今日は今日は相川七瀬の「ParaDOX」から「Love merry-go-round」を聞いている。
20 能格言語から活格言語へ
(a)北アメリカの活格言語
「活格言語と言いうるものは,北アメリカに非常に多く存在して」おり、「ナ・デネ語族に属するトリンギット語やナヴァホ語,スー語族に属するダコタ語やアイオア語,マスコギ語族に属するマスコギ語やヒチティ語,イロクォイ・カット語族に属するフロソ語やモホーク語などは,いずれも活格言語である」
「活格言語は南アメリカにも確認されて」おり、「ブラジル,パラグァイ,アルゼンチン,ボリビア,ペルーの諸地域にまたがって分布するトゥピ・ワラニー語族に属する約50にのぼる言語は,すべて活格言語」である。
「ダコタ語(スー語族の一つ)の例文をあげてみ」る。
(17) a. w,a-t'i
私-住む
「私は住む」
b. ma-sica
私-悪い
「私は悪い」
c. ma-ya-k-k'te
私-あなた-殺す
「あなたは私を殺す」
「上の三つの文におけるwa-とma-は動詞に付された代名詞的小辞であり,ともに「私」を意味する」が、「これらは次のように使い分けられる」
「すなわち,活動・行為・運動を表す動詞を用いた文の主語となる場合,「私」は(17)のaのようにwa-として表され」、「この場合,問題の文が自動詞文であるか他動詞文であるかは一切関与しない」
「「私」がbのように状態動詞を用いた文の主語になる場合,およびcのように他動詞の目的語となる場合,それはma-として表される」
(b)活格構文と不活格構文
「次に,カマユラ語(南アメリカ先住民語の一つで,トゥピ語族に属する)の例をあげ」る
(18)a. wəra wararawijawa o-u?u
烏 犬 咬んだ
「烏が犬を咬んだ」
b. wəra o-wewe
烏 飛ぶ
「烏は飛ぶ」
c. wəra z-powəj
烏 重い
「烏は重い」
「上の(18)のaとbでは動詞が活性的意味(活動・行為・運動)を表すので,活性系列の3人称接辞o-が動詞に付されている」が、「cでは動詞が不活性的意味(不活動・状態・静止)を表すので,不活性系列の3人称接辞i-が動詞に付される」
「このような動詞人称指標の使い分けにもとづいて,クリモフは活性系列の接辞を含む文を活格構文,不活性系列の接辞を含む文を不活格構文と呼んでいる」が、「クリモフの言う活格構文と不活格構文のモデルには,以下に示すとおり三つの種類がある」
〈表3〉活格構文と不活格構文の三つのモデル
活格構文 不活格構文
1) N-Vact N-Vstate
2) Nact-Vact Ninact-Vstate
3) Nact-V Njnact-V
「これらのうち1)は,活性と不活性の区別を動詞の人称接辞のみに頼っている動詞型であ」り、「2)はその区別を動詞の人称接辞と名詞の格標識の両方に頼っている混合型であり,3)は同じ区別を名詞の格標識にだけ頼っている名詞型である」が、これらのうち「現存する活格言語に典型的な型は動詞型である」
「格パラダイムとしての活格的形態も,動詞人称接辞としての活格的形態も,その起源は同じ具格的要素を含む構文に求められる」
「そして両者は,似てはいるが,それぞれ独自の過程を経て発達したと考えられる」
(c)格活の起源
「まず、格パラダイムを有する言語において活格が生まれた過程」は以下のとおりである。
<図1〉活格の成り立ち
1)具格副詞十絶対格主語十動詞
↓
2)能格主語十絶対格目的語十動詞
↓
3)活格主語十不活格目的語十動詞
「1)から2)への変化,すなわち具格副詞の能格主語化は,すでに」「論じたことであ」り、問題は「能格主語の活格主語化である」
「2)の能格構文は,一般に,制御可能な随意的行為を表した」ので、「能格主語は一般に随意的行為の主体を表す」
「そこで能格は,ある種の能格言語において,随意的行為を表す自動詞文の主語としても用いられるようになった」
