手稲山口バッタ塚337号線を走っていていつも気になっていた「バッタ塚」北海道開拓時代にトノサマバッタが明治13年に十勝地方で大発生し日高・胆振・後志・渡島と広がり明治18年まで被害が続いた為明治政府は本州にバッタが侵入するのを防ぐためバッタの卵塊を買い集め砂地にバッタの死骸と共に埋めて蝗害(こうがい)の根絶を願い1883年に造られたのがバッタ塚でした。