18歳のときにイタリアに行ったとき、右も左もわからないというのはこういうことを言うのかと思ったことがある。
曲がりなりにも18歳といえばある程度のことはひとりでできる(はず)の年齢だ。
体格的にも大人と大差ない。

イタリアにいき人生初めての一人暮らし
(厳密に言うと最初の数ヶ月はホームステイだが)。
現地の言葉も習慣もなにもわからない。
語学学校に通うものの、休憩という言葉もわからない。
しょうがないからみんなが席を立てば休憩だろうと思い席を立ち、
みんなが先生にかける言葉が”先生”という単語だと思い、それをオウムのようにひたすら繰り返していたオウム&猿真似の日々。

そんな赤子に戻ったような経験は人生そうなんどもできるものではない。

お遍路の初日、二日目にはまさにそれを体験した。

観光でいくお寺参りとはちがい、88番の札所を廻る、空海の足跡をなぞる信仰の旅であること、そしてお参りにはきちんとした作法/プロトコルがあることや、
乗り物も使わずに路を(時には道無き道を)歩くこと、
そして遍路用の遍路宿、もしくはお寺の宿坊にとまったりすることや、お接待とよばれるお遍路さんに対する地元の人々の習慣がありそれを受ける身であるということ。

そのどれもがいままで生きてきたなかで全く経験した事のない事なのだ。
戸惑わないはずがない。

そういった驚きの連続を体験した初日であった。

1番札所、霊山寺、早朝。
早すぎてまだ納経所も開いていない。
そんななかネットでしらべた情報を基にろうそく、
線香をたて、経本をみながら読経する。
信仰がとか願い事がとかより
”何をどうしてどの順番でしたらいいのかわからない!”
そしてまわりに聞ける方もいなくて、焦りながら全てを終わらせ、
まだ開場せぬ納経所のまえのベンチで一休み。

「あー、こんなやったこともないことを後87カ所歩いて廻って続けていくのか」
と半ば序盤(というか最序盤)からすこし気持ちをくじかれた気持ちになりながら納経所の時間07:00を待っていると、駐車場からすばらしく年季のはいった装束を羽織ったおじいさんが登場。

”おはようございます”
”おはようさん”

”歩き?今日から?頑張ってや。”
”今日から廻られるんですか?もう何度も廻られているんでしょうね?”
”え、わし?もう32回ぐらいかな”
”あ、歩きでですか?!”
”いや~いや~、車じゃ車。歩きは無理や。車でまわったらな、すぐやしな。毎朝ここ(1番さん)にくるのが日課なん”

なるほど、地元の方で定年されてから廻り始めた方のようだ。

”はいおみやげ!”と言いながら600回ぐらいまわったかたの新聞の切り抜きのコピーやら四国の地図(コピー)やらをどんどんくれる(あ、ナビはiphoneとかあるし荷物になるな、どうしよう、とか思いながらも無下にするわけにもいかずとりあえず頂いておいた)
とそのまま開くまでの時間、お遍路についての情報をいろいろとお話頂く。
とても貴重な体験だ。
(相手は車遍路だが)

時間が来たので御朱印をもらって、
”じゃあ次の札所にいきますね”
といって別れを告げる。
”次はここを右、ずーっとまっすぐや。すぐにつくから.でも気をつけて”
”ありがとうございます”

うーん、最初からいい情報をきけた、とiphoneナビをみながらすすむこと15分くらいだったか。あっという間に2番札所、極楽寺に。


”遅かったな”


えっ!
そこにはさきほどのマスター(道中勝手につけた)がベンチにすわっているではないか!
”え、ええ、トボトボきてましたから”
”はい、じゃあ、本堂はここあがっていったとこな、そして大師堂はその奥!”と
間髪いれずに指示が!
あ、もうちょっとよくみたいのにな、と内心思いながらもそのとおりにサクサク奥に鎮座する二つの堂へ。

参拝をおえ、納経所の前で、また”はい、お土産!”と、
また違う何かのご案内?をさしだしてきた。

それはなんかみたことあるようなないような…。

それはなんと錦の納め札だった。
100回以上88カ所を廻った方は持つ事を許されるという、非常にありがたい、
現代風に言うと激レアアイテムである。

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普通、納め札は納経する本堂と大師堂におさめるほかにお接待を受けた時や、
お遍路さん同士で交換したりするという。

この方がどういう経路でこれを手に入れたかはわからないが、錦の札は錦の札。
その事実は変わらない。
そしてそんな激レアアイテムを初日、しかも2番札所でGETしたものだからテンションはあがる一方だ。
まるでRPGゲームでlevel1 なのに物語最終版で手に入れる伝説の武器を手に入れたようなそんな気持ちとでもいおうか、楽勝で88番までクリアできそうな気すらしてくるから不思議だ。

