5月29日(土)、幕末の安政の大獄で処刑されこの地に墓があるという橋本佐内を訪ねて、南千住駅に降りた。駅の地域案内板にたいがいは近所の史跡などの案内板があるのだが、肝心の処刑場案内がない。これには困った。

処刑場という史跡が縁起でもないというのかね、困った、困った。近所を歩くのだが、住宅やマンションもあるのだがこの地域一帯は処刑場跡というので地図にも載せていないのだろうか。江戸時代もう一か所の処刑場大田区にある、鈴ヶ森処刑場跡はちゃんと載っていてスムーズに行けたのでそのような考えであったが、ここはどうも違ったようだった。

 ようやく佐内の墓があるという回向院を見つけて、入り口でお断りをして中に入り墓へ行くことができた。

 ここは有名な処刑場なので、江戸時代の有名な人の墓が並んであるのにはびっくりした。

幕末の志士たちの墓が並んであり、詩吟の世界ではよく見かける詩の作者たちである。

ここで無念の死を遂げたのであろう。いちいち手を合わせることもなかったがさすがにすごい人数である。

 吉田松陰は、ここから高杉晋作たちが遺骸を持ち出して世田谷の松陰神社に移したという話だ、鼠小僧は両国の回向院にもあるのであちらでhないかと思っている。高橋お伝や腕の喜三郎などの墓に至っては私も芝居の世界でしか見られないような人物だがこれにはびっくりだ。

そのほかにもなんと、プロレスの神様「カールゴッチ」の墓まであって、信ぴょう性を疑ったが戻ってインターネットで調べてみると確かにここに遺骨の一部を埋葬してあるのだそうだ。

 私が小さい頃、プロレスの力道山やアントニオ猪木にあこがれた頃、猪木の師匠であるカールゴッチの強さを知って尊敬していた人である。まさか日本に墓があるとはここにきて一番のびっくりだった。

そのほか、私が小さい頃、「吉展ちゃん誘拐事件」が有名で連日テレビ報道があったのを覚えているがここが舞台になっていたのは知らなかった。その供養碑もあって小さい頃同年代の誘拐事件に心を痛めたことを思い出したねぇ。

 橋本佐内からどんどん話が広がっていったが、多くの歴史を知らされた小塚回向院であった。