1585年紀州征伐の副将軍として


出陣した豊臣秀長が当時「若山」と


呼ばれていた場所に秀吉から命じられ


普請奉行に藤堂高虎、補佐役に


羽田正親・横浜良慶を迎えて


1年で完成させました


この時に「和歌山」と改めています


「不明門」は「あかずの門」とも言われ


急用の場合のみ使用された門でした


今は和歌山城の駐車場のゲートになっています