そのテンションが高いうちに3番へと急ぐ事にした。
3番は同じく平野部を真西に進む感じだ。
特に難所もなければ、距離も4、5キロとそんなにハードではない。
・・・のはずが、出会ってしまった。

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これが噂の遍路みち。
なるほどしっかり”遍路みち協会”の看板もある。
見事なカーブを描き先の方には暗がりをつくる薮が。
全くと言っていいほどコニクイ演出。

東京、渋谷にいるとこんな道にであうこともまったくといっていいほどないので、
正直戸惑うが”ええぃ!もうここは勢いだ”とばかりに草を踏み分けつつ突き進む。

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橋を超え、突き進む。

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野道をこえひたすら進む。


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しばらくすると
民家の横に出た。
というかお遍路さんの格好をしてないと不法侵入で訴えられてもおかしくないような
道だ(というか道とは言えない気もするが)


これ実は昼限定のうどん屋さんらしい。
とはいうものの、まだ朝早いので営業もしていなければこちらも腹も減ってないので華麗にスルーさせていただいた。


そしてトコトコあるくこと約一時間、3番札所金泉寺へ。

”遅いやないか!”

・・・また例のマスターだ。

車なので確かに4、5キロは一瞬だろう。
そしてまた一からお寺を解説してくれる。

”ここはな、井戸があってな・・・・”と途中から全く覚えていないが、
本堂の外からではなくここは本堂の中に入ってお参りできるレアなお寺ということはありがたかった。

「なんなのだこの初日からお遍路マスターにストーカー?される?感じというのは」
(とはいえ、色々教えてくださるので(しかも錦の札もいただいたし)邪見にもできず…。)
そして3番札所も終わり、次の札所4番大日寺へ。

4番札所は小高い山の中腹にある。
トコトコと山を目指す。
遍路はじまって初の山登りだ。
途中例の”遍路路”とかかれた指標にしたがってすすむ。
まだ初日だからなのかもしれないが、
”えっ!こんなとこすすむの?”と少々ひるむ。
だが、もうここまできたらしょうがない!
それに今の私は最強の武器(錦のお札のこと)を装備した(だがlevel1の)勇者なのだ!





ひーひーいいながらも4番をクリア、そして下ってすぐのところにある5番と奥の院もクリアしてこの時点で歩行距離10kmを超えている。

ふと、
「あれ、この二つでは先回りしていなかったな、
もう新人遍路いびりは飽きたのかしら?」
まあいい、そのほうがゆっくりとお寺を廻れるというもの。
なんて思いながらそのまま進行。

普段の生活で10km以上を9-10kgの荷物を背負って歩くことなどないせいか、ここにきて疲労物質がコンニチハしてきはじめる。乳酸の胎動を感じ始める足、そして臀部。
それまではなんとか耐えていたが、徐々に各所が声を上げてきた。
そして何よりもリュックの重さが肩にくる。
必要なギアばかりだが、捨てる訳にも行かず、このときばかりはバイク遍路、車遍路にたいして優しいまなざしを投げかける余裕も気持ちも消え失えた。


初日も残すところ後二つ。
体のメンテもしたいし、チンタラ時間をかけずに一気に行きたいところだ。

6番札所は別名温泉寺。
温泉があるのでそこの宿坊も多くのお遍路さんを迎え入れていて団体さんが泊まることも多いと聞く。実際に私がお参りにいくと2、3つの団体のバスが駐車場に停まっていた。
そのバスと入り口で托鉢している僧を横目に、6番札所境内へ。



ろうそくとお線香をさして、本堂内にくると…。
”おつかれさん”
ああ~やっぱり!

マスターがお待ちかねでした。
”わし、時間の読み、エエ勘しとるやろ?!”
”ええ、そうですね、さすがですね”
”そや、だって毎日こうやって1~6をまわるんが日課やから”
(えっ!!毎日こうやって1~6番まで新人をいびってるんですか!?とは口が裂けても言えなかったが、どうやら廻られているらしい。どうやら今日のターゲットとなってしまったようだ)
そしてまた詳しく教えてくださった後に、また例の”おみやげ”を頂戴した。今度のは大きめのかみにマジックで何かが書いてある。

徳島県阿南市…

マスターの住所と電話番号、個人情報一式だった。
”71番ぐらいがきたら連絡ちょうだい。ドライブがてらふらっといったるわ。ガハハ”

と最後のが一番いらんお土産だったなぁ~とかおもいながら、
その日最後の地7番札所を目指す。