スサノヲと紀氏について(12) | 気まぐれな梟

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今日は、一風堂の「すみれ September Love」を聞いている。

 

古事記や日本書紀では、スサノヲはどのように語られているだろうか?

 

山口 博の「創られたスサノオ神話(中公業書)」(以下「山口論文」という)によれば、「記紀の語るスサノヲは、渡来氏族が持ち込んだ騎馬遊牧民叙事詩の英雄を歪曲し、人為的に創り出した神なのである」という。

 

つまり、山口論文によれば、古事記や日本書紀に書かれているスサノヲ神話のもとになったのは、騎馬遊牧民叙事詩の英雄の神話であり、それを歪曲することで、古事記や日本書紀に書かれているスサノヲが造形されている、という。

 

そこで、古事記や日本書紀に書かれているスサノヲ神話から、騎馬遊牧民叙事詩の英雄の神話が復元出来るかどうか、を、山口論文の文脈と論理展開を負いながら、検討する。

 

なお、引用は長文となるので、引用符は使用しない。

 

山口論文は、古事記や日本書紀に書かれているスサノオ神話は、騎馬民族の習俗などから解釈することができ、また、スサノオは馬を飼育していたと解釈すると、矛盾なく理解できるとして、以下のようにいう。

 

高天原におけるスサノオの乱暴を、「古事記」「日本書紀」「古語拾遺」と「先代旧事本紀」によって、一覧に列挙すると、農耕破壊と神聖な機織殿を汚した斎殿汚禄に二大別できる。

 

山口論文は、農耕破壊はスサノオが馬を飼育していたと解釈すると、矛盾なく理解できる、という。

 

農耕破壊は、アマテラスの営田に対する悪行である。

 

 重播は、すでに田に種子か播かれているにもかかわらず、さらにその上に種子を播く行為で、畔毀は、田の畦道を破壊して、境界をなくする行為である。

 

田に水を引く設備の破壊は、溝填は、用水路を埋める行為で、放樋は、木樋を壊す行為で、埋溝は「渠填」に同じである。

 

アマテラスの田を奪い占有する行為は、絡繩は、一書第二には「秋の穀已に成りぬるときに」とあり、「稔ったアマテラスの田に縄を引き渡して、私有を主張し犯す行為であり、捶籤は、一書第三には「秋は」とあり、稔ったアマテラスの田に串を挿し、標として所有権を主張する行為である。

 

なお、「先代旧事本紀」では、春は「挿串」、秋は「絡縄」と区別する。

 

馬の飼育に関わる行為は、馬伏は、「日本書紀」本文と「先代旧事本紀」に「秋は」とあり、稔ったアマテラスの田に馬を放って伏せ起こしなどをさせる行為である。

 

春の悪行では、アマテラスの田に標識の串を挿して自分の田であると主張しい、また、用水路を埋め、木樋を壊し、崖漑設備を破壊するのは、結果として乾田化を招く行為である。

 

さらに、田にはすでに種が播かれていたが、別の種を播くが、スサノオはアマテラスの田を奪い、畔道を破壊して区域を拡大し、田を一変させて乾燥原を出現させたのだ。

 

 秋の収穫時にはアマテラスの田に繩を引き渡し、己の田地を拡張し、さらに飼育している馬を稲の稔った田に放って伏せさせたが、馬はイネ科の植物を好む草食動物であるので、この行為は、稲の飼料化である。

 

「先代旧事本紀」は、渠填・放樋・埋溝、絡縄・挿串などの重複にも配慮することなく、他書に見える悪行を総ざらいし、さらに他書には見られない「放尿」をも加える。

 

スサノオの主要な悪行は、詳細な項目列挙が示すように、農耕破壊にあった。

 

スサノオの農耕破壊神のイメージは、悪行か原因で高天原を追放されて、出雲国に降る途中で、五穀を生じたオオゲツヒメは大地母神であり穀物神であるオオゲツヒメ殺害したことにも表されている。

 

 米を常食とする高天原の神々にとって、農耕の破壊は自殺行為に等しいが、ならば、なぜスサノオはそのような行為をあえて行ったのか。

 

 田に馬を伏せさせる、馬の皮を剥ぐ、というこれらの行為か示すように、スサノオは馬を飼育しており、馬の飼育には牧草が必要であり、そのためには稲田よりも牧草地の確保か優先するである。

 

畔を潰し、アマテラスの所有田に己の占有標を立てて用地を拡張し、用水施設を破壊して乾田化を図り、二重播きした種子は、稲ではなく牧草の種子である。

 

スサノオの行為は、裏を返せば、牧草地確保のためだったと考えられる。

 

記紀に描かれたスサノオは農業神どころか、まったく相反する農耕破壊の神、農耕民とは利害の対立する騎馬遊牧民的な生き方の神である。

 

