詞となったものであると考えられる。

 

 その消失した基本形は、松本論文が例示しているマクロ・ジェー諸語の祖語の人称代名詞の「包括人称」、つまり一般的には1人称複数の包括形が、*kwa(>pa/wa)とされていることを参考にすれば、kaであったと考えられる、

 

(e)ナデネ言語集団の南下

 

 松本論文が例示している、南アメリカの「非沿岸型言語」として、ケチュア諸語、カリブ諸語、トゥビ・ワラニ諸語、マクロ・ジェー諸語の1人称単数の人称代名詞あるいは人称接辞の基本形は、以下のとおりである。

 

ケチュア諸語 na

カリブ諸語    ka

トゥビ・ワラニ諸語 ka

マクロ・ジェー諸語 ka

 

  これまで見てきたように、北アメリカのナデネ言語集団のY染色体DNAハブログループはC3で、その言語の1人称単数の人称代名詞の基本形はkaであったが、北アメリカのアルゴンキン諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形はnaであるが、その集団の中にはY染色体DNAハブログループC(C3)が含まれていて、初期にはアルゴンキン諸語と隣接していたイロコイ語族、カド語族、スー語族の1人称単数の人称代名詞の基本形が、ナデネ言語集団のアサバスカ諸語と同じkaであり、かつ、アパッチ族やナバホ族などのように、北アメリカ大陸の南西部まで南下していたナデネ言語集団も存在していたので、イロコイ語族、カド語族、スー語族も南下してきたナバホ言語集団の分派であったと考えられる。

 

 アルゴンキン諸語 イロコイ語族、カド語族、スー語族が隣接していたイースタン・ウッドランドのすぐ南のミシシッピ川河口付近から東側のカリブ湾岸にいたマスコギ語族の1人称単数の人称接辞は、その語族に属するチョクトー語の主格の1人称単数の人称接辞は、接尾辞の-liであり、同じく2人称単数は接頭辞のis-であるが、対格の1人称単数の人称接辞はsa-与挌のそれはa-であり、さらに、クラスNという分類の人称接辞では、1人称単数はak-となっている。

 

 このうち、-liは-riであり、そのriは-raであり、その-raは-yaであり、その-yaは-kaであったとすれば、チョクトー語の1人称単数の人称接辞はka型であったと考えられる。

 

 そして、チョクトー語のクラスNという分類の人称接辞の1人称単数がak-となっていて、kaと関係があることも、そうした主張を補強するものである。

 

 そうすると、マスコギ語族の1人称単数の人称接辞もナデネ言語集団と同じka型であると考えられる。

 

 マスコギ語族は幅広く通商活動に従事していた集団であったというので、彼らは、カリブ湾の沿岸を経由したりして、カリブ海の島嶼を経由して、南アメリカタ大陸の北部の大西洋沿岸に流入してきたと考えられる。

 

 そうすると、マスコギ語族がカリブ語族に1人称単数の人称接辞はka型の言語を伝えた、もしくは、カリブ語族自身がマスコギ語族の分派であったと考えられる。

 

 そして、カリブ語族が南アメリカ大陸の北部のカリブ海沿岸だけではなく、内陸に入ったブラジル中部にも分布していることから、彼らはおそらくパラグアイ川を遡上してアンデス山脈東麓に移動し、そこで、初期のアラワク語族に出会ったと考えられる。

 

 そこに、初期のトゥビ・ワラニ語族がすでにいたのか、カリブ海沿岸からきたカリブ語族の後裔がトゥビ・ワラニ語族になったのかはわからないが、カリブ語族の言語の影響で、トゥビ・ワラニ語族の1人称単数の人称接辞もナデネ言語集団と同じka型になったのだと考えられる。

 

 パラグアイ川を遡上したカリブ語族が西進するとブラジル高原に出るが、彼らはそこで、マクロ・ジェー語族にナデネ言語集団と同じka型の1人称単数の人称接辞を伝えたか、あるいは、カリブ海沿岸からきたカリブ語族の後裔がマクロ・ジェー語族になったのだと考えられる。

 

 それは、農耕開始後に、トゥビ・ワラニ語族がマクロ・ジェー語族がいたブラジル高原に進出する、かなり前にことであったと考えられる。

 

