天王星=突き抜ける星!

 

みたいなイメージが勝手に私にはあったりするのですが、

天王星ってよくよく考えてみたら、突き抜けるというよりも、

突き抜けた先にあるからとても静かなのだけれども、完全に常識外の

エリアにいる、人間社会外のパワー・ヴィジョンを持つ星なのだなぁと、

天王星(牡牛座)と土星(水瓶座)のスクエアになってから、

あと最近では金星水瓶座、天王星牡牛座のミューチャルレセプションになってから特にそれをかんじています。

 

特にこのM.Rでは、もう”規格外”でいることを恐れなくていい、

本当の自分や自分のすきをだしていいよ、ということを強く強く押されている、応援されているような気すらしてきます。

 

社会の枠というのは確かに存在しているように思いますが、

それは一体”だれのため?”

それと似たようなものに同調圧力とか、世間の空気?みたいなものとか・・・もありますが

それらは一体何のために、誰のために、どういう理由であるのでしょうか・・・。

 

”この世に生きる人たちが快適に豊かに生きるため”の安全を脅かさない、とか、

だれかの権利や諸々を侵害しないこと等は大事なことであり守るべきではあるけれど、

それが多くの人たちの才覚・才能・天才性を抑え込む場所でいいとはとても思えず・・・。

 

多くの人が生活を営むこの世界。

この世界で品格を大事にする生き方ができればいいと思うけれど、

それは”社会に完全に合わせていく生き方”ではなくて、社会とうまく調和しながらも

自分の特性を打ち出して自分にも社会にも貢献していくというのがもっとも”自分格”を高められる生き方ではないでしょうか。

 

 

六根清浄を意識することはもちろんとして、

それ以上のことまで、過剰に気にして

表に出せない、いや、表にどころか”自分に対しても嘘をついて”、

社会を快適に生きるモードにに染まってはいないでしょうか。

(もちろんこれは自分にも言っていることですが)

 

 

本当はもうそんなモードを捨ててしまっても、

己からアンインストールしても生きられる社会になっているというのに・・・。

 

金星と天王星がお互いにホスピタリティを発揮し合う今という時は、

自分の特異点、自分の個性、自分が好きだと感じること、

良いと思うことをガンガン出して言っても良いとき。

それがたとえマジョリティには「えええーー!」的なことでも、きっと別のマイノリティ、誰か、価値観を同にする人たちは「それがいい」といってくれるはずです。

(ちなみに「えええーー」は否定というより、価値観の差という意味!)

 

 

自分の面白いはその地球上のどこかにいる、だれかにとっても面白いのはず。

だれかの楽しいもまた同じように、地球上のどこかにいる、楽しい、のはず。

 

だったら、今、それをだしてみたら、と。

今の時流に乗って、追い風に吹かれて、

あなたの楽しい・面白いはひょいと大陸や海を越えていくはず。

 

そのやり方は実はとても簡単。

ただ自分の内側に築いている堤防を

ちょろり、

超えるだけ・・・・

本当にその一歩を出すだけだと思うのです。