天守閣は1827年に落雷で焼失しています。
1583年羽柴秀吉は蜂谷頼隆を近江に
転出させて岸和田城を中村一氏の配下に
置き根来衆・雑賀衆・粉河衆などの
一揆衆討伐を命じましたが1584年
小牧・長久手の戦いの留守を狙って
一揆衆連合軍の総勢3万人が岸和田城に
侵攻して来ました。これに対して
中村一氏と松浦宗清たちは8000人で
守り切り、この功績で松浦宗清は加増されて
伊勢国に転封となります
秀吉は一揆衆連合を追討する為1585年に
岸和田城に入城します。
この合戦の後、秀吉は小出秀政を
岸和田城主とします。小出秀政は
入城後に城の大改修を行い1597年には
五層の天守も完成させています