色ホロ80回。
100回まであと20回!
さて、今日の話題は、
世間に流れる”ある幻想”からの解脱を促す?ことになるものかもしれません。
それは
”家は心が安らぐもの、またはoffの場所”
”外の世界は戦いまたはonの場”
というものです。
もちろん概ねそうであることは間違いありませんし、
家がしっかり”休まる場”であることに異論はありません(安心できる寝床は大事、とか雨風をちゃんと凌げるとか、そういう意味で)
が、
そういった最低限のコンフォート以外に、
”あーなんか心がチャージされるー”
ということや、自分が何らかの形で満たされる・許されること、
または承認欲求などが満たされたりするなどして、
”心がアーシング”できるかどうかということもとても大事ではないかと思うのですね。
たとえば幼少期に”家庭が大変だった”という方は、
実はhomeというところに優しげな天体は待ち合わせていないのかもしれませんし、
結果、外のどこかのほうが”癒される”ということだってあると思うのです。
さらに、家は確かに癒されるのだけれど、
旅をしていると”すごくチャージされる”という方もいるはずです。
なので十把一絡げ的な”家=神殿でありチャージスポットである”とは簡単にはいえないな、とも思っています。
家は寝るだけの人もいれば、
家は倉庫の人もいて、
家は家族の場所であり私は・・・・いるのか?!みたいな人もいて、
家は団欒、団欒、家族サイコー!っていう人もいて、
家はoh yeahみたいな人だっているかもしれません(ホムパばっかりとかね)、
さらに、
家は戦場だった!という方だっているかもだし、
家は・・・思い出したくない、という人もいそうです。
なので、家=チャージというよりは、
そういう人(癒し族)もいるけれど、
それ以外の意味があるひともいる、
そして”それ以外族にはそれぞれのhome"がある、(ここらでbzのhomeのイントロを脳内再生 play!)
というふうに捉えるのが自然であり、それぞれの個性や運命を認めるということにつながるのだろうなと思います。
それぞれのhome
それぞれのhomeの場所、
それは
もうお分かりかもですが、
”月”でわかります。
月が1−6hぐらいにある人は
やはり自陣、自分の世界で癒されたりチャージされたり、
ホットできたりすると思います。
7−12にある人は
人と一緒にいたり、旅に出ている時だったり、
登壇して発話している時だったり、
ネットの世界の中だったり、
神社に行っている時だったり・・・
そういうときに"HOME”を感じるのかもしれません。
余談ですが、
私は7h月ですので、その対角線上にあることは
180度の緊張角となりますから、
実は苦手意識があったりします。
例えば、髪を切る、運動(パーソナル含め)、ネイルサロン、などなど、
自分のことで自分がフォーカスされることがちょっと苦手です。
というか、緊張します。
髪を切りに行く時は幼少期は1事も喋らなかったぐらいですし(首を縦に振ったり横に降ったりして全て対応w)
今でも若干プチ抵抗があります。w
ネイルサロンにいくと指にうっすら残る火傷の後とかをみて(私の)ぐったり?!したり、
ジムに行くと(パーソナルなど)あー関節硬い人やな甘々やなとか思われてたらめっちゃ嫌やな、とか思ったり(へぼい私w)
とはいえ、月の座とその対称の座はどうしてもご縁ができやすいハウスなので、”いくことになる”のですが・・・苦笑
というわけで、
みなさまが癒される、心が本当にチャージされるのは何ハウスでしょうか、また、
家とは”どんな存在”でしょうか。
必ずしも”家という場所が、すべての皆様にとって”心癒される”場所ではなく、
ある人にとっては忘れてしまいたいところであり、なんなら、地元も含めて、別にこれからの生においてはご縁がないところの可能性もある、ということはしっておいても損ではないと思い綴りました。
自分だけのhome。
それは最初から与えられることもありますが、
自分で社会のどこかに、またはネットのどこかに”作っていくこともできる”し、
それが実際の家や家庭ではなく、
ネット上であっても社会であっても自己卑下することなく、
そこに居場所があることを誇っていいですし、
また、そんな自分を許せればいいのではないかな、なんて思うのです。
家庭=絶対的に癒される場所、home。
その幻想は、もう、人類は手放してもいいのかも、と感じています。
(上述のように、もちろん家が癒される場所、チャージポイントという人もいます)