「つまり,随意的行為を表す他動詞文が能格主語をとるならば,同じ随意的行為を表す自動詞文の主語も能格にしようとする類推が働いたのである」
「次に能格は,ある種の言語において,随意的ではない行為,すなわち不随意的な行為を表す自動詞文の主語としても用いられるようになった」
「つまり能格の使用が,行為を表す動詞,すなわち活性動詞と言いうる動詞を用いた文全体に拡張した」が、「こうして能格は,もはやかつての能格ではなく,活格と言うべき格に変質したのである」
「この変化の過程を自動詞文の変化についてのみ図示すれば,次のようになる」
〈図2〉活格言語類型の成り立ち
1)能格言語の段階:絶対格主語十動詞
↓
2)中間言語の段階:能格主語十動詞(随意的行為)
絶対格主語十動詞(不随意的行為/状態)
↓
3)活格言語の段階:活格主語十動詞(行為)
絶対格主語十動詞(状態)
「このように,能格言語から活格言語に至る間には中間言語の段階が存在する」が、「中間言語における自動詞文では,能格は随意的行為を表す場合にだけ用いられ,不随意的行為を表す場合には絶対格が用いられる」
この中間言語は「単に架空の想定ではな」く、「現存するいくつかの言語が,実際,この段階に到達し,この段階にとどまっている」
「たとえば上で言及したレズギ語は,ほぼ確実に中間言語として位置づけることが可能であ」り、「コーカサスの諸言語の多くが中間段階あたりに位置している」
なお「グルジア語を含むカルトヴェリ諸語は,アオリスト形を用いた構文に限って言えば,すでに活格言語の段階に入っている」
「コーカサスの諸言語に観察される活格的性格は,残滓でなく革新である」
(d)能格から活格へ
「南北アメリカの活格言語も能格言語類型を経由して成立したものであ」り、「この変化の過程を以下に示」す。
<図3〉活格言語類型の成り立ち
1)具格副詞+主語+Ⅰ類接辞-自動詞
主語+Ⅰ類接辞-自動詞
↓
2)主語十目的語十+類接辞-Ⅱ類接辞-他動詞
主語+I類接辞-自動詞
↓
3)主語+目的語+Ⅰ類接辞-Ⅱ類接辞-他動詞
主語+Ⅱ類接辞-自動詞(随意的行為)
主語+Ⅰ類接辞-自動詞(不随意的行為・状態)
↓
4)主語+目的語+Ⅱ類接辞-他動詞
主語+Ⅱ類接辞-自動詞(随意的行為)
主語+Ⅰ類接辞-自動詞(不随意的行為・状態)
↓
5)主語+目的語+Ⅱ類接辞-他動詞
主語+Ⅱ類接辞-自動詞(行為)
主語+Ⅰ類接辞-自動詞(状態)
「この図は,動詞人称接辞がⅠ類からⅡ類へと移行していく過程で能格言語類型が生まれ,それがさらに活格言語類型に変わっていったことを非常に単純化して示したものである」
「まず,1)は他動詞文が期待されるところに自動詞文が用いられた段階,つまり具格的な要素が他動詞文主語の原型として機能していた段階である」
「次の2)は,1)の具格的要素が他動詞文の主語に転じ,1)の主語が他動詞目的語に転じた段階であ」り、「ここでは,新しい主語が新しいⅡ類接辞と呼応し,主語から転じた目的語はⅠ類接辞との呼応関係を維持した」
「こうして,目的語を投影する動詞活用,すなわち一般に対象活用と言われる呼応が生まれた」
「〈図3〉に従えば,1)の自動詞文における主体活用が2)の他動詞文において対象活用に転じたものであるから,主体活用のほうが対象活用よりも明らかに古い」が、「他動詞文内部における両活用の新旧を問うならば,主体活用と対象活用は2)の段階で同時に生まれたと言うことができる」
「2)の段階」は「自動詞文主語と他動詞目的語が同じⅡ類接辞と呼応し,他動詞文主語がそれとは異なるI類接辞と呼応している」ので、「能格言語の類型を示している」が,「能格型体系は次の3)の段階からしだいに崩壊していった」
それは「Ⅱ類接辞が自動詞文でも使われるようになり,その使用がだんだんと増大していったからである」
