田尻の池から二の丸に向かいます
北条氏康は1515年、北条氏綱の嫡男として
生まれ「相模の獅子」と呼ばれた猛将でした
当時、武田氏・今川氏から小田原を守る為には
小田原の西側の守りを固める事が必要でした
戦国時代の山城は各地に分立する国衆や
戦国大名と戦う事しか想定しておらず
相手にする軍勢は数千から1〜2万でしたが
秀吉による小田原征伐では総勢22万❗️
その内の約7万が山中城を攻めたのです‼️
1590年3月29日早朝、山中城を豊臣軍
約7万人の軍勢が取り囲み右翼に
池田輝政以下2万人、左翼を徳川家康以下3万人
そして中央に総大将豊臣秀次、中村一氏
一柳直末、山内一豊、堀尾吉晴など2万人
と3手に分かれて布陣します
一方迎え撃つのは城主松田康長
北条氏勝、間宮康敏以下4000人で
その差は約17倍でした