『眞実』成田亨

 

2003年 単行本 成田亨・著

成田亨遺稿集制作委員会・発行

正式書名は

『眞実 ある芸術家の希望と絶望』

値段が本に書いてない。記憶では3500円。

書店ではなく成田氏関連のHPで申し込み、

代金を振り込んで郵送される方式だったと思う。

私家版・自費出版本。

現在では稀少本とされている。

成田氏関連の記事の再録も多く貴重な本。

 

久々に再読。その間いろんな本を読んだから

読書の経験値が上がっていて

前回とは違う感じ方ができればいいなと

思いながら読んだ。

この前に読んだ『光る海』が興味の無いテーマの

小説で、読み通すのに苦労したので、

興味あるジャンルの本を読んで読書の愉しさを

思い出そうと思って読んだ。

 

成田氏が亡くなる直前まで書いていた原稿を

載せた本。文字通り「遺言」といえる。

「死後の自費出版でよい」と覚悟して書いた内容だけに、

商業出版物よりも、ホンネまる出しの記述。

 

生きる上での原則とか、道義的責任とは何か

に言及した部分が多い。そういうことを大事にした人

だったんだな。マンやセブンのデザインからも

成田氏のそういう「生真面目さ」は感じられるが。

 

自伝部分では石井清四郎とか岩崎致躬とか島倉二千六とか、

ウルトラで見かける名前がドバドバ出てくる。

成田氏が特撮の本流にいたとわかる。

 

成田氏は生まれた時代が運が悪かった。

現代のように「怪獣デザインは莫大な利益を産む」と

認知された時代だったら、

成田氏も当然、印税方式で契約していただろう。

しかし昭和40年当時はそういう概念が無く、

成田氏は「社員」として契約してしまった。

そのため、デザインがその後、利益を産んでも

一銭も儲からず、その後のシリーズでデザインが

改竄されても文句を言えない立場となってしまった。

法律上問題が無いのだから、円谷プロ側の態度は

当然至極で、もっともといえる。

成田氏の言い分は冷たい言い方をすれば

「泣き言」にしか過ぎない。

(道義的な部分は私ももちろん理解しているが

道義なんて一顧だにされないのが現実社会)

 

しかし、もしも1000年後に、

「西暦2000年前後の金持ち」と検索したら

うじゃうじゃ名前が挙がるだろうが、

たとえ1000年後であっても、

ウルトラマンを超えるデザインは

おそらく出現していないだろう。

カネじゃないんですよ。

成田氏は満足すべきと思う。

 

でも、もしも人生を選べると仮定して、

「金は儲けるが、ウルトラマンをデザインしない人生」と

「ウルトラマンをデザインするが、金は入らない人生」、

どちらを選びますかと聞かれたら、

成田氏は後者を選ぶ気がする。

成田氏が自分のデザインしたヒーローや怪獣に

非常に愛情を持っていたことが感じられる本だった。

 

話は変わるが、シン・ウルトラマンより

ウルトラマンCタイプのほうがカッコイイと思う。

もしもCタイプを超えるカッコよさだったら、

「シン・ウルトラマン」観たと思う。

Cタイプを超えるヒーローを死ぬまでに見たい。

(私の選ぶ3大カッコイイヒーローはCタイプと、

仮面ライダー1号(藤岡弘が入ってる時)と、

宇宙刑事シャリバン。

この3つに匹敵するやつを死ぬまでに見たい)

 

「シン・ウルトラマン」では、

成田氏の名前がクレジットされているようだ。

庵野氏が成田デザインに固執したようだ。

円谷作品に成田クレジットが出るのは画期的。

誰もできなかったことを庵野氏は実現した。

オレが庵野氏だったら、成田クレジットを

円谷作品に載せただけで超満足するだろう。

オレから見たら、庵野氏の生涯最大の仕事は

成田クレジットを円谷作品に復活させたこと

と感じる。

 

この方法しか無かった。円谷側が儲かる話と同時に

成田氏の話を俎上に上げるしか。

成田クレジットを円谷作品に復活させる方法は。

妄想。「成田デザインでやれないならこの話はナシ」

と庵野氏は円谷に迫ったのではと妄想する。

成田クレジットをめぐり、どんな舞台裏のドラマが

あったのか、映画自体よりそこに興味がある。

誰か調べて書いてくれないかな。

気骨あるライターはいないのか。

 

成田氏の人生は非常に不運というか皮肉なもので、

松本清張が苦い小説の題材にしそうな感じ。

 

成田氏は赤ちゃんの時に、家族が目を離した隙に

囲炉裏で燃えている炭を手に取ろうとして

大やけどを負い、

そのために左手が不自由だったという。

左手が不自由なために、少年時代から

様々な屈辱を味わったと書いている。

しかし、あかあかと燃えている炭の美しさに、

無心に魅せられて、

吸い寄せられるように近づいていく

赤子時代の成田氏の姿が、

彼の人生を象徴しているように思えてならない。

美しいものを純粋に追い求めるハートが。

そして彼の産み出したヒーローや怪獣たちの魅力もまた

描かれて50年以上経つのに、いまだにあかあかと

燃え続けている気もするのである。

 

ウルトラマンの話なのでついでに書くが、

最近、ナックル星人の回の坂田兄妹殺害の場面を見た。

いくらなんでもあれはやりすぎ。正視できない。

子どもに見せる映像じゃない。絶対二度と一生見ない。

『ウルトラセブン』の時、ダンの透視能力の描写で、

初めは目が青白く光る描写だったが、

気味が悪いという理由で、

目に十字の光が光る描写に途中から変更になった。

そのくらい「不快な描写」に神経を使っていた円谷なのに、

あの坂田兄妹殺害の描写はあり得ないだろう。

円谷一さん、どうしたの!と言いたい。

なぜあんな描写になったのか。

「仮面ライダー」にトップの座を奪われ快走され、

帰マンスタッフに焦りと苛立ちがあり、

判断を狂わせたのではと邪推したくなる。

「悪魔と天使の間に…」「怪獣使いと少年」のように

橋本流ウルトラとしては最高密度のドラマを作りながら

活劇の「仮面ライダー」に独走を許した。

しかも向こうは自分たちより断然低予算。

同じ年のクリスマス、「仮面ライダー」は、

ライダーが子どもたちのパーティーに現われて

プレゼントを配るという内容をやった。

坂田兄妹殺害の帰マンとの何という違い。

このナックル編を境に、ウルトラシリーズの迷走と

低迷がハッキリ始まったように感じるが、

そのタイミングが上原氏降板のタイミングと

一致しているのは

単なる偶然の符合なのだろうか。