色々なリサーチの一環で

Ai 占いをいろいろ見ている。

 

AI占いくんも

native?も

signature のaiも

 

・・・・

 

それぞれ”ネット上に転がっている水星が水瓶の人はこんなことが得意でしょう!”

みたいなのをまとめるのは上手いな、って思う。

 

ただ、それはまぁ、なんというか、それなりに、である。

 

 

負け惜しみでもマウントでもなんでもなくて、

純粋に思うのは、

そこには被鑑定者への思いの違いがあると感じている。

 

- 出生情報からわかること。

 

- 出生情報からわかること+対面してやり取りしているからわかること・バイブスなどから伝わること。

 

この”観察軸が1つなのと2つになる”のはただの数字以上の差があると感じている。

 

生年月日入力で時間と場所を入れないものの場合であれば、

”生まれた年月日”がうまれた人に対するaiメッセージは全て同じになる。

 

「リアルで見ると明らかに

そんなわけはないのに・・・」だ。

 

ここに圧倒的にマンパワーというか、人が介在するメリットと理由がある。

 

きっと他のカウンセリングなどもそうだろう。

 

”人が介在する理由”それは、

被鑑定者に対する眼差しや観察や想いといったものにある。

 

↑もちろんこれをAIができるようになれば話は変わってくるとは思うが、

とはいえそんなことができるようになるのだろうか。

または、全く別のパラメーターを入れてprofileをすると

完全に別の観点からのパーフェクトに近い鑑定ができたりするのかもしれないが・・・・

(観相・手相・西洋占星術・紫微と数・算命学などを全てmix!など)

 

 

 

* *  *

 

別の話かもしれないが、

お寿司などもそうだろう。

 

きっと多くの人が好きであろう日本食の代名詞の一つ、握り寿司。

ただ、今はマシンでうまく握れるものもあると聞く。

でも、美味しいお寿司をもとめてそれなりの金額をお支払いする人は、

”そこにあるお寿司”がマシンがやったんだぜ、これをよ!

というものをいただきたいのではなくて、

大将とのやり取りを含めた板場での雰囲気を味わいにきているのだと思う。

 

食事は舌でも味わうが、それ以外の感覚でも味わうものであるからだ。

 

ご飯やさんは食堂・食事処などと書かれることもあるから、

”食べる”場所とおもわれがちではあるが、

例えばヨーロッパなどで用いられるワード・restaurant (レストラン)はrestaurant 良好にするというラテン語が

語源であり、そこには”ただ腹を満たす”というニュアンスはない。

 

近視的にあることがらだけにフォーカスを向けると(ここでは美食)、

そこに本来含まれていた大事な”外郭”とそれに付随するニュアンスを失うリスクが常に付きまとう。

 

決して近眼的にならず、

製作者、提供者の”ドヤ!にならないような、

そんな在り方で常に精進。

 

aiについて調べれば調べるほどに、

上記のような在り方で常にありたいと、

改めて思いを深めている。