少し前に03/29の天秤座満月のお話をupしました。

 

let it go、ですよ、この満月はレリゴームーンですよ、と。

 

改めて過去記事を見たり、トランジット見たりしていますが、

この時期(天秤座満月)やはり、どうかんがえても

”こうしないと、あれをしないと、こういう風な自分でいないと愛されないかも!?”の呪縛から

解き放たれる時なんだなぁ〜と思います。

愛されるという行為・状態は 英語ではbe lovedと書くように、そしてもちろん日本語でもですが、
受け身形な表現です。

 

”愛する”は能動的、”愛される”は”どこか受動的な状態”を指すわけですが、それはある意味、

幼少期から周囲の期待に応えたり、学校で部活で試験でコンテスト等でいい成績を出すとか、

なんらかの”周囲の評価軸”の中での自分を生きることで生じてくる価値観というか、

アティチュードなような気がします。

 

つまり、「条件付きbeloved状態が発生しがちな環境」というものが、

幼少期・青年期までの我々の周囲には、どこか、圧倒的に多いと言えます。

 

そして多くの場合、愛されることには価値を見出す、とか、

寵愛を受けるために努力するといったことが我々の中でも発生しがちです。

(なぜならそうしないと生殺与奪権をもっている周囲の大人たちから可愛がられない、もしかすると食事をもらえないという生物的な本能があるから)

 

でも、それら”あなたががんばっているところ・努めて結果を出そうと思っているところ・振る舞い・服装・スタイリング・言葉使い等々”は、きっと”誰か、自分以外の価値判断基準に照らし合わせたときのあなたの価値・ポイント・良さ”、はたまた”だれかが幼少期〜少年・少女期にあなたに”こうしたほうがいいよ”といったポイントであって、
”実はあなたがやりたいことや、本心からの望みではない”なんていうことも多々あるように思いますがどうでしょうか?
そういう”どこかに隠してしまっているもの、表に出したらまずいんだって思っている癖とか想いとか本心”・・・なるものって、

きっとどこかにありますよね?

 

「本当は〜〜〜したいけど、家族が許さないから〜」

「本来は〜〜なのだけど、パートナーが・・・・会社が・・」とか。

 

でもそういった”誰かのお手本をトレースする生き方とか何かの枠にぴったりはまった生き方”って、
超穿った言い方をすると、

”本当の自分を受け止めてくれる人、本当の自分でいられる場所”から遠ざかっているとも言えなくはないでしょうか。

 

今いるところが”なんらかの枠の中”にいなければいけないのだとしたら、
それがあなたにとってアンナチュラルなことなのだとしたら、もうそんな歪みを”受容”しつづけなくてもいいのでは、と、思うのですが。
星回りを見ていると、もう、
この時代にはそういうことは跳ね除けていいのだと、強く思います。

 

 

とはいえ、今まで我々の先祖、なんなら直近の先代、先先代たちも”何かに従い、何かに寄り添い、何かの寵愛を受け、また、受け入れられるために、愛されるために多くの苦難、しんどいこと、諸々に向き合ってきたのだ”のもまた事実かと思います。

もちろんそれは、”食べていくために、生きていくために”です。

 

各時代には”君主、王様、権力者、支配階級”等々がいましたし、
当然それらには向かうことは許されなかったでしょう。

 

でも、いまはよく見渡してみれば、ある程度の自由は私たちは保証されていますし、

幅広い選択肢も人生の中に広がっているはずです。

 

(ただ、それを能動的につかみにいくか、やるかやらないか、は別の話ではありますが)

 

私たちの中に代々引き継がれてきている、”愛される・受け入れられる・受容されるため”の知恵、マインドセット。

それは”いままでは非常に使えるもの”だったのかもしれません、
いや、処世術だったといってもいいかもしれません。

 

ただ、本来であれば、そしてもし可能なのであれば、
条件付きbelovedよりは、
無条件belovedのほうがいいとは思いませんか?

 

「〜〜〜であるから愛される」のではなく、

「あなたがあなたらしくあるから愛される」

 

そして、そのことにもう人類は気づいていいのだと、
条件付きの世界からの脱却の時を迎えているのだと

星を見ていると、この時代の風を感じていると、
なんだか不思議なのですが、
そう、強く思えたりもするのです。

 

 

 

 

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