獅子座新月の日 08/11。
この日の夜は月が空に浮かばない。
正確には月は確実にそこにあるが
”私たちの目には見えない”だけだ。
真っ暗闇の新月。
そして、今回の新月は占星術的には少し特殊だ。
"新月とはなにかが0ポイントになること”
を表すが今回の新月がなぜ特殊かというと
”かりそめの自分像の中に、true-myselfを封じ込めている妖力”が0になる時だから。
つまりは”マトリックスからの解放”、”本質で生きる自治権を奪還する”ようなことがおきるからだ。
…
と、肝心のところに触れる、
そのまえに月のエネルギーの説明をしよう。
今回の月のみならず毎回そうだが、月は満月・新月のみが重要点にあらず。
月が司るもの、それは人間でいうと心でもあり、うつろいゆくものを暗示する。
月の運行自体は森羅万象、この地球におけるエネルギーの増加・成長、そして減衰と清算のリズムを表しているともいえるだろう。
満月で最高潮になったエネルギーは約15日後の新月に向かって”何かのエネルギー”を減らしていく。
そしてその0ポイントが新月のインパクトの瞬間であり、その一点にむけて何かの意識や細胞、関係性、気持ちが収縮・萎縮し、減衰していく。
エネルギーの整理整頓・整地が終わった新月明けには、生まれ出ずるパワーへと意識は流れ、新しい芽生えや気づきがあり、意識レベルが高まっていく。
満月までの約15日はパワー増幅のマーチが流れる活気溢れるときとなる。
そうしてエネルギーを増やしたり減らしたりしながら人の生は陰と陽を交互に行き来しながら、螺旋を描き進んでいく。
説明が長くなったが、今回の新月はその星の配置からしても相当シンボリックで意味深だ。
月は約1〜2日間の新月という漆黒の闇の期間をおえると、また地上界にその黄色い姿を表すのが通例だが、今回の獅子座新月はかなり特別なものだ。
その闇の期間こそが実はマジカルモーメント!
不思議なマジックが人間界に降り注ぐことになるだろう。
いや、マジック・魔法というか、
前述の通り、”本質以外で生きることをkeepしている魔法”が解かれる”封印解除”の儀式が行われるとでも言ったほうがいいかもしれない。
もちろん物理的にはそんなことは起こりえないのだけれど、実際にこの新月の後には”OSが変わっている”かのごとくに世の中やいろいろなことが違って見えたり、価値観が急に変わったり、仕事に行きたくなくなったり、我慢がきかなくなったりしてもおかしくはない。
”抑圧からの解放”以降は、それぐらいの変化が起こるのが今回のトリプルコンジャンクションの新月+ドラゴンテイルと火星+リリスのトリプルコンジャンクションが織りなすツイントリプルコンジャンクションの正体で、それこそが魔法解除といわれる所以であり、その破壊力・影響力は凄まじいはずだ。
結果、今まで大事にしていた価値観とかやりかた、メソッド、生き方の土台みたいなものがスピリチュアルな雪崩みたいなものがきて、一気に崩壊したりどうでもよくなったりする。
そしてそれらの変化はOSの変化であるゆえに、目には見えないが確実に私たちの生きるスタンスを覆していく。
ボタンの掛け違いがあるところを
丁寧に丁寧に、
ひとつずつひとつずつ、
本来の自分で生きられるように、ベールが剥がされていくだろう。
面白いほどに正確に”自分像が”彫りおこされていく。
今までの自分、偽りの自分はあっという間に”どこへやら”だ。
新しい自分、いや、”本来の自分”といったほうがいいかもしれないが、
その”本質”がおもてに出てくるときがこの新月から次の魚座満月までの流れなのだ。
魚座満月で楽しみはピークに達するはずで、全力で楽しむことが仕事やそれ以外の事柄をうまく進めるためのキーになる。
”自分が最も楽しいと感じることは何か?”
”自分が一番やりたいことは何か?”
あれをやれば周りにもメリットが・・・
とか
こうすれば将来困らないから・・・
とか
こういうことが資格として有利に・・・とか
そういう”計算めいた”こととか小賢しさとかそういう”大人の世界”のことか理屈はどうでもよくて、
いまは小学校低学年の児童のように、”純粋に心の奥底から楽しめるかどうか”を優先しよう。
子供が雨降りの日にびしゃびしゃになって遊ぶように、泥んこ遊びをして泥だらけになっているときに(帰宅してからの選択のこととか一切考えないように)
無邪気に無心で一生懸命なように、心の奥底から楽しいと思えること、気取らずに笑顔で居られることをしよう。
そして本当に自分がやりたいことが見つからない人もこの期間には”無心で楽しめること”をみつけられる、そういうボーナス時期がこの08/11~08.27までの”PLAY"の期間の特徴。
義務や大人の都合、大人の世界の”しょうもない”理屈に日々沿いすぎて生きている人は今期は大チャンスである。
夜空に浮かぶ新月がみえないものであるように、でもそこに確実にあるものであるように、各々の心にもそういう”今は見えなくなったり感じなくなったりしているが確実に存在を感じられるもの”はあるのだ。
真昼の月や新月の日の夜空の月のように。
今期はそれを見つけに行こう。
本当に大事なものは目に見えないというけれど、今年の8月はそれを”目に見えるものに、感じ取れるものに”していける時でもあり、真なる自分への帰還が起こる時、そして今よりもっと”自分らしい自分”になれる時でもある。
人はおそらく一生かけても本当の自分というものにはめぐり合えないかもしれないが、自分が知っている自分像を壊し、ウチに眠っている新しい自分に出会うことで
また新しい人生の扉を開いたりできるものだ。いや、そもそも自分という概念はあるが実態はないのかもしれない。
自分という作られた概念。
自分の持つ可能性開く扉がライオンゲートということであれば、巷でよく言われている”獅子の門”は私にはピンとこないがきっとこういう類の扉のことをいっているのかもしれない。
そのゲートを開くためにも
心の底から笑おう。
そして遊ぼう。
歌って踊って
食べて飲んで
恋をして。
方法論とかそっちのけで夢を語り、理屈を捨てて感性で過ごしてみよう。ガチガチだった思考に少しは感性の入り込む余地ができたなら上出来だ!
その頃には”願望成就”のための蜘蛛の糸ならぬ、神の組み紐が目の前に現れるはずだ。