「人類祖語」の再構成の試みについて(80) | 気まぐれな梟

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 今日は、鬼束ちひろの「HYSTERIA」から、「フェアリーテイル」を聞いている。

 

(1)「ユーラシア内陸言語圈」と「太平洋沿岸言語圈」と人称代名詞

 

 松本克巳の「世界言語の中の日本語(三省堂)」(以下「松本論文」という)は、ユーラシア大陸の諸言語について、以下のようにいう。

 

 「ユーラシアの諸言語は全体として、「ユーラシア内陸言語圈」と「太平洋沿岸言語圈」の2つに大きく分かれ」

 

 「ユーラシア内陸言語圈は、その内部がさらに「中央群」と「残存群」ないし「周辺境界群」に下位区分され、一方太平洋沿岸言語圈は、現状での地理的位置から、南方群(オーストリック大語族)と北方群(環日本海諸語)に分かれ、日本語は、朝鮮語、アイヌ語、ギリヤーク語と共に、環日本海諸語の一員として位置づけられる」

 

 「さらにまた、太平洋沿岸言語圏を特徴づける一連の類型特徴は、ユーラシアを越えてアメリカ大陸まで拡がり、しかもこの大陸の場合も、その分布はほぼ太平洋沿岸部に集中して、ここに文字通り「環太平洋」と呼ばれるような言語圈が形成されている」

 

 そして、松本論文は、こうした「ユーラシア内陸言語圈」と「太平洋沿岸言語圈」の区分と人称代名詞との関係について、以下のようにいう。

 

 「人称代名詞は、その言語形式の具体性ゆえに、個別言語内での性格づけや言語間での境界線が非常に明確な形で捉えられ」、また、「人称代名詞は言語体系の最も核心的な部分として、幼児の言語習得の中でも最も早く習得されるために、他の言語現象と違って、言語間での借用がほとんど起こらない」ので、「人称代名詞は、あたかも生物における遺伝子のように、それぞれの言語にとって最も確実な「身分・血統証明」として役立つ」

 

 「ユーラシア内陸言語圈」と「太平洋沿岸言語圈」「を特徴づける主要な人称代名詞のシステムとその分布」を検討することによって、「これまでの類型地理論的アプローチでは必ずしも鮮明な形で捉えられなかったこれら言語圈の間の境界線が」、「かなり明確に浮かび上かってくる」

 

(2)ユーラシア内陸言語圏の人称代名詞

 

 松本論文は、「南アジアとオセアニア地域を除くユーラシアの内陸部」の諸言語が含まれる「ユーラシア内陸言語圏を特徴づける主要な人称代名詞のシステム」は、「ユーロ・アルタイ型」と「シナ・チベット型」という「2種類の人称代名詞である」という。

 

 そして、松本論文は、「ユーロ・アルタイ型の人称代名詞とその分布」について、以下のようにいう。

 

 「「ユーロ・アルタイ型」と呼ばれる人称代名詞は、1人称が*m-(またはb-)、2人称が*t-(またはs-)という基幹子音によって特徴づけられる」

 

 この「m-とb-およびt-とs-は、それぞれ同じ基幹子音の音変化に起因する異なった具現形にすぎない」

 

 「このタイプの人称代名詞を共有するのは、インド・ヨーロッパ(印欧)語族、ウラル語族(およびユカギール語)、チュルク語族、モンゴル語族、ツングース語族という「内陸中央群」を構成する諸語族がその中心メンバーであるが、このほかに」、「「周辺、残存群」としてまとめられたグループの中から、カフカス南部のカルトヴェリ語族とシベリア東北隅に分布するチュクチ・カムチャツカ語族がこれに加わり、その一方で内陸中央群から、セム語族とドラヴィダ語族がこのグループから離脱する」

 

(3)人称代名詞の「基幹子音」の根拠は論証されていない

 

 松本論文は、以下、インド・ヨーロッパ語族、ウラル諸語およびユカギール語、チュルク諸語、モンゴル諸語、ツングース諸語、チュクチ・カムチャッカ諸語、カルトヴェリ(南カフカス)諸語の人称代名詞を列挙しているが、確かに、それらの人称代名詞には、松本論文が「ユーロ・アルタイ型」の人称代名詞の「基幹子音」であるという、「1人称が*m-(またはb-)、2人称が*t-(またはs-)という子音が含まれている。

