以下は、実際に私の体に起きた実話です。

 
 

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2017/11/21
あの日から世界が半分になった。



人生には三つの坂があるという。

上り坂、下り坂、まさか。

スピーチや本の中でもよく見聞きする”おきまりの言葉”
ではあるが、なんだかんだよく人生の特性を言い表していると思う。

調子が良い時、そして何かうまく回っていかない時、そして、
神様から裏切られたようにすべてを信じられなくなる時。

あの日までは自分にそんな日が来るとは予想すら出来なかった。

好きな仕事をして、働きすぎではあるが、基本楽しく、毎日充実して、
休みができたら旅をして、何かに困っているわけでもなく、将来こうしたいああしたいというヴィジョンもあり、
先行きはこのままずっと明るく、そんな日々が果てのない道のように未来永劫続いていくのだろうと思っていた。


2017/11/21

あの日が来るまでは。


冬の気配が近づき、
広葉樹の葉っぱが赤茶色に切り替わる。
朝から寝床に向かって風を吹きかけるような、意地悪な冷気のせいで床から這い出すのが少し億劫だ。
寒いな、なんか足先冷たいな。
今朝も気温が低いのかな。
そういえば天気予報で風が強いとか寒波が来ているとか言ってたな。

頭の中で昨夜の天気予報を思い出しながら寝床からもぞもぞと這い出してみた。

なんてことはない普通のoffの日の朝の光景。



布団から突き出た二本の足。

幼い頃よりパジャマを着る習慣がない為、
夏でも冬でも海外でも国内でも基本短パンで寝る主義の僕。


その足は昔運動部だったことを思い出させることもないほどにいたって普通の足に成り下がってはいるが、
お遍路も熊野古道もスペイン巡礼も一緒に歩いたし、
今もそれら巡礼の時ほどではないがしっかり通勤の時にお世話になっているMYベストパートナーだ。


うん、ベストパートナーなのだが、その日に限って返事がない。

右足からはかろうじて。

左足は… いったいどうしたのだろうか。ストライキ? いやいやまさか。

よしよし、ご機嫌を直してね、といわんばかりに試しに左手で触ってみた。



なんか…返答がない。

これは!

と思って右手でもご機嫌をとってみた。

するとどうだろう。

某衣料品メーカーのウルトラライトダウンを着せられた上から触っているような、
なんとえない”微弱反応”が返ってくるではないか。

これは何かまずい事が起きているのではないか!

今度は両目をしっかり見開き、腰まで布団をめくってみると

そこにはゴボウのようなカラーリングになった左足と昨日までと変わらぬ様子のふてぶてしい右足がある。

そして左腕もよく見ると右腕と色が違って見え、左肩ぐらいまでの感覚が薄いことに気がついた。


本当にヤバイ時というのは涙が出ないとかよく言うが、

ある意味そういう心境だったのかもしれない。

感覚がないという”感覚”は生まれて初めてだった。

足をつけて大地に立っているのに体の途中までの感覚があってそこから先はまるで別の誰かの体のような感覚。

歩いてみても左足はまるで他人のもののようにどこか重たく、関節の動きによるどこかメカニカルな振動だけが体を通して伝わって来る不思議な感覚。

寝ている間に部分的にサイボーグにでもなったのだろうかと思えるような、自分の体の中に自分のものじゃないものが組み込まれているような感じ。

神様、宇宙神様、だれでもいいのでサイボーグ手術がまだ途中ならこのまま放置しないでください。
最後までやり切るか元に戻すかどちらかにして欲しいです!

本当にサイボーグ手術がまだ途中という設定だったなら、もしそうならどれだけよかっただろう。

運命のいたずらなんていう言葉はなんだかんだよく聞く言葉ではあるけれど、

これは一体何のいたずらなんだろう。

何のカルマで、何が原因でこうなってしまったのか。
 

 

腕や足だけでなく、髪・鼻毛・ヒゲは部分的に白くなり、歯茎も後退した。
粘膜、視力は弱り、頭は常にクラクラし、冬なのに汗が止まらず、発音も弱くなり、髪もたくさん抜けた気がする。
まだ生きている右手で左半身を触ると冷たく、よくできたプラスチックのおもちゃのような感じがした。

11/21日。

 

この日を境に私の体の半分は外界との接触を拒み始めた。

体の左側くんは主人のいうことをきかなくなった。

世間ではこれを麻痺というらしかった。

 

私の世界の半分が消えた。

 

 

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あれから1年。

 

海外等でのリハビリ、カイロ、鍼灸、漢方、ヒーリング、トークセン、イメディス等、
数々の代替医療やゴッドハンドの先生たちの力を借りてやっとまともな体調と言えるまでに

復活した。

 

西洋医学では原因不明でどこにいっても”未病”といわれ、”代替医療に行ってみたら?”と西洋医学のお医者様には

言われていたこの半身麻痺も普通に生活ができるぐらい?までに半年、プラスチッキーな箇所が体から消えるまでにもう半年かかったので、計1年かかったことになる。

 

とはいうものの、まだ95%ぐらいの回復具合だから完治といえるかどうかは謎だけど、

ここまでくればいきなり”不思議な半麻痺”になることもないはずだ。

 

再発の恐れもだいぶ軽減され、ドクターからももう仕事をしてもいいのでは?といってもらえていることもあり、

この辺りで”世界を取り戻しました”宣言をしてもいいかなと思う。

 

今日、12/24日クリスマスイヴ。

 

1年と33日ぶりになんとも不思議なご報告。

 

 

半身、かえってきたよ。

 

 

 

 

 

追記:

手足の親指の爪には褐色の縦線が入り、大病したマークとしてこれからも終生のお付き合いになるのだろうけれど、

それは過去の私が”働きすぎた証”であり、これからは自分の人生を生きる!という決意表明のように見えなくもない。

 

左の親指の爪に入ったシマウマのボディのような縦線は1年前には明らかにそこになかったもの。

体から麻痺しているという”感覚がない”という症状は消えたけれど、その縦一本のサインだけは消えずに残っている。

絶望の闇の中にかつて私を放り込んだ麻痺とか不快な身体現象・症状はもうないのだけれど、体に傷をつけたり、刺青をしたり、金属を埋め込んだりすることで一人前の大人としてみなされるミクロネシアのtribuやアフリカのプリミティブな生活をしている部族がそうであるように、私の体にそのセンがあることが何らかの”苦行”のようなものをのり超えた”サイン”として機能しているようで若干誇らしくもある今日この頃である。