【修行出発前夜 思うこと】遥か昔から人間は修行の為に山ごもりをしてきた。アニメでも漫画でもなんでもそうだが、仙人は山奥に住んでいる風に書かれるし、神様は山の頂きに住んでいたりもする。山の川には龍がいて、時には森には天狗や人外のものがうごめいていたりして。そのように描かれることもある”山”だが、今回の山はただの山ではない。伊勢神宮(元伊勢含む)と高野山、吉野山、熊野三山と御神仏界のスーパースター達が勢揃いする紀伊半島、そこを伊勢からスタートして熊野まで一気に南下、そこから熊野三山を詣で、その後に高野山まで昔の修験者が通った道を駆け上がる、人以外のものになるための修行の道であり、聖なる道である。オールスターのうちの一柱、熊野に祀られている大神、イザナミノミコトは人間の寿命を司る黄泉津大神である。その大神が葬られた土地は紀伊半島にある三重県熊野市の花の巌(はなのいわや)神社であるとされ、夫・イザナギノミコトが、妻・イザナミノミコトを偲んで迎えに行った、黄泉の入り口があると伝えられるのが熊野なのである。黄泉帰りの聖地と云われる所以がそれだ。実際のところ、黄泉の国へのルートはいくつかあるが、伊勢からスタートすると、鬱蒼とした森があり、丘があり、嘗ての上皇や法王が参った石畳の道を行くことになる。かつては貴族も法王ですらも籠等をつかわずに自らの足で参らなければ行けない場所とされていた。紀伊の国の”紀”はもともとは鬼(←一番上の縦棒が無い鬼の字)、神をあらわす文字であったもの。それが現在では紀伊の国とされている(伊はもちろん伊奘冉尊より由来)表記を変えるほど隠さなければいけない何かがあるのか、それともただの時代の移り変わりに依るもの、なのか。この地に高野山、吉野山、熊野三山、伊勢神宮が集結していることから日本の霊的エネルギーの心臓部とも云える紀伊半島。伊勢の皇大神宮から始まり、熊野権現の祀られる熊野三山に参拝し、仏の世界の開祖にご挨拶するために高野山奥の院に抜ける、伊勢路、中辺路、小辺路全て足した280kmのルート。神仏のオールスターが勢揃いする日本最大の霊場”紀伊半島”の山々で何を観て、何を感じるのか。果たして黄泉の国とつながる地で、何が起きるのか。いままでの生で背負った不要なものを手放し、新たな自分になれるとされるが、修行完了後にどう想い、どう感じるのか、道中の細かいところを含め、またしてもここに記していく。