ノーリサーチの旅!
いきなりですが、過日、
隠岐島に行ってまいりました!
隠岐島
・・・
皆さん、どこかわかりますか?
神社がたくさんあって、
海鮮が美味しくて、
九州エリアにあって・・・
はい!
それは一文字違いの”壱岐の島”ですね!
隠岐島は島根県おきにある山陰のさらに先?にある日本海に浮かぶ島々のこと。
歴史でも高貴な身分の方々が流刑により流されてきたところなので、
今でも”偉い方々の流刑地”として認識しかない人も多いかもしれませんね!(私もそうでしたが!)
そして、何を隠そう私も「ほぼ島についての情報なんてないと言ってもいいほどの”無”の状態」で”隠岐島・上陸!”となったのですが、船に向かうフェリーの中で色々とリサーチをしていると、なんと隠岐島という名前の島は実はなく(!)有人の4つのメインの島々と大小様々な島々(180に及ぶ!)からなるのが”隠岐諸島”とされているものだということを知りました。
(それもなんと島の玄関口の港につく1時間ほど前! 最後の瞬間まで隠岐島という名前の島が
一つぐらいはあるのだと思っていました!)
”島についての情報”が不足していることに若干不安というか焦りもありましたが、
気づけばもう船は岸壁に着岸しようとしていて・・・
もうあとは”任せる”しかない!と、
こうして慣れない旅のスタイルに腹を括ったわけでございます。
(腹を括った私 ↑)
フルアテンドならではの楽しさ
。
私自身、いつも連呼している通り?!山羊座ということで普段は徹底的に事前リサーチをしてから旅に出ることが多いのですが、今回は上記の通り、ほぼノーリサーチ、ほぼノーインフォメーションの旅をしてきました。
ただ、実はそれには理由がありまして。
旅に出る前にちょっとだけ”移動についてだけ”調べると、隠岐諸島は4つの島々からなる列島で、”見所が点在している”ことや、路線バス等もところによっては走っていないことから、”足がないとどうにもならない島だな”(笑)ということが判明したのですね。 汗
普段から車のステアリングを握らない私は、「では!レンタカー」というわけにもいかないので、
さて、どうしたものか、むむむ、と。
しかもタクシーも都内みたいに”流しがいる”というわけでもなさそうだし、さらにむむむ、と。
島に行ったはいいけれど、島内で移動ができないとなると、
それこそ”リアル島流し”じゃん!・・・となってしまうなぁと思ったりもして。
そして、検討に検討を重ねた結果、全てが面倒臭くなって(笑)
もう今回は”うむっ・苦しゅうない方式”を採用!
今回はドアtoドアならぬ、港to港のアテンドをお願いしようと!
いつもなんでも自分でやってしまうセルフ旅とは違って、
ここは「プロに全てをお任せしてみよう!」ということで隠岐旅工舎さんに旅のアレンジをお願いしたのでした。
いきなり結果から話してしまいますが、その選択は大成功!
色々とお話を伺いながら島々を回るうちに気づいたことは、
このサイズの島だと”表に出ているものと裏口入学(←表現!)で体験できるもの”に大きな差があるということ。
(その差が大きいのですよ、ふふふ)
例えば、私が車に乗れたとして。この島でレンタカーを借りて同じコースをまわったとしても”人同士の付き合いがある意味最優先のこの島”では、全く同じ体験はできていなかったはず。
この島に昔から根差す信頼がある会社さんだからできることというものが確実に存在しており、まさに唯一無二で再現不可能でタイムレスでエイジレスでリアルスピーチレスな体験がたくさんたくさんできました。
(特別なことだよというのと興奮具合が伝われば○↑)
この人口規模だからこそできる人とのつながりファーストとおもてなし、パッケージ感のまったくない、島の日常にあくまでヴィジターとしてお邪魔している感じで地元の人々と触れ合えること。これはふらりとやってきた1観光客の身分ではきっとなかなか体験できないことではないでしょうか。
また、当たり前ですが、道に迷うとかナビと睨めっこ!とか食料難民になることもなく(コンビニとかないので!)スムーズに旅をすることができたのもフルアテンドだからこそ!
特に島後・島前を行き来する巡航船やフェリーや高速艇・・・そういったものを上手く駆使しないとどうしても時間にロスができてしまうのが隠岐の島旅ですが、そういったロスもなく効率よく島々を回れたのも、意外と気づかれにくいことかもしれませんが、フルアテンドをお願いするメリットと言えるでしょう。
(↑南西諸島か!と見まごうほどの海!)
そんな隠岐島ですが、島ごとに植生も違えば、それら自然が織りなす風景も相当違うので(特に島前と島後では植生はだいぶ異なるようです)旅の後には、”隠岐島”とまるっと称されているのが
”あれれ”と正直、不思議に感じるほど!
だいぶ異なると言えば、ちなみに、皆さん島根とか鳥取とか、”山陰エリア”にいかれたことはありますか?
山陰も出雲、石見、伯耆、等々そのエリアごとにだいぶその風景や言葉が異なったりもする異文化グラデーションが豊かな場所ですが、隠岐島は山陰に属してはいるとはいえ、行けばわかると思いますが、その雰囲気等々は山陰のそれとはまるで異なります。
場所によってはまるで日本ではないような絶景がみられたり、本州・本土では経験ができないようなこと・もの・があったりもするので、”パスポートがいらない外国”にいったような気分も味わえるでしょう!
例えば、こちらは断崖絶壁の絶景スポット。
ここからの風景は日本のそれとは大きく異なり、”まるで外国”(特にニュージーランド)のようじゃないですか?
