タイトルにもある通り、
限りなく”誰にでも向いている内容ではない”のだけれど、
やってみて思ったこと、なるほど・・・とかんじたことに、
”もし可能なら、旅をして1、2日で帰る”のではなくて、
ある場所(できれば本当に2週間ぐらい)に滞在先・家も変えずにいる
と”ガチで人生に変化が生まれる”というものがある。
これ、または近しいことを
やったことがある人はわかると思うのだけれど、
10日〜2週間、またはそれ以上ぐらいいると、
その集落・土地・ローカルとの関係性が出てきて、
”その周辺の人”みたく周りからも認識され始めたりして、
新たな人格をその土地で作っていける(なんなら0から)・・・こともあると思う。
人格というのは仕事も名前もとかいう意味ではなくて、
(もちろん諸事情があり、それら↑をする人もいるかもしれない。)
ちょっとしたリアクションとか日々にあれこれとか、そういうもの。
でも、そういうminorなものの積み重ねこそが人格を作ったり、
キャラになったりするので、半月ぐらいの滞在をどこかで、
つまり、”住むような旅”してみる!というのは、”今の在り方”に疑問を抱く人、
何かを大胆に変えたいな、人格・キャラ変してもいいかな、
今の在り方には息が詰まるな、という人ほどお勧めしたいリセット方であり、methodかな、と思う。
旅is terapyであり、remedyだと思っているが、
それによって生ずる人格リセットもまたその一環だろうし、
実際、それで開眼したり、人生やり直したりしている人がいるのも知っている。
というか、今思えば18の時の私もそうだった。
息苦しくて、未来が見えなくて、
というか、日本を出たくてたまらずに飛び出したが、
そしたら、そこは個性を尊重してくれるところでとても楽しかった。
・・・
もちろんその後、彼の地で働くようになって、
”ええええ!”みたいな矛盾や理不尽なことは多く経験するのだが。orz
とはいえ、depthにハマりすぎない、その地の闇を見過ぎない
ちょっと、いい意味で宙ぶらりんな滞在は実に楽しいものだ。
いい意味で、”綺麗なところしか見えなかったり”するし”外国人やよそもの”であれば、
そういった深みのこと、ローカルルールがわからなくても許してもらえる、
多めに見てもらえるというマジックが発動したりするのもプラスだろう。
また、誤解がないようにいっておくが、
”深いところに入っていくこと”is正義、または最善というわけでもないと思う。
綺麗なところしか見ないというチョイスだって人生にはあっていい。
深みや痛みや苦しみが人を強くするのはわかっている。
そして時にはそういうブーストが必要なことだって知っている。
でも人はそんなに強い生き物じゃあない(異論は認めますw)
だから、時には”綺麗なものしか見ない”という人がいたって、
人生にそんな時があったっていいと、そういう優しい世界線があってもいいよね、とも思うのだ。