 以上から、アメリカ大陸の諸言語で、1人称単数の人称代名詞や人称接辞のka型の言語は、アメリカ大陸への第2派の移動で移動してきたナデネ言語集団やその影響を強く受けた言語集団の言語であり、1人称単数の人称代名詞や人称接辞のna型の言語は、アメリカ大陸への第1派の移動で移動してきたアメリンド言語集団の言語であったと考えられる。

 

 そして、この区分は、アメリカ大陸への第1派の移動で移動してきたアメリンド言語集団の言語のうち、セイリッシュ諸語やアルゴンキン諸語、ケチュア諸語を、「非沿岸型言語」の人称代名詞のシステムを持つとする、松本論文の区分とは、異なっているが、そのことは、松本論文がいう「太平洋沿岸言語圏」とその指標が、果たして妥当なものなのか?ということになると考える。

 

(53)具格接辞の基本形とそこへの付加について

 

 近藤健二の「言語類型の起源と系譜(松柏社)」(以下「近藤論文」という)によれば、*-ga, *-ti, *-maaという3つの具挌(属格)接辞とその組み合わせによって人称接辞と人称代名詞が構成されたという。

 

 これまで、1人称単数の人称接辞や人称代名詞に付加された具挌(属格)接辞の*-ga, *-ti, *-mの組み合わせから、その基本形を検討してきたが、この基本形と付加されたものの区別に関連して、具挌(属挌)接辞の組み合わせがドン共な理由で起こったのかを、近藤論文の論述から確認する。

 

 まず、近藤論文はこのようにいう。

 

(a)「含意」されたものの「明示」

 

 人称代名詞あるいは人称接辞が明白な文法カテゴリーとして最初からあったのではなく,はじめはゼロ形態として含意されるものでしかなかった。

祖語の段階では,含意された「私」や「あなた」が具格接辞と合わさって能格主語となったり,属格接辞と合わさって所有を表したと考えられる。

しかし後の段階になって,含意されていたものがそれら接辞によって明示されるようになった。つまり,「私」や「あなた」といった人称的意味を具格・属格接辞そのものが表すようになったのである。

 

 次に近藤論文はこのようにいう。

 

(b)具挌(属挌)接辞の基本形

 

 *-ga, *-ti, *-maがどのようにして人称所属接辞になったか。エスキモー語における人称所属接辞の始まりは属格接辞の*-gaを1・2・3人称の共通形として,また単数・複数の区別を立てないで名詞に付属させたものである。つまり,それは人称的意味を担う部分がゼロ形態であったものと言ってもよい。そして*-tiと*-maの反映形の人称所属接辞として使用するようになったのは,人称と数の違いを明示するための二次的な変化であったと考えられる。

 

 次に近藤論文はこのようにいう。

 

(c)再度の、「含意」されたものの「明示」

 

 チベットのツオナー・モンパ語の麻瑪方言の能格接辞-teは具格接辞でもあるが、この-teは奪格接辞の系統を引く具格接辞*-tiの反映形である。1人称単数能格ŋai-teの-iは,ŋa-が失った具格・能格的意味を補うためのものであった。しかし,この-iも本来の意味を失ってしまった。そこで,改めて具格・能格接辞の-teを付け加えて,その埋め合わせをしたのである。

 

 次に近藤論文はこのようにいう。

 

(d)新しい具挌(属格)接辞の形成

 

 ビルマ語の所挌・時格接辞の-hmaという形態は*-gaと*-maが合わさったものが弱化してできた形である。ツオナー・モソパ語麻瑪方言の人称代名詞に見られる声門音?が*-gaの反映形だとすれば,音声的類似性から判断して, -hmaのhが*-gaの反映形である可能性は高い。ところで,-maという形は-hmaからhが脱落したものにちがいない。また、-hma/-maの機能は、所格と時格のどちらが原初的なものか分からない。つまり,時点を表す形態が時点と地点を表すようになったのか,地点を表す形態が時点を表すようになったのか確定できない。いずれにせよ,*-gaの反映形だけによって複数の意味を使い分けることが難しくなったために,本来は具格接辞である-maが付加されるようになった。この過程は,日本語の所格・時格・具格接辞-niに具格接辞*-tiの反映形-teが付加されて,-niteという新しい所格・具格接辞ができたのといくぶん似ている。

