去年の今日。
2019年の12/12。
ちょうど300日かけて日本全国を回った”バーターツアー”のエンディング、
ゴールの日でした。
(もはやなつかしい!!けど昨日のことのように思い出せます)
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
ゴールは上にあるように、明治神宮。
 
出雲大社ー明治神宮・・・スタートは決まっていたけれど、
旅の途中まで実はゴールは決まっていませんでした。
 
旅を進める中でどこでゴールにしようかな、イベントとかどうしようかなとか色々考えて・・・
でも最終的には一人静かに厳かに?明治神宮で参拝して”一旦は”終わりにしようとして。
 
明治神宮では上にあるように、普段は見られないようなすごく綺麗な光がみれて、
温かく迎え入れられているようでした。
 
撮影してくださった方々(最終日はカメラが入っていた)もおっしゃってくださっていたのですが、
今までこんな景色は見たことがない・・・とかなんとか。
 
そして私もあれから何度も参拝していますが、あんな綺麗な光は再現というか、まだ見れていません。
 
・・・
 
最近思うことがあります。
 
それは、人生を”お祭りにする・フェス”にすること、
または、”かけがえのない瞬間”といったもの。
それは勝手に訪れるものではなくて”自分で作るもの”なのだと。
 
受動的に生きていても日々過ごしてくことはできます。
でも能動的に変化を求めてたり、何かに向き合うことで
人の意識はかわり、人生に奇跡が起きたり、なんらかの”豊かな結果”等が帰ってくるものです。
 
例えば、お遍路さんをやった時、スペインの巡礼に行った時、はたまた、太鼓台にのってリアルにお祭りに参加した時、
ゆじたびを敢行した時。
そのどれもが”何かちょっと変わったことをしている自分”であり、あきらかにそこにある意識は”通常モードの自分”とはかけはなれているものです。
皆さんも経験があるかもしれません。
御神輿を担ぐ時、阿波踊りとかそういう”お祭り・神事・運動会等の出し物を演じている時”等、なんらかの無心状態というかフェス状態に意識がスイッチする、あの感覚。あれがまさに”その通常モードとは違う”自分。
そういう状態に自分を追い込むからこそ、なんらかの儀式を経て意識をそこにもっていくからこそ”そういうドラマティックな景色や感動的なフィナーレ”みたいなものが”演出される”のだろうと感じています。
 
非日常の種、面白みの種をまけばある時それは萌芽し、実り、なんらかの”ドラマ”をみせてくれるはず。
そしてそれはすぐに眼前から消えるものかもしれませんが、ネタとして、経験として、一生使える”何か”になるのだろうと思います。
 
そんな特異な意識状態・レベルは潜在意識・集合意識を通じて多くの人に伝わっていくのですが、それをある人は熱狂といい、またある人は違う言い方をするのかもしれませんが、何れにしても人から人へと波紋のように伝わっていくもののように思います。
 
特にいまはインターネットがあることでその波紋も伝わりやすい時代。
 
ある人のドラマが誰かを刺激しその人が違うアクションを起こし、それがまた波紋を呼ぶ。
なんとも素敵な世界だなと思っていますが、でも、だからこそ”いい波紋・バイブス”を起こせるように、
自分をチューニングしておくことがより一層大事なのだなとも感じています。
 
1年のblankをへて(某cの影響)また来年からなんらかの”企画”をやりたいと思っています。
今はその仕込み中というか企画を練っている段階なのですが、タイミングがきたら、
機が熟せばまたそれもこちらでも告知させていただければと思っています。