 

 しかし、松本論文は、「m-とb-およびt-とs-は、それぞれ同じ基幹子音の音変化に起因する異なった具現形」であるというが、音変化を想定すれば「m-とb」が関係し、t-とs-が関係するのは分かるが、それでは、「m-とb」のどちらが、また「t-とs-」のどちらが本来の姿なのかについては、説明してはいない。

 

 また、なぜ、「m-とb」が1人称の代名詞に使用され、「t-とs-」が2人称の代名詞に使用されたのか、さらに、「m-とb」を含んだ1人称の代名詞や「t-とs-」を含んだ2人称代名詞の語形は諸言語ごとに微妙に異なっているが、それらの言語の人称代名詞に基本形があったとすると、その基本形からどのようにしてそれぞれの言語ごとに微妙に異なった語形の人称代名詞が形成されたのかについても、松本論文は説明していない。

 

 だから、松本論文の論述からは、「基幹子音」からそれぞれの人称代名詞が形成される過程を論証しておらず、単にそれらの諸言語の人称代名詞に「m-とb-」および「t-とs-」が含まれているという現象面から、それらが人称代名詞の「基幹子音」であると主張しているだけであるとしか、考えられないし、もしもそうならば、「m-とb-」および「t-とs-」が人称代名詞の「基幹子音」であるという主張自体の根拠がなくなると考えられる。

 

 また、松本論文は、なぜ「ユーラシア内陸言語圈」と「太平洋沿岸言語圈」とで人称代名詞の「基幹子音」が異なるのか、そのどちらが基本的なものなのか、「ユーラシア内陸言語圈」の中に「ユーロ・アルタイ型」と「シナ・チベット型」という「2種類の人称代名詞である」のは何故なのか、そのどちらが基本的なものなのか、ということについても、説明していない。

 

 このように、松本論文の論述が現象面の指摘に留まっているのは、そもそも諸言語の人称代名詞とはどのようにして形成されてきたのか、ということが論証されていないからである。

 

 ロシア革命の指導者のウラジミール・イリイチ・レーニンは、「一般的な問題を解決しないで個別的な問題の解決をしようとすると、個別的な問題の中でいつも一般的な問題に直面することになる」が、それは「不断の動揺と混乱をもたらすことになる」と言った。

 

 そうすると、松本論文が「m-とb-」および「t-とs-」が「ユーロ・アルタイ型」の人称代名詞の「基幹子音」であるという主張の根拠を論証できないのは、そもそも人称代名詞はどのように形成されたのかという「一般的な問題」を解明できていないからであり、もっと根本的には、言語の構文がどのように形成・変化してきたのかという「一般的な問題」を解明できていないからであると考えられる。

 

(4)人称代名詞・人称接辞は格標識に起源する

 

 以前、「「人類祖語」の再構成の試みについて(28)」で述べたように、近藤健二の「言語類型の起源と系譜(松柏社)」(以下「近藤論文」という)は、「アジア北東地域の諸言語,および北米大陸のインディアン諸語」や「シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派,オーストロネシア語族,パプア諸語,オーストラリア原住民語」の「人称代名詞・人称接辞」は「基本的に格標識から成り立ったものである」と主張している。

 

 人称代名詞・人称接辞の起源について、近藤論文は、アイヌ語を例に、以下のようにいう。

 

 なお、近藤論文が例示しているアイヌ語は流沙方言であるが、崎谷満の「新北海道史(勉誠出版)」(以下「崎谷論文」という)によると道南の方言である流沙方言は道南の和人の言葉の影響で変形しており、今日のアイヌ語は道東のアイヌ人によって形成されたものであるので、アイヌ語の道東方言が本来のアイヌ語に最も近いという。

 

 そこで、近藤論文の例示の流沙方言を崎谷論文が例示している道東方言に置き換えると、アイヌ語の人称代名詞は、1人称の単数がkuani、複数排除がciokay、複数除外がanokay、2人称の単数がeani、複数がeciokayとなる。

 

