小説『魔術師』江戸川乱歩

 

創元推理文庫。1996年の9版。初版は1993年。当時の売価・税込み600円。ブックオフで110円で買った。

もともとは1930(昭和5)年から翌年まで雑誌『講談倶楽部』(講談社)に連載。100年前の小説なのにオモシロイ。

「魔術師」と呼ばれる男の不可思議な連続犯罪と名探偵明智小五郎の対決を描く。

 

長い間の疑問が解けた。小学生か中学生の頃、地下室の穴ぐらで寝入ってしまった人の前にレンガを積み上げ密室状態にしてしまい閉じ込め殺害するという怖い場面を見て、あれは何という作品だったのかと50年近く疑問を抱き続けてきた。その場面がこの小説に出てきて、どうやらこの『魔術師』をドラマ化した天知茂主演の土曜ワイド劇場『浴室の美女』(1978年放送、井上梅次監督)を見たんだろうという結論を得た。長年の疑問が解けスッキリした。できればもう一度このドラマ見てみたい。DVD買おうかなあ~。

巻末の解説によると、この殺害方法は、ポーの小説からのイタダキらしい。

この方法が印象的なのは「殺害方法が、丁寧で静的で緻密で冷静さを必要とする作業であればあるほど、内面の狂気との対比が強調され不気味さが増す」ということなんだろうと思う。

乱歩さんはすごいな。「こんな小説書いたらオレ自身の人間性を疑われないかしら」と思わず筆が止まってしまいそうな内容を構わず書いてしまう。ここがスゴイ。この狂気と度胸が。

 

こういう、現代なら「ツッコミどころ満載」とか下らねえこと言われてしまいそうな作品をみんなが愉しんだ時代っていいなと思う。今の推理小説は高度化して隙が無くなったかもしれないが愛好家、マニアだけが楽しむものになってしまった。かといって乱歩のような原初的作品が現代人に広く受け入れられるとも思えない。そう考えてくると「物事の進化って何なんだろう?」と思う。作品内容の高度化と面白さは必ずしも比例しない。野球もそうである。技術が高度化したので面白さが増したかというと必ずしもそうではないと感じる。

 

『怪奇大作戦』の第1話は『壁ぬけ男』で、これは明らかに乱歩っぽい。飯島監督の注文やアイデアを上原氏がシナリオ化した作品らしいが。その後『怪奇大作戦』から乱歩的作品は姿を消す。これは佐々木守・実相寺昭雄の『死神の子守唄』があまりに傑作すぎて路線を決定づけてしまい、今さら乱歩路線の作品を作ろうとは誰も思わなくなったからと思われる。しかし第19話『こうもり男』は再び乱歩的作品となる。これは佐々木・実相寺的な「テーマ主義」路線作品では視聴率が取れないので、ここらで乱歩的・活劇路線をやろうと上原氏が発想したのだろうか? できれば「テーマ主義」の作品をもう一本、上原氏には書いてほしかったが。でも「テーマ主義」作品のアイデア出しはめちゃくちゃ大変だろうからさすが当時の上原氏でも「もう一本」は無理だったかもしれない。「当時の上原氏にテーマ路線でもう一本!」は永遠にかなわぬ夢想である。