小説「飢餓海峡」水上勉

 

新潮文庫 昭和44年初版 入手は昭和55年の29刷

当時の売価520円 板橋の古書店で2023年に120円で買った。

もともとは昭和37年、週刊朝日に連載された小説。

 

細かい活字の時代の文庫本で700ページ以上ある長い小説。

 

昭和22年の青函連絡船沈没事故。函館警察が調べたら、

犠牲者の遺体がなぜか、乗客名簿より2人多かった。

これは犬飼多吉という男が、二人殺してその遺体を遭難遺体に

まぎらせて逃げたらしいということがわかる。

殺された二人は強盗殺人を犯して逃亡中で、大金を持っていた。

犬飼は大金を独り占めして逃亡したと見られた。

盗んだ舟で単身津軽海峡を渡った犬飼は下北半島の遊郭に現われ、

娼婦に同情して大金の一部を渡して逃げた。

警察は犬飼を追って捜査、遊郭にも聞き込みに来るが、

娼婦は嘘の証言をして犬飼の行方は追えなくなる。

娼婦は犬飼にもらった金がヤバい金と警察にバレたらマズいので、

もらった金を元に上京。警察はしつこく娼婦を追うが、

娼婦は飲み屋や遊郭など職業を転々として逃げ切る。

10年ほどが経ち、犬飼は本名の樽見という名で大成功し

舞鶴の食品会社の社長になっていた。

樽見は、刑務所を出た受刑者の就職を支援する事業のため

大金を国に寄付。昭和22年に樽見が殺した2人は刑務所を

出たばかりだった。密かな贖罪意識が樽見を善行に走らせた。

善行の記事が新聞に写真入りで載り、それを見た娼婦は

舞鶴を訪ね、樽見に金をくれた礼を言おうと面会するが、

過去がバレてはまずい樽見は娼婦を殺し、自分の書生も殺して

2人が心中したと見せかけ舞鶴の海岸に遺体を棄てる。

遺体の身元が娼婦と判明し、所持品から警察は樽見の犯行と

見破る。

徹底的な裏取り捜査が重ねられ、樽見はついに犯行を認める。

函館に身柄が移される途中、樽見は警備のスキを突き、

津軽海峡に身を投げてしまう。

 

感想

ちょっと変わった小説で、娼婦が東京に逃げてからは

娼婦が主人公的にみっちり描かれる。

その描写があまりに詳細なので、娼婦が殺される時は

読者もビックリさせられる。あれだけジックリ描いてきた

キャラがあっさりと殺されるので。

そこから「過去を持った人物の犯罪」という

「砂の器」的な展開に入る。

「飢餓海峡」の2年前に読売新聞に連載された「砂の器」の

記憶がまだ生々しい中でこの展開に入っていくのは、

当時の読者も「あれ? 砂の器と同じじゃん」と戸惑ったと思う。

しかも「過去を持った人物の犯罪」の「動機」という点では、

「砂の器」のほうが強烈な題材を扱っているから、

「飢餓海峡」は二番煎じのように感じられ見劣りしてしまう。

なのに、よく水上氏はこの展開に持って行ったなという気がする。

現在の目で見ると。

(『砂の器』は昭和35、36年連載。昭和49年映画化。

『飢餓海峡』は昭和37年連載、昭和40年映画化)

 

下北半島の川内、大湊は「野球場巡り」で行ったことがある土地。

大湊が昔は遊郭があるほど栄えた街だったことは意外だった。

娼婦が暮らした池袋も私になじみのある街で、

昔の池袋描写も興味深く読めた。池袋警察署は現在とは線路の

反対側にあったようである。北海道、青森、東京、舞鶴ほか、

人物が旅をする場面が多く、それもこの小説の魅力の一つと

なっている。

 

作風は今でいえば宮部みゆきに似てると思う。

古い小説なので、旅のテンポとか、警察の捜査情報の照会とかの

テンポが現在より緩いので、そこが若い人には

じれったく思えるかもしれないが、その点を除けば、

現在も面白く読める小説と思う。

 

映画版も2008年に見ている。映画版では、

より明確な証拠が設定されていた。

以下に映画版についての記事を転載しておく。

(転載にあたり年号の誤記を修正)

 

2008-09-05 23:14:10


映画「飢餓海峡」080905

フィルムセンター小ホール 500円
内田吐夢監督、水上勉原作、東映・1965年作品

(概略)
時代は戦後間もなく。
二十代の男・三国連太郎が北海道の田舎駅で知人を待っていると
知人2人が逃げてきた。
知人は質屋を襲い、強盗放火殺人を犯して来たのだ。
3人は一緒に本州を目指して逃げる。

その後、知人2人の他殺体が見つかる。
その頃 三国は金を持って逃げていた。
刑事は、強盗放火殺人、そして知人2人殺害の
容疑者である「大きな男」(三国)の行方を追ったが、
見つけることはできなかった。

三国は、下北半島で偶然出会った娼婦に金をわけてやり、
どこかへ逃げた。

10年後 三国は京都の舞鶴で食品会社の社長になり
慈善事業に大金を寄付。
そのことが新聞に載り、娼婦が10年前の礼を言おうと
訪ねてきた。
三国は過去を知られてはまずいと娼婦を殺し、
それを目撃した書生も殺す。
そして心中に見せかけ、二人の遺体を海に捨てる。

死体が揚がり、三国に容疑がかかる。
三国は10年前、娼婦に会った時、爪を切ってもらっていた。
その爪を娼婦は大切に持っていた。
それが証拠となり、三国は娼婦・書生殺しは認める。
でも10年前の事件はやってないという。

質屋で強盗殺人放火をしたのは知人二人だし、
知人2人A・Bは、Aは仲間割れでBに殺され、
Bが三国も殺そうと襲ってきたので正当防衛でBを殺した
と三国は話す。でも、貧しい生まれの自分が
大金を前にそんな供述をしても警察は信じてくれないと
思って逃げたのだと。

三国は北海道へ連れて行ってくれと警察に頼む。
警察は許可し、三国は刑事らに囲まれて連絡船に乗る。
津軽海峡を走る連絡船から、三国は身を投げてしまう。

(感想)
3時間以上ある映画だが、長さをまったく感じさせない面白さ
がある。それは確か。

しかし、期待したほどの感激はなかった。

なぜか。

この映画が、私の大好きな映画である「砂の器」に
似ているからだ。
主人公が社会的な偏見から犯罪を犯してしまう展開が共通している。
そして、「砂の器」に比べたら、やはり完成度が落ちるので、
感激しなかったんだと思う。

調べてみると、「砂の器」は1960、61年に、
「飢餓海峡」は1962年に原作小説が発表されている。
調べるまでは逆だと思っていた。
松本清張が「飢餓海峡」を読み、自分なりにブラッシュアップ
して書いたのが「砂の器」ではないかと思っていたのだ。
「飢餓海峡」より先に、よりテーマに鋭く迫っている「砂の器」
を書いていた松本清張やっぱりすげえと再認識する結果となった。