最近よく "I"をだせ、”I"をだせっていっているけれど、

その真意は”自己中になりなさい”とか”自己愛偏重主義になりなさい”とか、

”うぬぼれが足りない2020"とかいっているわけではなくて、

山羊座のtgcに関係しているのです。

 

そしてそれはこの秋におこることなので(といってももう完全に昨年末から渦中ですが)

だから、"I"をだせってお伝えしている感じです 苦笑

 

なぜか。

 

それは、Iを出すの反対を考えると分かりやすいかと思います。

 

Iをだす

 

 

 Iをひっこめる・ださない

 

どこに?

”隠れ蓑”、”社会”、”ひたすらロムる存在としてネット上に”・・・

 

かな、と思いますが、最後のは別にして、

特に”社会”という名のIの隠し場所・隠れ家は

この山羊座要素大崩壊!の波を受けて、完全にかどうかはわかりませんが、

その大部分は消失するでしょう。

 

あ、概念として。

 

そうすると、もうIはかくせなくなる・

Iをひっこめていると、寒い冬の朝に”布団を剥ぎ取られた少年”みたくなります。

 

「早く学校に行きなさい。」

 

「まだ寝て痛いヨゥ・」

 

 びしっぃい!!

 

みたいな 苦笑

 

 

ゆえにその”タイムリミット”はそろそろきているよ、ということで、

Iをだしてみてはいかがかのぅ・・・ということを去年ぐらいからせっせとことあるごとに

つぶやいているわけです、はい。

 

でも、それはなんらビビることではなくて、

そうすることによって、”仲間・同類・あなたの本質を求めている人”と繋がれる、ということでもあります。

 

私もそういう方々たくさんいます。

〇〇会社の〜〜〜さんではなくて、

元シンガーで今は某コスメブランドでお勤めの方とか

元金融関係者で、

今はお花とかカリグラフィーとかしてnoteにもいろいろ書きまくっている方とか。

本業はめちゃくちゃお堅い仕事なのに、

実はハイパーフレンドリーで食通の某山の国のお住いの方とか。

これ以上書き連ねるとエンドレスになるので、ここいらで切りますが、
本当に”肩書きじゃなくてパーソナリティ”で繋がれているな、という方々、
またその意思や思いや生き方に憧れたり、リスペクトできたり、

共感するところも多かったり等々・・・。

 

そういうつながりを持つには、やはり「わたしはこういうものです」とまず胸襟を開くところから、かと思うのですね。

(経験上)

 

なので、これからの水瓶座の時代にはますます”自己開示”が必要になってくるなぁ・・・とふと、

そして改めて思ったのでした。