短篇集『乳房』伊集院静

 

もともとは1990年に刊行された単行本。1993年講談社文庫化。1994年の文庫6刷本体369円をブックオフで108円で買った。

2006年、2016年にも読んでいる。その時とまったく感想が変わっていない。進歩が無い私(笑)。また何年後かに読んでもたぶん同じだろう。

 

『くらげ』

主人公は広告業界の男。学生時代の知人に、ある兄妹がいた。とても仲が良い兄妹。卒業後、兄妹とは疎遠になったが、その後、妹・公子と偶然再会する。公子はスナックのママになっていた。兄は失踪したという。公子は2度離婚していた。主人公は、公子の心に兄のことが残りすぎていると感じる。主人公には若き頃、弟が海難事故で死んだ経験があった。死者が心に残っているという意味で自分と公子は同じと感じる。公子は間もなく三度目の結婚をするという。主人公は励ます。

(感想 難解。「死んだ人は残された人の心に何かを残す」とは伊集院氏がエッセイでたびたび書くテーマだが、この小説もそれがテーマか)

 

『乳房』

妻が癌で入院、夫は仕事を辞め、病院で付きっきりの生活を始めた。妻と夫の気持ちの揺れ動きが繊細に綴られる
(おそらく体験記。この妻は好きな夫にこれだけ尽くされ愛されて幸せだっただろう。私選「切ない小説ランキング1位」)

 

『残塁』

主人公は演出家。学生時代の知人から葉書が届き、知人が経営する池袋の焼鳥屋に行き20年以上ぶりに再会する。学生時代、知人と海ヘ行き、溺れかけた知人を助けた想い出が蘇る。主人公は同席した知人の妻から、知人は実は泳ぎの達人と聞く。ではなぜあの時溺れたフリをしたのか? 主人公は知人に対し複雑な思いを抱いていた自分に気づく。

(難解。主人公の名字は神崎。『羊の目』と同じ。伊集院氏お気に入りの名字のようである。知人のモデルは、伊集院氏の野球部同期、池袋でうどん屋経営の横山であろうか? いや内容から考えて違う人の話だろう)

 

『桃の宵橋』

主人公は44歳の冴子。三年前、警察沙汰になる事件があり、両親が売春店を経営していることをその時初めて知った。まさかの事実だった。そして今回、弟が結婚することになり、母に売春店経営をやめてもらうよう頼もうと実家を訪ねるが。

(世の中綺麗事だけじゃない、世間が眉をひそめるようなことをしないと生きていけない人たちもどうしようもなく存在するのが現実社会なんだ、それら弱い立場の人々を否定的にばかり見てはいけない、というのは伊集院氏がエッセイでもしばしば書くテーマである。そのテーマを描くために書かれた小説だろう。非常に難しいコースを狙って書いている。世の中、正しい道を堂々歩いて生きていける強い人間だけじゃないんだ。弱者に寄せる温かい眼差し。2016年に読んだ時は、この小説のラストについて、「ラスト、父親が施した照明のおかげで、それまでの風景が主人公の目に、違って見える部分。これは、「中身が何も変わらなくても、光の当て方一つで、物事ってのはまったく違って見えるんだよ」という作者の主張の顕われ。」と書いている。これは今回2024年は気付かなかったが、2016年に書いている通りかもしれない。

 

『クレープ』

主人公は中年男性。女と同棲中。赤ん坊の頃から会っていない娘に会うことになる。娘が難関高校に合格し、父親に会うことを希望したと前妻に言われたため。養育費は送ってたが。女遊びもそれなりにこなしてきた主人公だが、娘に会うとなると妙に緊張。会う店の下見までして口に合わぬクレープの試食までしてしまう。そして会う当日。レストランで食事する父娘。ぎこちない会話。話がろくに出来ぬまま通りかかった学生野球の神宮球場に入る父娘。そこで主人公は自分でも思ってなかった行動に出てしまう。

(面白い。主人公の緊張が読者にも伝わる。人生のヒトコマがうまく描かれている。面白くてしみじみさせる。理想的短編小説。私選・短編小説の殿堂入り決定)

 

■以下2016年の記事。


(小説)乳房(伊集院静)

ブックオフで100円で買った講談社文庫。
短編集。
ブログに書いているが、この本は十年前にも
一度読んでいる。キレイさっぱり忘れてるが。

「くらげ」
大学時代の球友の妹と再会する主人公。
球友は現在は所在不明。
主人公にも、かつて弟を亡くした経験がある。
年月を経て、二人は喪失感からそれぞれ少しづつ
立ち直っていく。

「乳房」
死病と戦う妻の入院につきそう主人公。
そんな状況で人間は、男は、
キレイゴトだけでは暮らせない生き物なのだ。

感想……主人公は妻に四回子供をおろさせているという。
どうしても自身を想像させる主人公にそういう描写を書くのは
ちょっと偽悪的な気がするが。好編。

「残塁」
主人公は大学時代の球友に会う。20年以上ぶり。
しかし青春を過ごした街は変貌し、当時通った店も、
主人公の記憶とは何かズレている。
そして主人公は、自分が心に押し隠していたある思いに
気づく。

感想…10年前と同じ感想である。「作者の意図不明」。
私が馬鹿だということもあるが、この作品は、
この本の他の作品と比べても、意味がとりにくい作品
ということはいえると思う。

「桃の宵橋」
両親が、けして胸を張れる仕事ではない仕事をして、
自分たちを育ててきたことを知った中年女性の葛藤。

感想…この、「世の中には、よくないとされることでも、
仕方ない、ってのはあるんだよ」というテーマは、
この作家が繰り返し書くところである。
ラスト、父親が施した照明のおかげで、それまでの風景が
主人公の目に、違って見える部分。これは、「中身が何も
変わらなくても、光の当て方一つで、物事ってのはまったく
違って見えるんだよ」という作者の主張の顕われ。

「クレープ」
離婚して、娘の養育費を払っていた男。
娘の高校入学が決まり、娘の希望で、男は娘に会うことに
なるが……

感想…10年前は大感激しているが、今回はさほどでもなし。
でも、いい小説と感じることには変わりない。
幾多の女性と交際して、世間をよく知っている主人公が、
娘の前ではまるでカタ無しになってしまうのが
とても面白い。

伊集院氏の小説は、苦味があって、私の好みに合う。
これからもちびちび読んでいきたい。

 

■以下は2006年の記事。


「乳房」(伊集院 静 著) 060715

短編集。講談社文庫。
父の本棚からかっぱらってきて読みました。

「くらげ」…行方不明になった、大学野球部時代の同僚。
      つきあいのあったその妹と主人公は再会する。
「乳房」…死の病に冒された妻。仕事を辞めて最期の日々に付き添う夫の話。
「残塁」…大学野球部時代の同僚と再会する主人公。
     封印していたある想いに気づく。
「桃の宵橋」…両親はけしてきれいごとではない仕事までやって
       自分を育ててくれていた。自分も親の立場になって
       主人公はそのことを知る。
「クレープ」…15年前離婚した男。高校生になった娘が会いたい
       と言っているという。
       非難されるのを覚悟で娘に会う主人公。
       15年ぶりの再会、そこで交わされる会話は…

(感想)
「くらげ」は2つの話が分離したまま推移してるような気が。
「乳房」どうしても作者の妻・夏目雅子さんの最期を想起してしまいます。
「残塁」意味不明。
「クレープ」これは傑作。これは読む価値あり。じいんときます。

また伊集院さんの本を読むかどうかはわかりません。