 

 チベット語の場合,能格は具格に,具格は属格に溯る。属格接辞は*-gaであった。*-gaはしかし,具格助詞にもなった。これは属格の機能から具格の機能が派生した結果である。こうして*-gaあるいは*-kaという形態は属格・具格接辞となり,具格はまた能格としての役割も果たすようになったので,それは属格・具格・能格接辞になった。こうなったとき,属格と具格・能格との間の機能的差異を明示するための形態的区別が必要となった。そこで*-ga/*-kaに*-si (< *-ti)を加えた*-gasi/*-kasiを具格・能格接辞として用いるようになった。ところが, *-gasi/*-kasiは一種の母音調和によって,つまり末尾の-iの影響を受けて*-ga/*-kaの部分が*-gi/*-kiとなった。こうして生まれた*-gisi/*-kisiは末尾のiを脱落させるなどして今日の-gyisや-kyisという形になっだ。そして,この-gyis/-kyisという具格・能格接辞から属格接辞の新しい形が生みだされた。

 

 以上のように,チベット語では属格接辞が具格接辞を兼ね,具格接辞が能格接辞を兼ねるようになった後に,具格・能格接辞が独自の形態を獲得し,一種の逆成作用によってそこから新しい属格接辞が生みだされたと考えられる。

 

 このような、近藤論文の指摘から、*-ga, *-ti, *-maという3つの具挌(属格)接辞のなかで、人称接辞や人称代名詞となったのは*-gaが最も早く、その意味が分化することに応じた形態変化として、*-ti, *-maが使われるようになるとともに、人称接辞や人称代名詞となってしまった*-ga, *-ti, *-maとは別に本来の具挌(属格)接辞の意味を表現するために、*-ga, *-ti, *-maを組み合わせた新たな具挌(属格)接辞が形成されたが、そうした具挌(属格)接辞もやがて人称接辞や人称代名詞となってしまったので、基本形に*-ga, *-ti, *-maの具挌(属格)接辞の反映形を付加した複雑な語形が、人称接辞や人称代名詞に存在し、さらにそれらが音変化して原形とかけ離れたような人称接辞や人称代名詞が存在するのである。

 

 そして、そうであるならば、具挌(属格)接辞から、そうした複雑な語形の人称接辞や人称代名詞が形成された過程を理解することなく、人称接辞や人称代名詞の類型化などはできなしと考える。

 

 松本論文の「基幹子音」とその増幅という人称接辞や人称代名詞の類型化の議論に欠落していのは、人称接辞や人称代名詞の起源とその後の変化についての理解である。

 

(54)人称代名詞から見た環太平洋言語圈の構成

 

 松本論文は、「人称代名詞から見た環太平洋言語圈の構成」について、以下のように言う。

 

 「アメリカ大陸においても、このタイプ(環太平洋言語圈)の人称代名詞を持つ言語群は、この大陸の南北を貫いて、その太平洋側の地域に集中的に分布している」が、「このような地理的分布が全くの偶然によって生じるということは、ほとんどあり得ない」ので、「そこには当然、この大陸への人類集団の移動の経路とその後の定住の歴史が反映していると見なければならない」

 

 「この問題については、アメリカ大陸への人類移住の少なくとも一部は、内陸のいわゆる「無氷回廊」ではなく、太平洋に沿った海岸ルートを通じて行われた、と想定することによって最も無理なく説明できる」

 

 「北米大陸の太平洋沿岸地帯は、内陸部が氷床で覆われた最終氷期の間も氷で閉ざされなかったか、仮に閉ざされたとしても、17000年前頃に氷は後退していたと見られる」

 

 「ただし、当時の沿岸部の地形は、今より100メートル前後の海面低下によって、現在とは全く違った様相を呈していた。従って、当時このルートをたどった諸集団の移住の足跡は、現在ではそのほとんどが海面下に水没し、そのため考古学的にそれを裏づけることが非常に難しい」

 

