6月15日(火)、大森にある大学病院へCT検査で出かけてきた。今回で異常がなければ釈放となる。最初の頃はこのような検査は苦手であったが、何度も受けているうちに慣れた・・・恐ろしいものだ。

 昼前にすんだので、池上本門寺の河上彦斎の墓があるというので出かけた。蒲田まで歩いたが懐かしい限りだねぇ、蒲田教室もずいぶんご無沙汰しているので蒲田界隈も久しぶり・・という感じであった。

 池上線に乗って池上駅へ行くのだが蒲田時代は蓮沼に5年池上に5年の日々を過ごし、蒲田教室の稽古後はこの辺の居酒屋で何人かで飲んだものだった。

懐かしい限りだねぇ、そして池上駅へ降りると今度は駅舎自体が様変わりをして面影がない。

 馬込教室の稽古を梅田小学校で終えて池上駅まで歩き、蓮沼まで池上線に乗ったり歩いたりしながら戻っていたねぇ。14,5年ほど前の話だ・・・。

 本門寺参道から階段下へ行って階段を見上げる。

ここは、西蒲田に住んでいた時代、まだ20代前半であったが毎日のように仕事が終わって夜の時間にきて20回から30回は往復していた。

あの頃は若かった、とにかく若くて夢と希望にあふれて毎日が楽しかったねぇ。

 そう思いながら階段を一歩ずつ上っていく。お会式や節分の日などは人があふれてスリに注意などのアナウンスも流れていたなぁ。

とりあえずお参りをして御朱印をいただき、五重塔の北側にあるという墓を訪ねて行ったのだが、ずいぶん探した、近くで休んでいる人にも聞いたが全然知らないという・・確かに河上彦斎打を知る人は少ない。

 力道山の墓の案内も建っているが今ではその力道山を知っている人もほとんどいないだろう。それよりも「るろうに剣心」のモデルになったという案内をすればはるかに人が来ようというものである。

 彦斎は肥後熊本の出身なので熊本で刑を受けて斬首されて墓も向こうにあるものとばかり思っていた。

明治の初めの頃はまだ小伝馬の牢屋敷もあってそこで処刑もされていたそうである。

 ここ本門寺は、熊本藩の加藤清正が熱心な信者で正面の階段なども寄贈したようでゆかりも深いようで、熊本出身者の墓が並んでいる。そのような関係でこの一角に祀られているようだ。幕末の4大人斬りの一人である河上彦斎、佐久間象山を討ったということで名が残っており、私もその件で来たようなものである。

今日は梅雨入りとなった翌日で大変気温も上がって暑い中、わざわざ本門寺まで来た甲斐もあるようで暑さを忘れてうれしい一日だったねぇ。