“なんでお遍路さんやろうとおもったの?”

今朝兄にそうきかれて、正直答えが見つからなかった。

「1200周年だから?」
「四国出身だから?」
「修行のため?」

そのどれもが正解だが、どれも直接かつ絶対の理由というわけではない。
どれも“遍路にでる理由”としては決定的な何かにかけるのだ。

結婚を決意していた彼女と別れたのも、後押し材料のひとつだ。
連日、仕事ばかりしていて休みが全くなく、自分と向き合う時間がとりたいというのもある。
仕事柄どうしても次の領域へ到達してみたいというのも一見正当な理由にはなるのだが…。

ただそのどれもが不十分で “コレが理由です”とはっきりいえないのだ。

だから“なんとなく”とか“
そういうタイミングだったから”という風に なってしまう。

だから理由は後から決めることにする。


周った後に浮かんできたもの、道中にひらめいた何か、
結願後にたどり着いた領域、
そういったものがきっと遍路に向かなければいけない理由だったのだと思う。

そもそも理由なんていらないのかもしれない。

なぜなら“空”になるために遍路にむかうのだから。

空になるための旅はこうして後数時間で幕を開けるのだ。