このところずっと頭にあるキーワード。

 

陰陽和合。

 

闇極まりて陽となる。

 

陽もまた光を放つゆえ影を作る。

 

陰陽のマーク

 

 

 

にあるように、

光の中に漆黒の点があり、それが光の中にある闇を表す。

闇の中にも光があり、それが闇を克するポイントとなる。

 

男性、女性、

表と裏、

昼と夜、

 

相対している事象ではあるけれど、

それらは分断されているわけではなくて、じっくりと紐解いていくと、

”それらに共通するテーマ”のようなものが見えてくる。

 

表舞台・裏舞台、

貧困・裕福、

上から目線・横から目線、

物質主義・非物質主義、

土台を作る人・旗をあげる人、

・・

 

 

人は何度も生まれ変わりロールプレイを経験していく。

 

今回は支える側、次回は支えてもらう側。

 

今回は与える側、次回は与えられる側

 

といった風に。

 

ただ、そのスイッチが人生が終わった時に切り替わる!という風に、シンプルにはなっていないのが面白いところ。

 

生まれて数年して〜なんてこともあるだろうし、晩年になって〜なんていうこともある

存命中に切り替わるときがままあるのだ。

 

そして、

その闇を飲み込み光になり、また時を経て闇を生きる〜

 

この輪廻を人は修正繰り返す。

 

カルマがなくなるまで、クリアになりきるまで、

光と闇を一つの器でバランスよく配合するようになるまで(1:1)

人は非の世で輪廻を繰り返す。

 

( * 闇は”わるいこと”ではありません)

 

そしてその陰転・陽転のトリガーとなるのは”リリス”。

 

運命のトリガーポイントというのは幾つかあります。

 

ドラゴンヘッド、冥王星を中心にしたトラサタ集団、

 

そして、ダークムーン・リリス。

 

心の最深部にあるパンドラの箱。

 

開けてはいけない、漆黒の闇。

 

なんらかのきっかけからそのトリガーを引くと(箱を開ける)

いっきに予測不可能な事が、マジックボックスのように溢れ出します。

 

何が来るかはその人のネイタル次第。

 

相当な”波乱”があなたの人生に舞い降りるでしょう。

 

神話でも言われるように、箱を開けると”悪霊がとびだす”とも・・・。

 

ただ、そこを乗り越えた時に、

光をまた人生に見出すのです。

 

パンドラの物語でもこう語られているではないですか。

 

”最後に箱に残ったのは

 

希望だった”

 

と。

 

 

自分の人生をフルに生きようとするならばおそらく避けては通れない、

ブラックボックス、リリス。

 

でもそれを克する時が”人生の喜怒哀楽をマスターできた”と言える時なのでしょう。

もちろんそんな難儀なものを開けるためには

それ相応の準備が求められます。

 

どこかの部族は成人の儀式でバンジーを飛ぶと言います。

 

また別の部族は成人となるためには野に入り、野獣を倒してくる事が通過儀礼であるとも言われています。

 

リリスを克する儀式は、

我々にとって”闇を光に内包させるor闇に光の点を指す”こと。

光と闇の二元論を超越するために必要な、

真にニュートラルな自分になるために必要な通過儀礼であると

言えそうです。