(お馬さん、おります)
と、このようにしていい意味で期待を裏切られるような(少なくとも私はそうでした)場所がたくさんあり、
完全なる非日常を感じることができるのが隠岐旅の最大の特徴であり、強み・面白さではないでしょうか。
で、ここまで書いて思ったのですが、本当はご紹介したい場所やもの・こと・等々がたくさんあるのですが、
それは今回は載せないことにします。(苦笑)
それは秘密にしたいからでもなく、隠岐旅工舎さんの御商売の邪魔をしたいとかでもなく、一重に次の隠岐の旅人となる皆さんにも”discoverする楽しみを味わっていただきたい”から。
(でもbigな牡蠣は載せる!)
めっちゃおいしかったカフェラテ@京見屋分店
も載せる!
同店内
(クリアすぎる海・・・・目を凝らすと"ウニ”もたくさん ♫)
(- magic hour-)
(宿からもこの絶景よ)
(夕日の綺麗さを改めて知る・・・)
例えば、、”梅干しって聞くとなんとなく唾液がじわーってでてくる”ぐらい自然にロンドンってきくとビッグベンとかロンドン塔とかバッキンガムパレスが脳裏に浮かびませんか?
パリってきくとエッフェルや凱旋門が脳裏に浮かびませんか?
(別所(note:無料で読めます)でも書きましたが)
でも、”隠岐島”ってきくとどうですか?
何か浮かんできますか?
・・・
・・・
(シンキング中)
・・・
・・・
シンキングタイム終わり!
実は私も、
本当に失礼ながら、
”隠岐とは時の天皇陛下(とかそのような家系の方々がお流されになったところ”ぐらいしか存じ上げなかったのです。
これほど情報化社会といわれるこの現代社会において、
海外のそういった名所のことは知っていても隠岐島(日本領)のことをなにもしらない。
これはある意味恥ずべきことなのかもしれませんが、ある意味、”何も事前情報がなかった遥か昔の旅人のような経験ができる”、とてもレアな経験をする絶好のチャンスだとは言えないでしょうか。
きっと遥か昔の旅人たちは、地球の歩き方もアルクもるるぶもミシュランガイドも何もないなか、船に乗り西洋からは東洋へ、日本からは朝鮮半島や中国大陸へと船を漕ぎ出したことでしょう。
先人の残した異国・異文化の調べのようなものは少しぐらいはあったかもしれませんが、
それを便りに西へ東へと船を漕ぎ、たどり着いた(ガイドブックでもネットでもみたこともない)新天地で何を感じたのか。
今の時代は”何でも事前に知ることができる裕福・便利な時代”です。
ただ、それは前述のように、事前にそこに何があるかを既に知ることができ、
そこに書いてある内容をトレースするようなものになってしまう可能性もはらんでいます。
それが悪いわけではもちろんありません。
”体験自体”が旅の醍醐味なのですから。
ただ、事前情報一切なしで船に乗り込んでしまうと、本当にいくところ、みるもの、たべるものが、初めてづくしとなります。
そしてそういった”当時の旅人の擬似体験”のようなことができるのが隠岐の旅の最大の魅力でありこの島の旅の面白さの一面でもあるなぁと思ったりもしたことから、この隠岐旅については、
”あえて説明的な紀行文”にはしないでおくことにしました。
(↑ ↓ 空と海が気持ち良いです!)
風の時代の雛形の一つがある場所
まだあまり情報が日常の中にあふれていない島、隠岐。
そんな隠岐だからこそ感じられる、この”冒険感”。
そして、本当の意味での”初めて”を体験できる感覚。
旅を通して感じていたのですが、
この感覚は実は今を生きる人々に最も必要なものではないかと思いました。
なぜならこの現代社会の高度に仕組み化された世界観の中では、仕事も遊びも本当に色々なもの・こと・場所にルーティーンやプロセス、役割、ルールが決められていることが多く、”正解・不正解”があり、私たち自身もいかなるときでも正誤を感じる、ジャッジが常に付き纏う社会を生きているように思います。
でも、この島はそういった世界線とは、なにか・どこか・なんだか、違います。
ここでは相手は大自然。
仕事の仕方なんて、遊び方なんて教えてくれません。
また、そこには正解も不正解もありません。
(↑ ↓ 緑もとっても豊か!)
大自然を遊び場にかえるのは私たち。
創意工夫して、ここでの生活をおもしろおかしくするのはほかのだれでもない、
私たちであり、私たちのセンスや遊び心なのです。
仕組みに任せるのではなく、自分たちで何かを生み出す、 自分たちで自分達の生活を面白くする力。
そういうものがこの島には其処ここに溢れていました。
「自然のなかを地球と調和して生きるセンスと生命体としての活力」 そういう”人が本来持つもの”を取り戻せる場所。
それが隠岐島であり、この島がもつパワーなのかもしれません。
島の人たちとの触れ合いもまた楽し
今までの土の時代においては、この島はどちらかというとスポットライトを浴びづらい場所だったかもしれません。
ただ、これからの”人間力”が重要視される風の時代においては、この島は時代のleading sanctuaryとなっていく場所であり、風の時代を引きいる人たちを多く輩出する土地になるような予感を得ました。
また、ここは土から風へ、人々がそのモードを切り替えていく、
スイッチングプレイスのような役割も担ったりするのではないかと、
沈む夕日を眺めながら、ふとそんなことが頭をよぎっていたのです。
* そんな隠岐島が気になった方に向けてlink、
置いておきます! ↓
https://www.e-oki.net/feature/detail.php?spid=173&preview=Y
hhttps://www.e-oki.net/feature/detail.php?spid=173&preview=Y