「自動詞文におけるⅡ類接辞の使用は,まず,随意的行為を表す文に始まった」が、「これは,他動詞文が典型的には随意的行為を表したことと関係があ」り、「2)の段階で他動性と結びついていたⅡ類接辞が他動詞文の典型的な意味特性である随意性と結びつくことによって,それが自動詞文に波及したと考えられる」
「4)の段階では,Ⅰ類接辞が他動詞文から消失し,対象活用が失われた」が、「自動詞文ではⅡ類接辞がさらに発展を遂げ」、「随意的行為を表す文にとどまらず,不随意的行為を表す文でもそれが用いられるようになった」
「この変化はきわめて自然な成り行きであった」
「というのも,一つには随意的行為と不随意的行為は一般に同じ動詞形によって表されるからであ」り、「また一つには,ある行為が随意的行為か不随意的行為かをしばしば判別できないからである」
「こうして,たとえば「太郎がわざと転がった」場合でも,「太郎がうっかり転がった」場合でもⅡ類接辞が用いられるようになり,5)の体系が生まれた」のである。
「5)は言うまでもなく典型的な活格型の体系である」
(e)「連続的変化」と「生き残り」
「以上のように,活格言語は能格言語を経由して生まれたものであ」り、「名詞パラダイムとしての活格は能格が拡大したもので」、「動詞の活格型人称接辞も,能格型人称接辞が拡大したものである」
「活格と対立する不活格は,自動詞文主語を標示した形態の系統をひく絶対格の「生き残り」であり,活格型人称接辞と対立する不活格型人称接辞も,自動詞文主語と呼応した人称接辞の系統をひく絶対格型人称接辞の「生き残り」である」
「言語類型が変わるとき,名詞のパラダイムであれ動詞の人称接辞であれ,それは漸進的な変化を遂げるはずである」ので、「ある言語類型が別の言語類型に転じたことを論証するには,そこに何らかの史的連続性が確認されなければならない」が、「能格言語から活格言語への変化を想定した場合には」,「名詞のパラダイムと動詞の人称接辞の変化を連続的にとらえることができる」のである。
ここまでの近藤論文の論述に異論はない。
なお、「図3」とその説明文が整合してなかったため、説明文の「Ⅰ類接辞」と「Ⅱ類接辞」の文言を一部交換して引用した。
近藤論文によると、活格言語は能格言語から生まれたものであり、活格は能格が拡大したもので、「動詞の活格型人称接辞も,能格型人称接辞が拡大したものである」という。
そして、その「拡大」は、「随意的行為と不随意的行為が一般に同じ動詞形によって表される」もとで、「ある行為が随意的行為か不随意的行為かをしばしば判別できない」場合を契機に、「漸進的な変化」として進行していった、という。
こうした近藤論文の指摘から、能活言語では本来使用されるべきではないところに異なった表現形式が使用されていくことが累積することで、表現形式の意味が「漸進的」に変化していった結果、能活言語から格活言語が誕生したことがわかる。
近藤論文は、活格言語の例として、ここでは北アメリカと南アメリカの世園住民の言語を例示しているが、後述するように、インド・ヨーロッパ祖語にも活格言語の段階が想定できる。
現生人類が北アメリカ大陸に渡った以降、旧大陸の現生人類と新大陸の現生人類は、バイキングなどの一時的な進出以外は、1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見まで、相互の接触・交流はなかった。
それにも拘わらず、双方の言語が独自に能活言語から活格言語に変化したということは、その変化の過程の「必然性」が双方の言語で共通の「普遍性」を持っていたことを示している。
そして、そのことが可能となったのは、双方の言語のもととなった能活言語の言語構造に共通性があったからであり、その能活言語が単純な自動詞文から誕生したものであったとすれば、双方の言語は、究極的には一つの「人類祖語」に起因するということが出来るのである。