なんでも分解するのが好きな子供は、物事の仕組みを理解し、
新しい世界観を作ったり、発明をしたり、新発見をする

発明家になるかもしれない。

 

口が悪い子供は、本当は言葉やしゃべりで人を助けたり、
勇気付けたりする職業にむいていて、言の葉の使い手になるかもしれない。

 

お金のトラブルを起こす子供は、その仕組みや力を紆余曲折ありながらも理解し、

起業家になったり、個人投資家・優秀なバンカーになるかもしれない。

 

ガキ大将になったり、逆にいじめられたりする子供は
芸能界にはいったり、反発心から起業家等になれるかもしれない。

 

内気で友達ができない子供は頭の中にファンタジーの世界を持っていて、
その世界を外に出すことができれば優れた作家や脚本家になるかもしれない。

 

 

子供にはいろいろな才能が眠っている。(もちろん大人にもね!)

 

それらの才能は今か今かと披露・爆発のタイミングを待っていて、

社会に役に立とうと、自分をより輝く存在にしようと機を狙っている。

 

抑制されてばかりだとしても、それらの才能は隙間を見つけては表に出ようとする。

 

時に人間社会では”許されない”、”良いこととは認識されない”ことだとしても才能はその片鱗を見せる。

 

言葉の暴力、力の暴走、窃盗、執着、異常愛、奇声を発する、
なんらかの人格障害系と勘違いされるような症状、

等々、才能はそのパワーが陽を浴びるのをまっていて、暴走をしてまで世に”出よう出よう”としてくる!

 

それを抑えるか、いいようにリダイレクトして世に出してあげるか。


子供は社会のことがわからないので

多くの機会を与えてあげること、
親の狭い世間感のみでジャッジしないこと、

世の常識とか当たり前に”照らし合わせすぎないこと”、

自分の子供だから子供も大したことないとか決めつけないこと、

子供の場合は特に親の姿勢や感性、そして自在な視点が非常に大事だ。

 

子供を観察し、その才能を見つけ出し、伸ばすこと。

 

例えば、

お金が大好きなら、こずかいのやりくりをさせるのもいいが、

どうやったらお金は増えるのか、お金とは一体どういうものなのかをおしえたり。

そしてお手伝い等をしたら増えるものだったり、

一緒に株式投資をしたら大当たり銘柄をみつけだしたりして、

すごい先見の明を発揮するかもしれない。

 

落書きが大好きなら、

ひたすら伸ばせば、神レベルのgrafitiアーティストになれるかもしれない。

 

分解が好きなら、

物理学者、ハイパーエンジニア、発明家になったりするかも?

未来の落合陽一、ドクター中松?とか。

 

周囲からチヤホヤされて、人当たりも良く、ウケも抜群なら

モデル事務所等に売り込んでもいいかもしれない。

 

神経質が過ぎるなら、

人間国宝レベルの職人や建築家等になれる可能性もある。

 

友達ができないなら、

ファンタジーの世界のなかにはたくさんの友達を自ら作り出す才能があるのかもしれない。

 

お絵描きで太陽を赤くぬらないなら、

ゴッホやピカソレベルの発想や絵心、

才能を内に秘めているのかもしれない。

 

 

「よその子は〜

 

「普通は〜

 

「世間では〜

 

 

確かに体裁も大事だろう。

 

ただ、子供の個性を見つめる方がもっと大事だ。

 

子供の”好き”や”自発的な”動きをしっかり見てあげて

その素質にあった教育や習い事を進めてあげたり、否定ではなくて全肯定でいてあげるだけで、子供がその使命・うまれてきたわけをスピリチュアルな意味で全うするための土台は出来たも同然。

 

子供は問題を起こすもの。

 

でも、その問題が”才能の発露”の一端だとしたら、

 

見え方は変わってこないだろうか。

 

3、4、5歳ぐらいからその才能はもうすでに片鱗を見せ始める。

 

早くに各々の力を見抜き、通り一辺倒ではない教育や接し方をするだけで

それだけで家族関係ややりとりがスムーズになりお互いの生きやすさ、
ひいては大きな影響力を持つ存在になり、世間全体の豊かさに影響を与え、

社会や組織、国といったところまで変わってくるかもしれない。

 

エジソンの才が開いたのは母親の目が彼の才能を見抜いたからである。

モーツァルトの才能が爆発したのは、彼の父親が早期に自分以上の器だと認めたからである。

 

こどもは親の背中を見て育つが、

もし”こどもの方が親の前にいることに親がきづいた”なら、

その場合はその才能開花のサポートに回ることも必要かもしれない。

エゴとの戦いがあるかもしれないが、それも宿題・人生のミッションだと捉えるべし。