 松本論文はこのようにいい、アメリカ大陸への現生人類の移動のうち、「内陸のいわゆる「無氷回廊」ではなく、太平洋に沿った海岸ルートを通じて行われた」といい、その移動のときには「内陸部が氷床で覆われた最終氷期の間も氷で閉ざされなかったか、仮に閉ざされたとしても、17000年前頃に氷は後退していた」というが、はっきりとは言ってはいないが、これは、現生人類のアメリカ大陸への移動が、まず最初は太平洋沿岸を南下して、その次に、内陸部の無水回廊を経由して内陸部に拡散した、ということを言っているのである。

 

 しかし、松本論文は、「太平洋沿岸型」の言語の分布が、太平洋沿岸を南下した現生人類の移動に起源しているという一方で、北アメリカと南アメリカの東半分部に分布する「非沿岸型」の言語について、以下のように、その起源は「別の機会の検討課題」であるという。

 

 「アメリカ大陸で人称代名詞が沿岸型には属さないと見られる主な語族を挙げると、北米ではすでに見たエスキモー・アリュート語族とアサバスカ語族のほかに、東部森林地帯に拡がったアルゴンキン諸語とイロコイ諸語、ロッキー山脈東麓の大平原に分布していたカド諸語とスー諸語、合衆国南東部からメキシコ湾岸部を占めていたマスコギ諸語、メソアメリカでは言語数最大規模のオトマング諸語、南米では、アンデスのケチュア諸語、南米北東部のギアナ高地からカリブ海域に分布していたカリブ諸語、ブラジル領アマゾン低地から大西洋沿岸部まで拡かっていたトゥピ・ワラニ諸語、そしてブラジル高原の草原地帯を占めていたと見られるマクロ・ジェー諸語などがある」

 

 「以上に挙げた人称代名詞システムの中で、セイリッシュ諸語(北西海岸)、アルゴンキン諸語、およびケチュア諸語の人称代名詞は、共通の祖体系に遡る可能性があるけれども、残りの人称代名詞の系譜的関係は、今のところ定かでない」

 

 「アメリカ大陸の非沿岸型と見られる人称代名詞の詳しい地理的分布やそれらの系譜関係、歴史的背景の問題は、本稿の直接の考察対象からはずれるので、別の機会の検討課題として今後に残さなければならない」

 

 松本論文がこのように、アメリカ大陸の非沿岸型言語圏の「系譜関係、歴史的背景」を「別の機会の検討課題」とするのは、崎谷論文が指摘するような、現生人類のアメリカ大陸への移動が3回あったこと、そのそれぞれで移動してきた現生人類のY染色体DNAハブログループが異なっていること、それらから、アメリカ大陸の先住民のY染色体DNAハブログループの構成をみるとその言語集団の来歴が想定できること、などを松本論文が理解していないからである。

 

 さらに根本的には、近藤論文が指摘するような、人称接辞や人称応代名詞は、ゼロ標識の具格接辞がそこに含意されていた人称が具格接辞の意味として表象されることで人称接辞が誕生し、それに存在動詞と連用形接辞が付加された副詞句が、その自動詞が異分析されて他動詞となったことで人称代名詞に転化したという経過で誕生したという、人称接辞や人称代名詞が具格接辞とその組み合わせに起源していることを、松本論文が理解していないことに起因している。

 

 また、具格接辞が人称接辞になったことでその具格接辞に別の具格接辞が付加されて新たな具格接辞が形成されたが、その具格接辞も人称接辞に転化したために、さらに別の具格接辞が付加されていった結果、基本形に他の具格接辞が付加された人称接辞が誕生したという近藤論文の指摘を理解していないために、松本論文は、複数の具格接辞から構成される人称接辞や人称代名詞の基本形とそこに付加されたものを区別することができず、人称接辞や人称代名詞の類別に混乱をもたらしているのである。

 

 そして、松本論文がいう「環太平洋言語圏」の言語の人称代名詞の特徴が現生人類の第1派の移動に係わるものであったとすると、その南ルートの移動に係わるパプア諸語やオーストラリア先住民の言語の人称接辞や人称代名詞も、アメリカ大陸の太平洋沿岸の諸言語と同じ特徴を持っていたと考えられる。