 近藤論文によれば、「anは単数のもの, okaは複数のものの存在を表す」存在動詞であり、-iは具格接辞の*-tiに由来する連用形接辞であり、「ku-というのは「私」を意味する」ので、kuani「の組成は, ku-an-i「私あり(て)」であ」り,「ci-は「私たち」を意味するので」, ciokay 「は本来のci-oka-i「私たちあり(て)」が人称代名詞となったあとで,語尾の-i」が-yに音声変化したものである。

 

  「アイヌ語の遠い祖語の段階では,人称代名詞,人称接辞というものは存在」せず、「たとえば,カラフト・アイヌ語ライチシカ方言に3人称代名詞が存在しないように,またアイヌ語のすべての方言に3人称の動詞人称接辞が存在しないように,1人称と2人称の代名詞も,そして動詞人称接辞もいっさい存在しなかった」

 

  「人称代名詞・人称接辞の始まり」、「つまり, ku-が「私が」,ci-が「私たちが」,e-が「あなたが」,a-が「(不特定の)人が」であったりするのは」,以下のようにして始まった。

 

 「すなわち, ku-とa-はアジア太平洋諸語の祖語に存在したと仮定される属格接辞*-gaから派生した具格接辞を引き継いだものである」

 

 「また, ci-は同じ祖語に存在したと仮定される奪格接辞*-tiから生まれた具格接辞を引き継いだものであり,e-は同じ具格接辞の*-tiから生まれた-iがさらに弱化したものである」

 

 そして,「ku-は「私」をゼロ形態にしたø-ku-Γøにより」という表現として始まった」ものであり、「同様に、ci-はもともと「私たち」をゼロ形態にした表現であり,e-は「あなた」を,a-は「(一般的な)人」をゼロ形態にした表現であった」

 

 「混沌とした状態,あるいは渾然一体となっていた人称表現からこのような区別が生まれた」「とき,含意されていた「私」「私たち」「あなた」「人」という意味が」、「接辞の部分に乗り移った」

 

 「こうして,含意されていたものが明示されるようになった」こと「の結果として,接辞に備わっていた具格的意味が失われ, ku-とci-とe-とa-はそれぞれ「私が」「私たちが」「あなたが」「人が」という主格的意味を表すようになった」

 

 「このような具格表現から主格表現への変化は,行為者を道具・原因として表す自動詞文が,行為者を行為者として表す他動詞文へと変化していったのと軌を一にした変化であった」

 

 こうした近藤論文の主張から、アイヌ語の主格人称接辞は、アジア太平洋諸語の祖語に存在したと仮定される属格接辞*-gaから派生した具格接辞、同じく奪格接辞*-tiから生まれた具格接辞、同じく具格接辞の*-ti、具格接辞の*-maから生まれたものであったと考えられる。

 

 ここで近藤論文が、ø-ku-Γøにより」という表現が「私により」という意味を含意していたというのは、「私により」という意味で具格接辞の「ku」が使用されていたということであり、「含意されていた「私」という意味が」、「接辞の部分に乗り移」り、「含意されていたものが明示されるようになった」というのは、そうして使用されていくうちに「ku」が私という意味になったということであり、その結果、「ku」が1人称単数の主格の人称接辞になったのである。

 

 その過程と併行して、ø-ku-Γøにより」という表現の「私」を意味する「ku」を、属格接辞*-gaからga→ka→kuという経過で生まれた「ku」ではなく、具格接辞*-tiからti→si→ciという経過で生まれた「ci」に変えてø-ci-Γøにより」という表現で「私たちにより」を意味したり、同じく「ku」を具格接辞*-tiからti→i→eという経過で生まれた「e」に変えてø-e-Γøにより」という表現で「あなたにより」を意味したりするという、意味の分化が形態の分化と共に進行していった。

 

 その結果、「ku」が「私」となったように、「ci」が「私たち」となり、「e」が「あなた」に、「あなた」の「e」と「私たち」の「ci」を複数表示として組み合わせた「eci」が「あなたたち」となルという経過で、それぞれの人称接辞が形成された。

 

 こうして形成された人称接辞を前提として、人称接辞と存在動詞、連用形接辞が組み合わされて、例えば1人称単数では、「ø-ku-an-i」という「私ありて」という自動詞文の副詞句が、行為主体を意味するようになったことで、やがて他動詞文の主語を意味するようになった結果、「kuanni」が「私」という人称代名詞になったのである。

