イネーブラーとは、一般的に言えば「支援者」を指しますが、心理学の用語では「他人の依存症などの維持を助けてしまう人」みたいな感じになります。

 

リンク先の例にあるように、ギャンブル依存症の人にお金を貸し続けたり、他には「甘いものを食べるのをやめたいのにやめられない!」という人に甘いお菓子を買ってきたり、というケースもあるでしょう。

 

いや、なんでそんなことするの? とツッコミたくなりますが、「我慢してるのが可愛そうだから」「少しだけならいいかと思って」「あまり無理しないほうがいいよ」と、イネーブラーは言うかもしれません。

 

こういったイネーブラーが近くにいると、各種依存症はなかなか治らないものとされています。

 

 

このイネーブラーの概念自体は前から知っていたんですが、最近改めて触れる機会があって、「支配者は全員イネーブラーじゃん!」と思ったんです。

 

上のリンク先にあるように、相手を侮辱したりするのもイネーブラーの行動になるという。

 

そして支配者は、他人に対し偽りの快感と罪悪感を与えることで、自分に執着させるという「支配」を行ってくる。

 

本当は甘い物なんて食べたくないのに、つい食べてしまう! という場合は、単純に言えば、「甘い物を食べる=偽りの快感」になっていると言えます。

 

そして、甘い物を食べてしまうと、それはそれで美味しかったりもするけれど、「自分は意志が弱いダメ人間だ!」「このままだと醜い姿のままで一生終わってしまう!」といったふうに、自分を責める罪悪感が生まれてしまう。

 

虚無と呼ばれる属性の人間は、本来ならこういった偽りの快感や罪悪感など持たないけれど、それを支配者という属性の人間に植え付けられることで、本来の自分とは異なる行動を取ってしまう――というのが支配者理論になります。

 

そしてこうした支配者の性質を見ると、これってそのまんま、イネーブラーになるよな、と気づいたんです。

 

「支配者」という言葉を見ると「悪いやつ!」というイメージになりがちですが、実際の支配者というのは、必ずしもわかりやすい悪人の形を取ってはいなかったりします。

 

むしろ常識的に見ると「いい人!」で、他人の世話を献身的に焼いたり、ともすれば自己犠牲を行ってまで他人を助けたりすることもある。

 

でもそれが結果として、他人に偽りの快感と罪悪感を与えることになれば、それは結局「支配」となるわけです。

 

 

ところで、人の属性には「虚無」「支配者」の他に、「光の人」というのもあります。

 

心に聞くと、光の人は「自分だけでなく他人や社会を、よりよいものにしようと行動する」ものだという。

 

あれ? この定義が合ってるのなら、光の人もイネーブラーってことにならない? と気づいたんです。

 

他人をよりよくしようと行動するならイネーブラーとは違うんじゃないの? という気もするんですが、最初のリンクにある「イネーブラーになるのをやめる方法」の一番目には、「あるがままを認め尊重する」と書かれています。

 

つまり、他人を「もっとよくしてあげよう!」と思って行動している時点で、相手のあるがままを認めてない、つまりはイネーブラーになっちゃってるということになる。

 

実際に私が身近に接したことのある光の人は、まさにこんな感じで、他人の「間違ってる」態度や言動に対し、「それじゃダメだよ!」とガンガン叱って修正しようとする、というタイプでした。

 

でもそれで相手がよい状態に変わるかというと、見ているとどうもそんな感じではなく、逆に萎縮してますますひどい状態になっちゃったり、「ここに来るとあの人(光の人)に会わなきゃいけないから怖い」と陰で言われたり、となってました。

 

光の人は支配者とは異なり、他人に罪悪感を与えることを目的にしているわけではないんですが、結局他人をどうにかしようと動いてしまうことでイネーブラーになってしまう、という点では同じと言えるんです。

 

 

ところで、大嶋先生は過去に何度も「人間は自分のことしか考えてない!」と書いており、それはその通りだよなと私も思っていました。

 

そして今回、イネーブラーについて改めて考えたとき、「人間は自分のことしか考えてない」とも言えるし、「他人のことを考えるとイネーブラーになってしまうんだ!」と気づいたんです。

 

まあ支配者や光の人は、本来の真実がそういう形になっているので、イネーブラーになるのがむしろ当たり前だと言える。

 

けれど虚無の場合は、「自分のことしか考えない」が本来の真実であり、「他人なんてどうでもいい!」となるので、イネーブラーにはなりようがない。

 

そんな虚無が他人のことを考えてしまうときは、必ず支配を入れられていて、そしてイネーブラーになってしまっている、と言えるわけです。

 

「このイネーブラーの概念は、虚無が自由になるためには重要やな。最重要と言ってもいいレベルや」と心は言います。

 

自分はイネーブラーじゃないと思ってる人がいるかもしれませんが、例えばニュースを見て、政治家や芸能人のスキャンダルに「こいつはなにをやってるんだ!」と腹を立てたりしてしまうと、もうそれが「他人のことを考えてる!」となってしまって、イネーブラー状態になっていると言えるわけです。

 

いや、別に知らない相手に腹を立てたからって、その相手の問題行動を助長することにはならないでしょ! と常識的に考えればなるんですが、人は脳のネットワークによってつながっているという仮説に基づけば、相手のことを考えた時点で、それが知らない人であろうと、遠くにいる存在であろうと、脳がつながってしまうので影響を与えちゃう、となります。

 

もちろん、「お前はイネーブラーになってる罪人だ!」と罰するのは支配者がやってることであり、虚無が気にする必要はないわけですが、とはいえ虚無が本来の姿に戻って自由に生きるためには、イネーブラーになっちゃってる状態はよろしくはないわけです。

 

とはいえ、じゃあどうすればイネーブラーにならずに済むの? と心に聞くと、「幼子先生をイメージしてみ」と言ってくる。

 

虚無の理想形たる幼子先生(空想の存在です)をイメージしてみると、幼子先生はネットで必要な情報を探す過程で、他人のスキャンダルを書いた記事のタイトルを見かけたりしても、全く気にせずスルーしている、という情景が浮かんできます。

 

リアルにおいても、道を歩いていて誰かが暴れているのを目にしたりしても、それが自分に害をもたらさないのであれば、平然とスルーしている。

 

私ならそんなことをやったら、「いや警察に通報ぐらいしろよ! 無責任だろ!」みたいな罪悪感がわくと思うんですが、幼子先生をイメージすると、そういう罪悪感からも無縁! という感じがするんです。

 

……確かにこれは虚無の理想形かもしれんけど、現実にこのレベルに達するのって難しくね? と心に聞くと、「千里の道も一歩からや。道が本当に千里なのか、実は案外短かったりするのかはわからんけどなー」などと言ってきます。

 

そして「真の尊重」という呪文を、心は出してきたんです。