台本『泊気質ハーリー異聞』金城哲夫

 

沖縄芝居の台本。脚本集『金城哲夫の世界 沖縄編』所収。1972年作品。

 

金城氏らしい、シンプルで力強い骨格のしっかりしたドラマ。泣かせどころ(松アとチルーが愛を語らう場面、チルーの同僚が松アを責めるセリフ、モウスーが松アを慰めるセリフ)もキッチリ抑え、アクションシーンもたっぷり。手馴れた感じの作品。

三良を演じた俳優に依頼され、彼の記念公演のために書き下ろされた台本だが、実質的な主役は三良ではなく松ア。ここは不思議な点。また、俳優はお題として「かつてハーリー狂いの男がいたそうだ」と金城氏に言ったらしいが、書かれたドラマはハーリー狂いにさして関係が無い。ここも不思議。

 

金城氏の芝居は「沖縄芝居らしさが無い」との評を受けることがあったという。この『泊気質…』も、「ヤマト芝居に沖縄要素をトッピングしただけ」と評されることがあったかもしれない。「沖縄芝居らしい芝居を書かねばならない」との使命感に捉われすぎたことが金城氏の悲劇だった気がする。もっとシンプルに「自分が面白いと思うものを、書きたいように書く」という姿勢に徹することができれば、悲しい運命は避け得たのではないか。本土での金城氏の輝きに満ちた作品群を考えると、そう思われてならない。

 

あらすじ

舞台は泊村。国王により塩焼き業が禁止され、また日照り続きで農業も不振、村民は苦しんでいた。主人公・三良と息子の松アは、塩焼き仕事ができないので、臨時に船乗りになり働いていた。ハーリー(小型漁船による村対抗レース)の日が近づき、ハーリー大好き男・三良の血が騒ぐ。

そんなある日、港に客船が着く。松アが舵取りしてきたその船には、若い娘・チルーが乗っていた。チルーは遊郭に売られて故郷を去り、船で連れてこられたのだ。チルーは松アの恋人。松アにとって、遊郭に売られた恋人を自分で運んでくる悲しい航海であった。

腕利きハーリー乗りの三良は、ライバル久米村のチンピラ(ただし武士の息子)に「久米村に引っ越してきて久米村のハーリーに乗れば息子ともどもゼイタクな生活をさせてやるぞ」と勧誘を受ける。「銭金で転んでたまるか」と三良はキッパリ断った。 

恋人が遊郭に行ってしまい、松アは苦悩の日々を送っていた。そこへチルーが遊郭を脱走し松アに会いに来た。チルーは兄が海で行方不明、家は働き手を失い、仕方なくチルーを売ったのだ。チルーに愛を告げる松ア。喜ぶチルーだが「今夜から娼婦になる。今日は実はお別れに来たの」と言う。チルーは遊郭に連れ戻され、松アは袋叩きにされた。

その後、泊村の塩焼き業が久米村に横取りされてしまう。そして迎えたハーリーの日。チルーの兄モウスーが帰ってきた。モウスーは遭難後ルソン島に流れ着き、やっと琉球に戻ってきた。稼いできた金でチルーを買い戻すため遊郭に行くという。ところがそこへチルーが首吊り自殺したとの知らせ。遺体も運ばれてくる。チルーの同僚が松アを「意気地なし」と責める。「どうしてチルーを連れて逃げてやらなかったか」と。慟哭する松ア。しかしモウスーは松アを励ます。「妹は感謝してるはず」と。松アは逞しい男になると誓う。からんできた久米村連中を叩きのめし、ハーリーでの勝利も誓う。そこへ豪雨が降ってくる。悲願の雨で日照りは終わった。塩業を横取りされてもくじけない泊の人々の喜びの踊りが続く。終