原文は以下のサイト
http://www.priestsforlife.org/euthanasia/euthanasiaqanda.htm
1.我々に死ぬ権利はあるのか?
私は「我々に死ぬ権利はあるのか?」と聞かれたとき、「心配するな」と答えることにしている。
権利というのは我々が要求するものだが、死は我々が要求するものではない。
死が我々を要求するといっていい。
「生きる権利」と「死ぬ権利」は似通った物だと言う人がいるが、それらは対極であると言える。
「生きる権利」の背景にあるのは「生命は神からのギフトであり、自由に売り買いしたり処分することは
できない、もちろん決して侵されてはならない」という思想だ。
一方、「死ぬ権利」の背景にあるのは「生命も我々の持ち物であり、人生がつらく苦しければ
自由意志のもとに処分することも許される」という思想だ。
キリスト教徒はその考えに対して、「生命はそれ自体に価値があり、苦しくてもそれを捨てることは
許されない。」と主張する。
2.安楽死とは何か?
安楽死というのはある行動を行ったり止めたりすることによって、患者を死なせ、
苦しみから解放することである。
3.自殺ほう助とは何か?
自殺ほう助とは、ある者が希望者が死ぬことを手助けする行為である。
例えば、医者が患者に致死量の薬物を処方する行為があげられる。
4.「積極的安楽死」と「消極的安楽死」の違いとは?
積極的安楽死は注射を打つなど何らかの行為によって対象者を死なせることであり、
消極的安楽死とは生命を維持する行為を止めることで患者を死なせることである。
ただし、消極的安楽死と人道的に不必要とされる行為を停止することを混同しないこと。
もし人道的に不必要と思われる行為を停止した結果死期が早まったとしても、
それは消極的安楽死とは呼ばれない。
5.どのような処置が義務付けられるべきで、どのような処置が義務付けられるべきでないのか
どれほどひどい状態に陥った患者であろうと、我々には彼を死なせる権利はない。
それよりも我々には彼らが生きることを助ける義務がある。
しかし、どの程度まで我々はそれを行うべきなのだろうか?
どの地域も宗教も我々に「すべての手段を使って延命させよ」と命令まではしていない。
患者が生きるのを助ける処置にも「ordinary」なものと「extraordinary」なものがある。
前者(ordinary)は常に用いられるべきものである。患者に対して大きな負担や苦しみを課すことなく、
利益を与えるものである。
後者(extraordinary)は特殊な処置であり、多大な負担を要する。
二者の区別は「人工」と「自然」の区別とは違う。
人工的な処置であっても、多大な負担を生むことなく患者に利益をもたらすものは
「ordinary」に分類される。
(途中)