ホロスコープを見ているといつも思う。

 

”この人のホロスコープは何て美しいんだろう。何てドラマチックなんだろう”、と。

 

ホロスコープを見ると、

その人の人生が0歳から100歳まで(ここでは老年までという意味で理解してください)

走馬灯のように見えることがある。

 

こうなって、

ここで苦労して、

このタイミングで結婚して、

ここであの災難がきて…。

 

さながら映画を見ているよう。

 

スターウォーズとニューシネマパラダイス、

はたまたゴッドファーザーや2001年宇宙の旅はどれも映画史に残る素晴らしい映画であり、
そこに優劣とかはないと思う。

あるのは好みだけだ。

 

人生もまさに上記の映画の批評のようで、

人それぞれがもっているテーマや向き合う苦労というのは違うから、

スターウォーズとニューシネマパラダイスがどちらが優れているとかどちらが素晴らしいかというのを比べるのが不毛なことであるように、どちらがいい人生でどちらが悪い人生というのはない。(たまに攻略しづらいだろうな、という人生はあるけれど)

 

鑑定の現場。

円形に広がるネイタルチャートを見て、

人の一生、ミクロコスモ(小宇宙)をそのチャートの中に見る。

 

サインやマークが無造作に散らばるホロスコープ上の宇宙と向き合う。

じーーっと凝視…しばらくするとホロスコープのほうから話しかけてくる。

その人の魂の仕組み、飛躍ポイントや魂にかけられている枷…。

まるで月9ドラマの予告編のようにヴィヴィッドに映像で見え始めてきて、

誰もが壮大な宇宙の計画に沿って生まれてきていることがわかる。

 

そうすると、いい運勢や悪い運勢というのはないのだと

改めてわかる。

いい、わるいは人間界の基準でしかなく、

多くの場合”楽にサクサク進む”とか”お金持ちになる・成功する”というのがいい運命とか

勘違いされがちだが、本質はそこにはない。

だれもが魂の学びがあり、

そこに優劣とか美醜といった二元論的な比較や上下・勝ち負けはない。

どれもが完璧な魂たちだ。

ついでにいうともちろん”良し悪し”もなく、

良い運命も悪い運命も本当はない。
 

人は弱い生き物だから、楽な生き方、楽しいことばかりをしたいと思いがちだ。

ただ、一見ネガティブにみえることもも”感動”をもたらすためのトリガーになっている場合があるし、

厳しいことを乗り越えることでしか見えない景色もある。

 

いいとされることもわるいとされることも、本当はなくて、
ニュートラルなfactたちは人の世の習いに従い、なんらかの色付けをされる。

それが人の世の欲や煩悩を生み出し、世界を”修行の場”に変えていく。


そしてその修行の場との向き合い方やいなし方、

進み方を教えてくれたり、ヒントをもらえるのが

ホロスコープなのだ。

 

その人がどういうフィルターをかけて

この世を見ているか。

どういう価値観で一生を過ごすのか。

 

自分で設定してきた感動と原石磨きのストーリー。

 

そんなストーリーの台本をのぞき見れる

星読みの現場は感動や感激に満ちていて、

たまに”ずるい”仕事だなとすら思う。

 

繰り替えすが、

どんな人に人生にも”美しく光るなにか”がある。

奥深くに隠されている場合もあれば、比較的浅いところにいて彫り出しやすい場合もあり、

その”掘りおこしポイント”は様々だが、どれも変わらず、大いなる宇宙の愛を感じる。

そしてどんな難解なホロスコープもゆるふわなホロスコープも真理を体現していて、本当に素晴らしい。

時を経ても変わらない永遠の美しさがそこにある。