2022年5月24日(火)、雑誌連載のための人物・後藤象二郎の墓へ行こうとして港区赤坂にある青山霊園に、東京に出てきて約50年初めて中へ足を踏み入れた。

港区にあるとてつもなく大きい霊園で有名人が数多く眠っている。

零園の中を車で通るのはほかにもあるが零園の中に信号機がついているのは初めてである。この日はアメリカ大統領が来日した関係でもあるのかね多くの警備員を見てさすが赤坂だねぇ。

 目指す後藤象二郎はあらかじめ調べていたのですんなり行けたのだが立派な墓も守る人がいなければ草が生い茂っている。墓石にあがっている草は少しは取ってみたのだがちょいと、というわけにもいかず途中でやめた。

 幕末坂本龍馬の素晴らしい考えも上司に届かなければ何にもならない、家老職であった後藤象二郎がいればこその船中八策の実現である、大政奉還である。業績としてはこの後藤象二郎の方があるのだろうがねぇ・・手を合わせてきた。

 その足で、同じ赤坂にある「乃木神社」へ向かった。ここも何年振りか・・十年を超えるかな。

乃木希典・・私の尊敬する人である。この人の息子である二人が通ったという麻布小学校で20年ほど空手を教えに行ったものだった。私が行き始めた頃は坊主頭の小学生の二人の写真もあったがそのうちに無くなっていたがね。

 また、この乃木神社では45年ほど前になろうか、妹が結婚式を挙げたところでもある。九州から上京した職業軍人上がりの父親と一巡りしたこともあったねぇ。今日も結婚の下取りであろうか、挙式の格好で写真を撮っていた。

 大吟醸「乃木之誉」を買った。今夜は吟友が我が家にきて久々に飲み会をすることになっている。箱の側面には乃木希典作「富岳」の漢詩が書き込まれている。盛り上がること間違いなし、だ。

 住んでいた住居の方に回ると厩の後や庭にひともとナツメの木という唱歌で有名な木も三代めだそうである。

自決した部屋までも残されていて、外から見られるのだが思わず手を合わせてきた。なぜだか涙があふれてくるのだが、日露戦争で我が子二人を失った一人の親としての悲しみは推しはかれないねぇ。

 今夜は、吟友とそのような話をしたり吟界の話になったりして有意義な夜を過ごしたことだった。