このような、山口論文の指摘は、妥当であると考えられる。

 

山口論文は、神聖な機織殿を汚した斎殿汚禄は、スサノオが騎馬民族の習俗に従った行動をとったと解釈すると、矛盾なく理解できると、以下のようにいう。

 

 スサノオの農耕破壊に対して寛容な態度を示していたアマテラスか、ついに堪忍袋の緒を切ったのは馬の皮剥ぎの行為によると、「古事記」と「日本書紀」本文及び多くの一書は記すが、別の理由を挙げるのか第七段一書第二である。

 

日神の新嘗し召す時に及至びて、素菱鳴尊、則ち新宮の御席の下に、陰に自ら送糞る。日神知しめさずして、徑に席の上に坐たまふ。是に由りて、日神、体挙りて不平みたまふ。故、以て恚恨りまして、廼ち天石窟に居しまして、其の磐戸を閉しぬ。

 

アマテラスが怒ったのは、新穀を召しあがる新嘗の祭りの御殿の座にスサノオが糞をし、アマテラスは知らずにそこに坐ったので、体が「不平」になったからだと書く。

 

ところが、「古語拾遺」だけは記紀と異なり、「屎戸」の語を挙げ、その割注に「新嘗の日に当りて、屎を以て戸に塗る」としている。

 

また、先に言及した「六月晦大祓祝詞」(「延喜式」巻八)や、延暦二十三年(八〇四)に伊勢神宮の神職か神祇官に提出した「皇太神宮儀式帳」は、スサノオの一連の暴虐行為とほぼ重なる罪を天津罪として列挙しており、そこにも「屎戸」と見える。

 

まき散らされたのが、あるいは戸に塗られたのが、人糞(神糞?)ではなく、獣糞であるならば、騎馬遊牧民か獣糞を乾燥させて燃料にするために地面にまき散らし、壁に塗り付けることは、極めて自然なことである。

 

時節は新嘗の時とあって、律令によると十一月下旬卯の日。まさに季節は冬であり、燃料確保の行為と見ることかできる。

 

モンゴル族は現在も冬季にはホルゴルと呼ばれる羊の糞を床下に敷き、その上にカーペットを掛けて防寒に努めている。

 

 このように考えると、アマテラスの御殿の座の下に糞をしたというのも、また別の解釈か可能である。

 

「古事記」と「日本書紀」第七段本文、一書第二は、スサノオが屎をしてまき散らしたとするが、「古語拾遺」は誰の(何の)糞であったかを明示せず、「六月晦大祓祝詞」と「皇太神宮儀式帳」では単に「屎戸」を天津罪として挙げるだけで具体性はない。

 

 「六月晦大祓祝詞」を仔細に読むと、天津罪は二種類に分けられる。

 

 「畔放ち・溝埋み・樋放ち・頻蒔き・串刺し」までの五つは農耕破壊の罪で、そのあとの「生け剥ぎ・逆剥ぎ」は動物に関わる罪であるので、これに続く「屎戸」も、やはり動物の糞を戸に塗り付ける行為と見るのが自然である。

 

「皇太神宮儀式帳」においても同様であり、スサノオと馬の結び付きを考えると、その動物の糞は馬糞だったと思われる。

 

なお獣糞を単に糞と記載する例は。中国の「金史」列伝にも、学問好きの劉煥が寒い口には「糞火」を抱え込んで読書をしたなどと見え、獣糞を燃して暖を取っていたのである。

 

「先代旧事本紀」には、スサノオの悪行として「放尿」が挙げられているが、十三世紀のチンギスーハーン制定のモンゴル法では、水中または灰塵中への放尿は死刑と定まっていたといい、この厳しい罰則は、水や火を崇拝するシャーマニズムの反映だと、リャザノフスキーは解している(青木富太郎訳「蒙古法の基本原理」一九四三年)。

 

このような山口論文の指摘は妥当である。

 

古事記や日本書紀に書かれたスサノオの悪行は、馬を飼育する人たちの習俗などから造形されている、と考えられる。

 

しかし、「アマテラスの御殿の座の下に糞をした」というのが、北方の草原地帯で厳しい冬を過ごすために、例えば「ホルゴルと呼ばれる羊の糞を床下に敷き、その上にカーペットを掛けて防寒に努め」ることから連想されたものであるならば、その伝承は、北方の遊牧民のものである。

 

北方とは異なってより温暖な朝鮮半島南部や日本で、そうした習俗が行われていたとは考えられず、それを知っていた人たちは、例えば、モンゴル高原や旧満州の中国東北部、万里の長城付近などの地にいた記憶を保持していた人たちであった、と考えられる。