 

 人称接辞と人称代名詞の形成について、近藤論文はおおむねこのようにいう。

 

(5)三つの具格接辞と存在動詞

 

 近藤論文の例示によると、チュクチ語の人称代名詞の1人称の単数の絶対格はgumであるが、gum「私」は具格接辞の*-gaと*-maが結合したものであり、チュクチ語のga-と-maという二つの形態が名詞をはさんで, ga-lela'-ma「目で」のように用いられるので、「gumは,「私」をゼロ形態にした*ga-ø-maから生まれた形である」

 

 また、チュクチ語の人称代名詞の1人称の複数の絶対格はmu'riであるが、mu'ri「私たち」は、「ma-ur-i」から生まれた形であり、ma-は具格接辞*-maであり「私」を、「-ur」は複数接辞で「ら」を、「-i」は具格接辞で「で」をそれぞれ意味したので、「ma-ur-i」は本来は「私らで」という副詞句であったが、アイヌ語のkuaniと同じように、自動詞文で行為主体を表わす副詞句が他動詞文の主語になり、「私たち」という人称代名詞になったと考えられる

 

 近藤論文の例示によると、チュクチ語の人称代名詞の2人称の単数の絶対格はgit であるが、git「あなた」は具格接辞*-gaに由来するg-に存在動詞-itが付されたものである。

 

 なお、近藤論文によれば、この存在動詞の-itは、チュクチ語の奪格接辞*-ti が具格的な意味を持つようになった-tiを重ねた*-titiが*-titを経由して-itとなったものであったという。

 

 また、2人称複数絶対格のtur'iは語頭のt-「の祖形は*ti-であ」り,「あなた」がゼロ形態として含意された*ø-tあるいは*ø-tiが最初にあって,*-tあるいは*-tiが「あなた」という意味を獲得し,続いて複数接辞の-ur「ら」が付いて*turあるいは*tiurという語が成立し,最後に具格接辞の-iが付いてtur'iになった」

 

 こうした近藤論文の指摘から、人称接辞は、具格接辞や具格用法された奪格接辞の*-gaと*-ti と*-maを組み合わせて形成されたが、それは1人称から2人称へ、単数から複数へ、そして絶対格から能格へとその意味を拡張していったので、具格接辞の*-gaを単独で使用した1人称単数の人称接辞が最も初期の形であったと考えられる。

 

 そして、人称接辞の意味が拡張されるとともに、単純化して言うと、次に具格接辞の*-ti が使用され、その次に具格接辞の*-ma が使用され、それと併行してそれらの具格接辞を組み合わせることで、例えば、1人称の単数と複数の絶対格と能格または目的格、2人称の単数と複数の絶対格と能格または目的格などの人称接辞が形成されていったと考えられる。

 

 つまり、具格接辞とその組み合わせが人称接辞になるのは、概ね*-ga→*-ti→*-maという順番があったのであり、最も基本的な具格接辞は*-gaであったと考えられる。

 

 さらに、例えば、アイヌ語のø-ku-an-i「私」、チュクチ語のø-g-it「あなた」の例から、人称接辞と存在動詞と連用形接辞による副詞句から人称代名詞が形成されたのだと考えられる。

 

 そうするとチュクチ語の1人称の単数の絶対格の人称代名詞の人称代名詞も、人称接辞に対応するga-ø-ma「私」に存在動詞の-itと連用形接辞の-iが付加された副詞句のga-ø-ma-it-i「私ありて」に起源するものであったが、その後、-it-iが脱落して、残ったga-ø-maが音変化してgum「私」という人称代名詞が誕生したのだと考えられる。

 

(6)kaとna

 

 近藤論文の例示によれば、グリーンランド・エスキモー語の人称所属接辞の1人称単数の絶対格の-ŋa/raは*-ga>*-nga>-ŋg,あるいは*-ga>*-ya>-raという変化を経て生まれたものであり、また,同じく複数の-kkaは*-gaの反映形の-kaを二つ重ねた*-kakaに由来し、1人称単数と複数の関係格(=能格)の-maは格標識の接辞の*-maを継承したものである。

