ドラマとかでよく見かけるセリフに、
「私たち、もう少し早く出会っていたらこんな風になっていなかったのかな」
とか、
「もう少し若いときだったら決して今のパートナーとはうまくいっていないと思う」
とか、
なんだかそういった”タイミング論”的なものをその裏側に感じることがある。
実際、そういうことって多々あって、
”時代とあったからウケたもの”とか
”若かったらきっともっと合わなかったと思う”・・・とか
そういうのは人の一生に、この世には、きっと”あるある”なのだとも思っている。
そうすると、
”占星術の2つのネイタル”を掛け合わせて、
その人たちが今ネイタルのどこを生きていて、
どこを”使っている”のか、によっては
”セオリー的にはぴったりの相性だった”としても
合わないなんていうことが出てくるのは至極当然のことのようにも思う。
また、あるときまでは抜群の相性でも
どちらかが異なるポイントにフォーカスを当て始めたら、
(ex: dt → dh, 月 → 太陽、 土星までの天体→トラサタ群)
価値観等もかわり、”そりがあわなくなる”なんていうことがあっても
全然おかしくはない。
そうやって考えると、
二人の人生の中のあるタイミングから
あるタイミングまでが”ばっちり惑星エネルギー”が合う、
というだけでもそれはだいぶミラクルなことで、
それこそが一期一会的なというか、素晴らしいマッチング?!なのだとおもったりもするのだが
どうだろうか。
万物は流転しているし、
生命、特に人間は OS、つまりその意識・霊性の脱皮、解脱、成長を繰り返し、
変体をしていくもの。
だとすると、尚更、あるイットキだけでも”共にいられること”に
”花火のような”閃光、眩しさを伴ったとしてもなんらおかしくはなく、
むしろそこに価値とか意味を感じたりもするのだろうとも思う。
エターナルに続く関係も
いっ時の花火のような関係も
どちらもすばらしく、どちらが上とかしたとかもない。
輪廻の帯の中で出会い、
御霊磨きをする関係の魂同士が
触れ合う・・・。
そこにあるのはその長さ長短だけだ。
話がずれ気味になったが、
ここで実は言いたいのは
”相性”とはとてもむずかしいものだということ。
80歳のひとと
10歳のひとの
ネイタル同士が100%の相性だとしても(パートナー的な意味で)
そこにあるのは世代のギャップであり、
なんなら”進めることのできない理由=例えばこの場合は法律の壁”とかも絡んでくるはずだ。
出会うタイミング、そして場所(適材適所かとかそういう意味で)
そういったものが合致していないと”本来の相性”というのはフルには生かされにくいし、
また、どちらかが”本来のレール”に乗らないと、
どちらかの独り相撲になるなんていうこともきっとあったりもするのだろう。
2021/xx/yyの時点での相性・・・というのは、きっと、わかる。
でも、人は生きているものであり、その運命の進め方も十人十色なだけに、
相性の診断というのは、殊更に難しいものなのだと思う。
・・・
* 相性について今まであまり語ってこなかったのは
ここに理由がある
ひとりの人物のネイタルだけでも十分に”難解な読み物”なのに、
x2になると”相性”という生き物に変容し、”新種の生き物”みたくなるのでさらに
厄介(w)になるのだ。
苦笑