一世を風靡する、とか
爆流行するとか、そういうことがあった場合、
個人的な趣味・研究としてその現象の理由について調べたり、検証することがあります。
(もはや思考のルーティーン化している)
とすると、最近ではよく考えるのは、もっぱら、
「去年、今年とゲキ流行している、鬼滅の刃!
その効能とか理由を考えることがあります。
「ヒーローが強者・敵を倒す、平和を取り戻す!家族のために!」的なことは他の漫画等でも多いので、
別段”シュペシャル”感はそこにはないのですが、
やはり特別な感じがすごくするのは、ある人間たちが深く傷つき、絶望したり、悲しいことがあったりして、
あるきっかけを経て”鬼化”し、敵キャラとなっていること。
そしてその様子がすごく丁寧に描かれていること。
(1中ボスキャラをここまで感情移入できるレベルで描き切った作品ってあまりなかったかな、と)
人の世界でもありますよね、
言われますよね、
”魔がさす”・・・なんて。
それを具現化したのが、”無惨”というボスキャラで、
そしてその鬼化した敵キャラたちを(悲しい過去を持つ)
タンジロウが倒していくのだけれど、そこに、おそらく読者・視聴者たちは
”一種の供養”を感じるわけです。
敵が倒された→爽快!
のみならず、
敵が倒された→爽快!→供養→そして私達の中にある鬼成分・鬼化した何かすら供養!
というトリプル浄化バイブスこそが
この鬼滅なる作品が爆泣・爆流行しているわけなのかなぁ〜と、勝手に思ったりしています。
人間誰しも、生きていると、
特に今のこの社会では、
何か大事なことを忘れて、
”鬼化”していること、修羅化してしまったりするもの。
プライド、家族、資産・・・
何かを守るために、大事なものを守るため、
または守れなかったからこそ人は修羅となる・・・
この世界を生きているとそんなこともあるかもしれません。
ただ、劇中で”タンジロウが供養していく(倒していく)”ことによって、
どこかで、そんな自分もが供養されていっているように感じたり。
”頑張りの糸・プライドとか見栄とか・なにかができなかった自分を許せない心”とか、
そういったものからの解放を促すパワーがきっとこの作品にはあるんだろうなぁ〜と、
読み返すたびにそう感じています。