 

 同様に,2人称単数の絶対格の-tは*-tiの反映形であり,2人称複数の絶対格の-titは*-tiを重ねた*-titiが変形したものであり、2人称単数の関係格(=能格)の-wit/-rpitは*-gaを継いでいる-w/-rと格標識の接辞*-tiを、< *-tit<*-titiというように継いでいる-itに分解できる。

 

 このように,グリーンランド・エスキモー語でも人称接辞はいずれも*-ga,*-ti,*-maと結びつけることができるが、エスキモー語における人称所属接辞の始まりは属格接辞の*-gaを1・2・3人称の共通形として,また単数・複数の区別を立てないで、人称的意味を担う部分がゼロ形態名詞に付属させたものであったと考えられる。

 

 そして*-tlと*-maの反映形の人称所属接辞として使用するようになったのは,人称と数の違いを明示するための二次的な変化であったのである。

 

 なお、近藤論文はグリーンランド・エスキモー語の人称所属接辞は属格接辞*-gaを基本形としていたというが、近藤論文によれば、チベット・ビルマ語族の言語では、この属格接辞*-gaが具格の意味を持つようになって具格接辞*-gaが誕生し、また、属格接辞*-gaから奪格接辞の*-gaが誕生したというので、最も初源的なのは属格接辞*-gaであり、そこから具格や奪格などの意味が派生したのだと考えられる。

 

 また、この*-gaは、チュクチ語ではguとなり、アイヌ語ではkuとなり、エスキモー語ではŋaやraとなっているが、rとŋaではŋaが主要な形であり、ŋaがnaに変化したとすると、*-gaは大きく分けるとkとnに音変化したのであり、仮にそれらをkaとnaとすると、*-gaはkaとnaに音変化したと考えられる。

 

 ここで、松本論文に帰ると、松本論文では、「ユーラシア内陸言語圈」の「ユーロ・アルタイ型」のインド・ヨーロッパ諸語の1人称単数の主格の人称代名詞は、ラテン語やギリシャ語ではego、ゲルマン民族のゴート語ではik、インドのサンスクリット語ではahamであり、その主格語幹は*k/g型であるとされている。

 

 また、松本論文は、「シナ・チベット型」の1人称の人称代名詞の基幹子音を*k/ŋであるといい、古典チベット語の1人称単数の人称代名詞はŋaであるとする。

 

 そうすると、ユーラシア内陸言語圈」に属するというインド・ヨーロッパ諸語の1人称単数の主格の人称代名詞は、サンスクリット語の人称代名詞ahamが、例えばa-ka-maに起源するとすれば、具格接辞*-gaが-kaに音変化したものを基本形とし、同じ「ユーラシア内陸言語圈」に属するという古典チベット語の1人称単数の人称代名詞ŋaやグリーンランド・エスキモーの1人称単数絶対格の人称所属接辞ŋaは、具格接辞*-gaが-ŋaに音変化したものであり、また、松本論文がいう「環太平洋言語圏」に属するという日本語や朝鮮語では、上代日本語および中期朝鮮語の1人称単数の人称代名詞naが、具格接辞*-gaが音変化したŋaがさらに音変化したものであったとすると、このkaとnaは、松本論文がいう「ユーラシア内陸言語圈」と「環太平洋言語圏」の区分を越えて、別の視点で世界の諸言語の人称代名詞を区分する標識になり得るものであると考えられる。

 

 そして、もしもそうならば、そうした世界の諸言語の人称代名詞の区分の基礎には、近藤論文がいう具格接辞*-gaがあったということになり、その具格接辞*-gaは現生人類の拡散前の「人類祖語」に起源するものであるとともに、具格接辞*-gaから分岐した人称接辞naとkaの対立は、崎谷論文が指摘するような、現生人類の拡散に伴う言語集団の分岐に起源するものであったと考えられる。

 

 人称接辞や人称代名詞に限れば、naとkaの対立は、松本論文がいう「ユーラシア内陸言語圈」と「環太平洋言語圏」の対立とは重ならないが、そのずれを追っていくことで、それらの「言語圏」の成り立ちや「根拠」、そして、それらの真の意味を問い直すことができるのだと考えられる。